ブログ「いてくれてありがとう」

「いてくれてありがとう」「God Bless You」をあなたの心に届けたい

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【主の善き力に守られて】

年末になると必ず心に思い浮かぶ詩があります。神学者ディートリッヒ・ボンヘッファーのものです。
その背景を書いた文章と一緒に今朝お届けします。獄中で書かれたものです。
暗い時代の足音が聞こえつつあるような状況の中だからこそ、なお、心に留めておきたい詩です。
++++
「主の善き力に守られ」
ボンヘッファーは、ドイツでヒトラーの悪魔的支配に従わず、キリスト者としての真実のゆえに、一九四三年四月、ドイツの秘密警察によって捕らえられた。
そしてヒトラーの自殺とそれに続くドイツ降伏の少し前に二年間の監獄や強制収容所での生活ののち、絞首刑によって命を断たれたのであった。
それは米英国などの連合軍による解放の数日前であった。

彼が監獄のなかでどんな気持ちを抱いていたのかを知る一つはつぎの詩である。これは、ドイツ秘密警察の監獄の中で作られたが、そのときは、ベルリンは激しい空襲を受けていたという。
その空襲で自分たちのいる監獄も焼かれて死ぬかも知れないし、ドイツ警察によって殺されるかも知れない、いずれにしてもどこを見ても闇と混乱と破壊が押し寄せている状況であった。

私たちの存在が巨大な悪の力によって押しつぶされそうになるときがある。
そのような時、ボンヘッファーはその全存在をもって戦い、耐え、時としてはげしく動揺を経験させられるただなかにあって、神の光を見ることを得て、このような詩を作ることができたのであった。
これは、あとの世代に残されたボンヘッファーの遺言のようなものだと感じる。

悪の勢力が周囲全体を取りまき、怒涛のように弱き者を押しつぶしていくそのような時にあってもなお、彼は、「私たちのまわりに広がっていく、世界の豊かな音の響き」を聞き取っていたのがわかる。
そして、押し寄せる闇の力にも増して、彼は不思議な神の力によって守られているという実感をも持っていたのである。
+++
新しい一九四五年

主の善き力に真実に、そして静かに取り囲まれ、
不思議にも守られ慰められて、私は毎日毎日をあなた方と共に生き、
そしてあなた方と共に新しい年へと歩んで行く

過ぎ去った年は私たちの心をなおも悩まし、
いまの悪しき日々の重荷はさらに私たちにのしかかるだろう。
ああ、主よ。
この恐れ惑う魂に、あなたの備えて下さった救いを与えて下さい。

あなたが苦き杯を、あの苦しみの苦き杯を、
なみなみとついで差し出されるなら、
私たちはそれを、ためらわずに感謝して、
あなたのいつくしみ深き愛の御手から受け取ろう。

あなたがこの闇の中に持って来て下さったともしびを、
今日こそ暖かく静かに燃やして下さい。
御心ならば、私たちを再びともに会わせて下さい。
私たちは知っている。
あなたの光が夜の闇をつらぬいて輝くことを。

静寂が今や深く私たちのまわりを包む時、
共に聴こうではないか。
ひそやかに私たちの回りに広がっていく、
世界の豊かな音の響きを。

善き力に不思議にも守られて
私たちは心安らかに来るべきものを待つ。
神は朝も夜も、また新しい日々も
必ず確かに私たちと共にいて下さる。


【日ごとの糧】2018.12.31

【日ごとの糧】〜ローズンゲンによる〜
2018.12.31

主なる神よ、今この僕とその家について賜った御言葉をとこしえに守り、
御言葉のとおりになさってください。
(サムエル記下7章25節)

神の約束は、ことごとくこの方において「然り」となったからです。
それで、わたしたちは神をたたえるため、この方を通して「アーメン」と唱えます。
(コリントの信徒への手紙第二1章20節)
+++
神様が計画しておられる人間に対する祝福の中心課題は、イエス・キリストの誕生と
生涯とその教え、出来事の中に表明されていると聖書は教えています。
ですから、イエス・キリストを知ることによって、私たちは神が愛であるということを
知ることができ、神が私たちに対して愛の心を最大限向けてくださっていることがわかるのです。
そして、神はすべてを治めるお方として、その計画を私たちのために実行し、その祝福を
届けようとしておられます。
その出発点はキリストを知るということにあります。そしてキリストを知るためには
聖書の言葉に触れる必要があります。
毎日聖書の言葉に触れながら、神の愛と真実、誠実さを教えられ、キリストによって
もたらされ、教えられている神の国の祝福を味わうことができるようになるのです。
+++
◎MACF年末感謝礼拝の映像はこちらです。
https://youtu.be/_qvyFcFuQfY

