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【新入社員研修】
昨日は午前中、近くの老健施設での新入社員研修の講座があり、午後はクリニックでのカウンセリングがありました。
ここ数年、ずっと新人研修の講座に招かれて、相変わらず「いてくれてありがとう」を土台に1時間から1時間半の講座を開催しているのですが、今年も機会が与えられ、嬉しく思いました。
前回までは日野市にある同じ系列の施設で開催されていたのですが、
今年は東久留米市の私の家から歩いて3分のところにある施設だったので楽ちんでした。
講座の終わりに、この文章を紹介しました。
そして、お互いに「いてくれてありがとう」を言いながらの握手の時間を持ちました。テレながらも嬉しそうに握手をし合っている新人たちのために祝福を祈りました。
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手紙
親愛なる子供たちへ
年老いた私が、ある日
今までの私と違っていたとしても
どうかそのままの私のことを理解して欲しい
私が服の上に食べ物をこぼしても 靴紐を結び忘れても
あなたに色んなことを教えたように 見守って欲しい
あなたと話すとき、同じ話を
何度も何度も繰り返しても
その結末を どうか さえぎらずに
うなずいて欲しい
あなたにせがまれて 繰り返し読んだ絵本の あたたかな結末は
いつも同じで 私の心を平和にしてくれた
悲しい事ではないんだ
消え去ってゆくように
見える私の心へと
励ましのまなざしを
向けて欲しい
楽しいひと時に
私が思わず下着を
濡らしてしまったり
お風呂に入るのを嫌がる時には
思い出して欲しい
あなたを追い回し
何度も着替えさせたり
様々な理由をつけて
嫌がるあなたと
お風呂に入った
懐かしい日のことを
悲しい事ではないんだ
旅立ちの前の準備をしている私に
祝福の祈りを捧げて欲しい
いずれ歯も弱り 飲み込む事さえ
出来なくなるかも知れない
足も衰えて立ち上がる事すら
出来なくなったら
あなたが か弱い足で立ち上がろうと 私に助けを求めたように
よろめく私に
どうかあなたの手を握らせて欲しい
私の姿を見て悲しんだり
自分が無力だと思わないで欲しい
あなたを抱きしめる力がないのを
知るのはつらい事だけど
私を理解して支えてくれる
心だけを持っていて欲しい
きっとそれだけで それだけで
私には勇気がわいてくるのです。
あなたの人生の始まりに
私がしっかり付き添ったように
私の人生の終わりに
少しだけ付き添って欲しい
あなたが生まれてくれたことで
私が受けた多くの喜びと
あなたに対する変わらぬ愛を持って 笑顔で答えたい
私の子供たちへ
愛する子供たちへ
角川書店出版「手紙〜親愛なる子供たちへ〜
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【日ごとの糧】〜ローズンゲンによる〜
2019.04.03
主よ、神々の中にあなたのような方が誰かあるでしょうか。
誰か、あなたのように聖において輝きほむべき御業によって畏れられくすしき御業を行う方があるでしょうか。
(出エジプト記15章11節)
わたしたちは知っています。
神の子が来て、真実な方を知る力を与えてくださいました。
わたしたちは真実な方の内に、その御子イエス・キリストの内にいるのです。この方こそ、真実の神、永遠の命です。
子たちよ、偶像を避けなさい。
(ヨハネの手紙第一5章20−21節)
++++
御子イエス・キリストを信頼し、その御方を通して父なる神を深く知り、礼拝者として生きること。ここに聖書の求めている私達の生き方の原点があります。
キリストこそ神の御子、キリストが示してくださったお方のみを神と崇め、他の何者をも「神」とはしないこと。
気をつけないと、私達は簡単に、神を入れ替えてしまうことがあるのです。お金や品物や有名な人は、聖書の教える神ではありません。
礼拝の対象とはなりませんし、神としてはいけないのです。
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○今週の金曜日、バイブルワークショップが開催されます。
ぜひ、どうぞ。1020amと1920pmの2回。OCC404号室です。
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【今日の聖句】
2019.04.03
【ペトロの手紙第一】
2:22 「この方は、罪を犯したことがなく、/その口には偽りがなかった。」
2:23 ののしられてもののしり返さず、苦しめられても人を脅さず、正しくお裁きになる方にお任せになりました。
2:24 そして、十字架にかかって、自らその身にわたしたちの罪を担ってくださいました。
わたしたちが、罪に対して死んで、義によって生きるようになるためです。そのお受けになった傷によって、あなたがたはいやされました。
***
キリストの十字架は私たち人間の罪を背負い、その罰、裁きを全部引き受けるという意味がありましたから、そこには一切の「報復」「口答え」「言い訳」はありませんでした。
すべてを神様にお任せして「罪ある者の総代表」として黙々と苦しみの道を行かれました。
私たちが罪の痛み、罪責感から救われ、癒され、赦しの恵みを経験し、キリストの生き方を模範として歩むことができるために、キリ
ストは十字架で死なれました。
「キリストによる救い」によって、私達はこれから自由奔放に生きられるわけではなく、むしろ、私のために罪の代価としていのちを
提供し、死んでくださった救い主に感謝と礼拝をささげながら生きるべきことが教えられています。
私達は、キリストの喜びを生きようにと勧められているのです。
癒しも赦しも模範もキリストの十字架にあるのです。
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詩編
121:1 【都に上る歌。】目を上げて、わたしは山々を仰ぐ。
わたしの助けはどこから来るのか。
121:2 わたしの助けは来る天地を造られた主のもとから。
121:3 どうか、主があなたを助けて足がよろめかないようにしまどろむことなく見守ってくださるように。
121:4 見よ、イスラエルを見守る方はまどろむことなく、
眠ることもない。
121:5 主はあなたを見守る方あなたを覆う陰、あなたの右にいます方。
121:6 昼、太陽はあなたを撃つことがなく夜、月もあなたを撃つことがない。
121:7 主がすべての災いを遠ざけてあなたを見守りあなたの魂を見守ってくださるように。
121:8 あなたの出で立つのも帰るのも主が見守ってくださるように。今も、そしてとこしえに。
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山々を見回しながら、その向こう側に神を思い、神の助けを信頼する詩編。
そこには圧倒的な神の憐れみ、神の側からの支援的な姿勢が告白されています。
ゆっくりこの詩篇を読み、「あなた」という部分に自分の名前を入れて味わってみましょう。
嬉しくなりますよ。
バイブルワークショップ「文語体の詩編を読む」での121編の
講座はこちらです。お時間のあるときにどうぞ。
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