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この一年間、ご愛読ありがとうございました。また、いろいろな形でのご支援も感謝いたします。
また、新年、どうぞよろしくお願いいたします。
こういう拙い文章でも、なにかのお役に立てばと願っています。
祝福がありますように。 関根一夫

【今日の聖句】2018.12.31

◎MACF年末感謝礼拝の映像はこちらです。
https://youtu.be/_qvyFcFuQfY

【今日の聖句】
2018.12.31
【使徒言行録】
23:23 千人隊長は百人隊長二人を呼び、
「今夜九時カイサリアへ出発できるように、歩兵二百名、騎兵七十名、補助兵二百名を準備せよ」と言った。
23:24 また、馬を用意し、パウロを乗せて、総督フェリクスのもとへ無事に護送するように命じ、
23:25 次のような内容の手紙を書いた。
23:26 「クラウディウス・リシアが総督フェリクス閣下に御挨拶申し上げます。
23:27 この者がユダヤ人に捕らえられ、殺されようとしていたのを、わたしは兵士たちを率いて救い出しました。ローマ帝国の市民権を持つ者であることが分かったからです。
23:28 そして、告発されている理由を知ろうとして、最高法院に連行しました。
23:29 ところが、彼が告発されているのは、ユダヤ人の律法に関する問題であって、死刑や投獄に相当する理由はないことが分かりました。
23:30 しかし、この者に対する陰謀があるという報告を受けましたので、直ちに閣下のもとに護送いたします。
告発人たちには、この者に関する件を閣下に訴え出るようにと、命じておきました。」
23:31 さて、歩兵たちは、命令どおりにパウロを引き取って、夜のうちにアンティパトリスまで連れて行き、
23:32 翌日、騎兵たちに護送を任せて兵営へ戻った。
23:33 騎兵たちはカイサリアに到着すると、手紙を総督に届け、パウロを引き渡した。
23:34 総督は手紙を読んでから、パウロがどの州の出身であるかを尋ね、キリキア州の出身だと分かると、
23:35 「お前を告発する者たちが到着してから、尋問することにする」と言った。そして、ヘロデの官邸にパウロを留置しておくように命じた。
+++++
この百人隊長と千人隊長は公正な裁判を望み、特にパウロがローマの市民権を持っているということを知って
丁寧に取り扱おうとしています。
そして、すでにパウロに対する告発は、「死刑にするような罪状ではない」ことを知り、それを認めています。
千人隊長は当時の総督フェリクスのもとにパウロを送り、そこでこの件について判断してもらうことに決め、早速パウロを彼のもとに送ります。イエス様の時の総督はピラトでした。
総督のもとに送ることで、正統な法的手段を踏ませようとしているのです。陰謀を企んでいる人たちの意見も聞いてもらった上で判断してもらおうということです。
ここにローマの兵士たちの熟達した「処理能力」を見ることができます。
そして、こういう判断に助けられて、やがてパウロはローマの地を踏むことになるのです。
それについては新年になってから、ということになります。


++++
【詩編】
73:1 【賛歌。アサフの詩。】神はイスラエルに対して心の清い人に対して、恵み深い。
73:2 それなのにわたしは、あやうく足を滑らせ一歩一歩を踏み誤りそうになっていた。
73:3 神に逆らう者の安泰を見てわたしは驕る者をうらやんだ。
73:4 死ぬまで彼らは苦しみを知らずからだも肥えている。
73:5 だれにもある労苦すら彼らにはない。だれもがかかる病も彼らには触れない。
73:6 傲慢は首飾りとなり不法は衣となって彼らを包む。
73:7 目は脂肪の中から見まわし心には悪だくみが溢れる。
73:8 彼らは侮り、災いをもたらそうと定め高く構え、暴力を振るおうと定める。
73:9 口を天に置き舌は地を行く。
73:10 (民がここに戻っても水を見つけることはできないであろう。)
73:11 そして彼らは言う。「神が何を知っていようか。いと高き神にどのような知識があろうか。」
73:12 見よ、これが神に逆らう者。とこしえに安穏で、財をなしていく。
73:13 わたしは心を清く保ち手を洗って潔白を示したが、むなしかった。
73:14 日ごと、わたしは病に打たれ朝ごとに懲らしめを受ける。
73:15 「彼らのように語ろう」と望んだなら見よ、あなたの子らの代を裏切ることになっていたであろう。
73:16 わたしの目に労苦と映ることの意味を知りたいと思い計り
73:17 ついに、わたしは神の聖所を訪れ彼らの行く末を見分けた
73:18 あなたが滑りやすい道を彼らに対して備え彼らを迷いに落とされるのを
73:19 彼らを一瞬のうちに荒廃に落とし災難によって滅ぼし尽くされるのを
73:20 わが主よ、あなたが目覚め眠りから覚めた人が夢を侮るように彼らの偶像を侮られるのを。
73:21 わたしは心が騒ぎはらわたの裂ける思いがする。
73:22 わたしは愚かで知識がなくあなたに対して獣のようにふるまっていた。
73:23 あなたがわたしの右の手を取ってくださるので常にわたしは御もとにとどまることができる。
73:24 あなたは御計らいに従ってわたしを導き後には栄光のうちにわたしを取られるであろう。
73:25 地上であなたを愛していなければ天で誰がわたしを助けてくれようか。
73:26 わたしの肉もわたしの心も朽ちるであろうが神はとこしえにわたしの心の岩わたしに与えられた分。
73:27 見よ、あなたを遠ざかる者は滅びる。御もとから迷い去る者をあなたは絶たれる。
73:28 わたしは、神に近くあることを幸いとし 主なる神に避けどころを置く。
わたしは御業をことごとく語り伝えよう。
++++++
この詩篇には思い出があります。それは私がオーストラリアの神学校2年生の時の説教演習で私に託された箇所が
この詩篇の最後の節の言葉だったからです。
新改訳聖書では「73:28 しかし私にとっては、神の近くにいることが、しあわせなのです。私は、神なる主を私の避け所とし、あなたのすべてのみわざを語り告げましょう。」となっています。
全体の流れは、神を神と思わない人たちが成功する姿を見て、作者はひがみ、ねたみ、どうしてあの人達が栄え、私はちっとも物事がうまくいかないのか、と悩みます。
でも、あれこれ悩んだ末、彼は礼拝の中で気付かされるのです。
「この地上で成功しているように見えても、神との関係において豊かではないので、その土台は実にもろいものだ。」と。
「私には神がおられる。どんなときでも神は私の手を握っていてくださる」と悟ったとき、彼の心は大いに平安に包まれ、「わたしにとっては、あなたのそばにいられることが幸せです」と告白するわけです。新改訳のほうがわかりやすいので、書き出しておきます。新共同訳とは一節ずれています。
73:21 私の心が苦しみ、私の内なる思いが突き刺されたとき、
73:22 私は、愚かで、わきまえもなく、あなたの前で獣のようでした。
73:23 しかし私は絶えずあなたとともにいました。あなたは私の右の手をしっかりつかまえられました。
73:24 あなたは、私をさとして導き、後には栄光のうちに受け入れてくださいましょう。

人生の中で何度か訪れる大切な「気付き」
あなたにももたらされますように。
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この一年間、ご愛読ありがとうございました。また、いろいろな形でのご支援も感謝いたします。
また、新年、どうぞよろしくお願いいたします。
こういう拙い文章でも、なにかのお役に立てばと願っています。
祝福がありますように。 関根一夫

MACF年末感謝礼拝
       2018.12.30
「感謝をこめて」
フィリピの信徒への手紙4章
4:4 主において常に喜びなさい。重ねて言います。喜びなさい。
4:5 あなたがたの広い心がすべての人に知られるようになさい。主はすぐ近くにおられます。
4:6 どんなことでも、思い煩うのはやめなさい。何事につけ、感謝を込めて祈りと願いをささげ、求めているものを神に打ち明けなさい。
4:7 そうすれば、あらゆる人知を超える神の平和が、あなたがたの心と考えとをキリスト・イエスによって守るでしょう。
++++++
この一年間、一番、思い出す事柄は一体どんなことでしょう。
あの苦労、この悩み、あの病気、さまざまな苦しみや悲しのほうが思い出しやすいかもしれません。そして、ついつい苦労話を思い出して、考え出すと、また「思い煩いの方向」へと心が向いてしまうことがあります。
1)思い煩い 
基本的に「思い煩い」というのは、やっかいなもので、「まだ起こっていないこと」であるにもかかわらず、過去の経験から判断してまた失敗するのではないかと不安になり、心が重くなる状況のことです。
どうしても否定的な感覚、不安と心配からおこる焦り、あるいは過剰反応からくる抑えにくい感情による怒りや理性的判断停止などが生活全体に影響を及ぼしてしまうのです。
パウロは「思い煩わないで」と語りました。
そういう思いがわいてきたときには別の方向を見るようにと勧めているのです。

2)喜びと感謝の発見
「主において常に喜びなさい。重ねて言います。喜びなさい。」と語り、「何事につけ、感謝を込めて祈りと願いをささげ」とパウロは語りました。

「喜びと感謝」の泉を発見すること。実はイエス様がこう言われました。
「7:37 祭りが最も盛大に祝われる終わりの日に、イエスは立ち上がって大声で言われた。「渇いている人はだれでも、わたしのところに来て飲みなさい。7:38 わたしを信じる者は、聖書に書いてあるとおり、その人の内から生きた水が川となって流れ出るようになる。」(ヨハネによる福音書7章)
イエスさまを信頼するとき、聖霊が私達の心に住み、働きかけ、それは泉のように神の喜びや神の愛や神の正義がその人の内側から溢れ流れるようになってくるとイエス様は教えておられるのです。
つまり、聖霊によって、神様との出会いや神様の約束の言葉、祝福の言葉に触れることで、喜びや感謝が泉のように心の中にセットされるのです。聖霊は感謝の泉を発見させてくださいます。感謝スべき素材に気づかせてくださいます。

「喜びなさい」と言われても「喜び」は、なかなか自分で勝手に作り出すことはできません。
でも、私達の中には「喜び」の土台となる「喜びのいずみ」というか、「あの出来事のなかで神様はきっと私に触れてくださった」と思い出せること、「十字架による赦し」かもしれないし、聖書の話を聞いて「自分の考え方が大きく変えられた出来事」とか、「あの人との出会いの中で本当に神の愛がわかった」とか、そういう出来事はあるように思います。
自分が迷っているとき、戻ってこれる泉のような場所、あるいは思い出せる出来事に立ち戻れると、言葉にはしにくいかもしれませんが、「喜び」の気づきはあるかもしれません。
それは「感謝」も同じだと思います。そのためには静かな時間が必要ですね。黙想や静まりの時間。

「神に感謝」すべき出来事を思い出すことができますか?神様との「出来事」の中で、「まさに神様が取り扱ってくださったことだな」と感謝できる内容を思い出すことができるでしょうか。
私は神との関係の中で、喜ぶべき事柄、感謝すべき出来事を見落としていなかっただろうか。
あの人との関係、この人との関係の中に「神が介入して」喜びを与えてくださっていたのに、見過ごしてしまってはいなかっただろうか。
実は「神が味方、身内としていてくれる」ということだけで感謝の素材は十分ある用に思います。

3)祈りと願いをささげ、求めているものを神に打ち明けなさい。
喜びと感謝の出来事や神様からの取扱いについての気づき。それに続いてパウロは「求めるべきものについての気づき」を訴えています。
つまり、「わたしの求め」ではあるのですが、「神がわたしに求めさせようとしている事柄や内容」はなんだろうと考える姿勢が重要です。
そうでないと、「あれがほしい、これがほしい」とか「もう品物はあるので、お腹いっぱいですので、いりません」とか、そんなことになりかねません。
私達に対して「神が期待してくださっている事柄」がきっとあるのです。
神があなたに託そうとしている事柄がきっとあるのです。
それを求める姿勢。それは「み心が天で行われるように地上でも行われますように」という主の祈りにも通じます。
私はこの一年間、神の期待に応えつつ生きてきただろうか。

4)平静の心
4:7 そうすれば、あらゆる人知を超える神の平和が、あなたがたの心と考えとをキリスト・イエスによって守るでしょう。
思い煩いやすい世界、悩みの多い、不安の多い社会の中で、心に平和を保ちながら生きる秘訣がここにあります。
「神のくださる喜びと感謝の泉を発見すること」
「神の求め、神の期待がどこにあるのかに気づき、それを求めつつ生きること」
それを日常的に丁寧に積み上げることで、神は私達の心に「動じることの少ない」「偏ることの少ない心の安定」をお与えくださいます。
それがパウロの語っている教訓です。
++
MACFが礼拝を継続できた背景には多くの方々の奉仕、献金、犠牲がありました。心から感謝いたします。参加者の皆様ひとりひとりの存在を心からありがたく、嬉しく感じています。
同時に、神との関係において「感謝」が十分だったかどうか「求めるべきものを神の託そうとしている事柄と結びつけて考えていたかどうか」吟味が必要ですね。
皆様のおかげで良い一年になりました。そして来年もきっと幸いな一年になると思います。神を味方に生きているなら・・・。
+++++++

【ミッションエイドと支援の心】
ミッション エイド クリスチャン フェロシップ(MACF)は1987年4月12日に東京都新宿区にある三井第二ビルにあった知り合いの会社の中の会議室で第一回目の礼拝を行い、教会としての働きを開始しました。 牧師は私。
お茶の水クリスチャンセンターの伝道部主事としてその後2年合計10年、同時に7年間奉仕させていただいた東日暮里にある大韓イエス教東京福音教会の副牧師という仕事もさせていただきました。誰にも頼るものもない中で始めた、いわば開拓教会でした。
会社の会議室・専門学校の教室・代々木公園・上馬教会・新宿御苑・ペトラクラブ、そしてお茶の水クリスチャンセンター地下・4階・8階と礼拝会場を変えながら礼拝者集団として礼拝を継続。
歌声ペトラはペトラクラブを会場に始まった賛美集会です。
MACF(ミッションエイド・クリスチャンフェロシップ)という名前は「教会」という名前の持つ「会堂」と連動したイメージを避け、そもそもの集まりの意味を考えてつけたものでした。
ミッション・エイドとは「宣教支援」あるいは「神が私たちに託してくださったミッション、すなわち命あるものをケアする生き方をしっかり実行しながら生きる」という人々を育成すること。
そしてクリスチャン・フェロシップとは「クリスチャンの交流」あるいは「礼拝の中でこそ体験できる神との交わり、人との共感」をしっかり味わいながら生きる人たちを励ますこと。
礼拝の民が礼拝における共感を味わい、それを喜びながら集うなら、きっと「生命のケア」と「宣教や復興への奉仕の心」が育つに違いない、それが「教会」という集合体の本質ではないかと考えました。
まず礼拝の心を養うことから、すべての支援的な発想や行動が生まれてくるのだろうと考えました。

私も「いのちをケアする」という意味で、牧師ということだけにとどまらず、専門学校の講師、また校長、リハビリ介護のあり方への提言や介護家族へのカウンセリング、歌詞作り、日々の聖句の配信、大学や社会福祉協議会での講演、地域における福祉的な活動、そしてクリスチャンへの神学講座、神学校での講義など、頼まれればできるだけ拒否せず、できる事を精一杯お手伝いすることで何か支援的な効用があればと考えつつ実行してきました
この教会の成長の背後に平塚修久先生や岩本遠億先生や伊藤彰先生たちには長い間お世話になりました。特に平塚先生には私が燃え尽き症候群のような状況の時からずっと教育面でのケアをしていただきました。今諸先生方は、それぞれご自分の教会の牧師として働いておられますが本当に大きな支えを感謝しています。
そして今年から原田元道先生を協力牧師としてお迎えして、礼拝を継続できていることを感謝しています。
奏樂者の皆さん、音響や会計やお花の奉仕をしてくださっている方々、また中心的にお支えくださった礼拝を楽しみにしながら参加してくださっている皆様方おひとりおひとりに心から感謝申し上げます。 
今年も本当にお世話になりました。感謝いたします。
祝福が豊かにありますように。新年も宜しくお願いいたします。               
                    2018/12/30     
                                          関根一夫

【日ごとの糧】2018.12.29

【日ごとの糧】〜ローズンゲンによる〜
2018.12.29

若者も倦み、疲れ、勇士もつまずき倒れようが
主に望みをおく人は新たな力を得 鷲のように翼を張って上る。
走っても弱ることなく、歩いても疲れない。
(イザヤ書40章30〜31節)

神は、おくびょうの霊ではなく、力と愛と思慮分別の霊をわたしたちにくださったのです。
(テモテへの手紙第二1章7節)
++++++
「主に望みをおく」という作業は簡単なようで難しく、難しいようで簡単と言われます。
人間は弱いですから、躓いたり、悩んだり、落ち込んだりするのは当然なのです。
自分の身を、神の手の中で生かされていると考えることができたとき、たとえ
自分に理不尽な事が起こっても、自分の心はある程度平静でいられます。
神の計画とその愛の中に守られていることを知っているからです。

聖霊は、それを信頼できるように私たちを導き、私たちを促してくださいます。
自分だけで立ち向かおうとしたら、臆病になります。それは当然です。
しかし、神の力と神の愛と神による思慮分別が私たちを包んでくれているとすれば、
前向きに考えることは可能です。あるいは自分の存在全部をおまかせして、とにかく
「今を生きる」ことを選ぶことは可能でしょう。
そこにこそ、神のみ手を味わうきっかけがあるのかもしれません。

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