ブログ「いてくれてありがとう」

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【ユージン・スミス写真集】

2017年に発行された「ユージン・スミス写真集」を購入しました。
ユージン・スミス(W. Eugene Smith:1918-1978)は
世界に「水俣の公害問題を知らしめた写真家」として有名です。
彼は3年間水俣に住んで写真を撮りました。

この作品集は、モノクロの写真が150点ほど収録されたリアルな世界を切り取って撮した作品。「カントリー・ドクター」「スペインの村」「助産師モード」をはじめ、シュバイツァー博士を追った「慈悲の人」をはじめ、日本を取材した「太平洋戦争」「日立」、世界に公害の恐怖を知らしめた「水俣」など、写真を前にしてしばらく見入ってしまうような作品群。
迫力がすごいです。
彼の言葉を紹介します。

***
信念、トライ、カメラ、そしてフィルム。私の良心の、壊れやすい武器たち。これらを武器に私は戦った。
++++
写真はせいぜい小さな声にすぎないが、ときたま〜ほんのときたま〜一枚の写真、あるいは、ひと組の写真がわれわれの意識を呼び覚すことができる。
写真を見る人間によるところが大きいが、ときには写真が、思考への触媒となるのに充分な感情を呼び起こすことができる。

われわれのうちあるもの〜たぶん少なからぬもの〜は影響を受け、道理に心をかたむけ、誤りを正す方法を見つけるだろう。
そして、ひとつの病の治癒の探求に必要な献身へと奮いたつことさえあるだろう。
そうでないものも、たぶん、われわれ自身の生活からは遠い存在である人びとをずっとよく理解し、共感するだろう。

写真は小さな声だ。私の生活の重要な声である。
それが唯一というわけではないが、私は写真を信じている。
もし充分に熟成されていれば、写真はときには物を言う。
それが私〜そしてアイリーン〜が水俣で写真をとる理由である。
++++

作品としての卓越性ばかりでなく、世界に問題を提起し、発信した勇気、そしてそれによってもたらされた写真の情報力、説得力。
写真の奥深さを示してくれる作品集でした。
いてくれてありがとう!

【日ごとの糧】2019.01.31

【日ごとの糧】〜ローズンゲンによる〜
2019.01.31

軽率なひと言が剣のように刺すこともある。知恵ある人の舌は癒す。
(箴言12章18節)

また、船を御覧なさい。あのように大きくて、強風に吹きまくられている船も、舵取りは、ごく小さい舵で意のままに操ります。
同じように、舌は小さな器官ですが、大言壮語するのです。御覧なさい。どんなに小さな火でも大きい森を燃やしてしまう。
(ヤコブの手紙3章4−5節)
+++
癒やす言葉よりも、剣のように刺す言葉のほうが圧倒的に多い自分のことを指摘され、なんとも暗澹とした気持ちになっている朝です。
言葉の足りなさ、嫌味の言葉、尖った言葉をどうぞ、お赦しください。

塩味のついた言葉、やさしさにあふれ、よく考え抜かれた言葉を語りたいものだと思います。
主よ、私の心も、私の舌もきよめ、平和を作る言葉が語れますように。
あなたの愛のこもった言葉が分かち合えますように。
御名によって、アーメン

【今日の聖句】2019.01.31

【今日の聖句】
2019.01.31
【ヤコブの手紙】
2:15 もし、兄弟あるいは姉妹が、着る物もなく、その日の食べ物にも事欠いているとき、
2:16 あなたがたのだれかが、彼らに、「安心して行きなさい。温まりなさい。満腹するまで食べなさい」と言うだけで、体に必要なものを何一つ与えないなら、何の役に立つでしょう。
2:17 信仰もこれと同じです。行いが伴わないなら、信仰はそれだけでは死んだものです。
***
今朝の御言葉の内容は「カウンセリング」と「信仰による奉仕」との内容の違いと似ているかもしれません。
情報を提供し、行くべき場所を教え、言葉のやり取りの中で受容と支持を提供することは大切な働きだと思います。
広い意味で言えば「カウンセリング」はそういう役割を持っています。
ただ、空腹なのに言葉だけ、寒いのに言葉だけという対応は情報提供としてはとても有益ですが、「愛」という側面から考えた時、何か不足しているように感じるわけです。当然、情報提供にしても愛のこもった仕方がありますから、カウンセリングを否定するものではありません。

愛から生まれる行動を促す信仰こそキリストが与えてくださる信仰です。自分の兄弟が困窮しており、必要を訴えている時、それにまったく無頓着でとりあう事もなく、心も痛めず、言葉もかけず、もし言葉をかけるにしても「祈っているから」を繰り返すだけだったら、その人の信仰には「実質的な愛」が欠如しているように感じます。もちろん、そんなことについて人のことを裁く資格は私にはありません。

しかし、だからといって物を配給することだけが必要なわけではありません。人はパンだけで生きるものではないからです。
私に愛があるのかどうか?心を痛め、自分の兄弟や仲間たち、絆を深めている人たちへの祝福を考えながら生きているのかどうか?
それができていないから救われていないということではありません。
でも、救われているなら、愛が増し加えられるよう求めながら生きたらどうですかという勧めの言葉として読まれる必要があるのです。

愛の行いを生み出す信仰をキリストは私たちの心に与えてくださいました。キリスト教の信仰は自分が救われることだけのための自己完結型の信仰ではなく、いつの間にか神を深く喜び、人を愛することを望
むように心が動いていく信仰なのです。


+++++

【詩編】
92:1 【賛歌。歌。安息日に。】
92:2 いかに楽しいことでしょう主に感謝をささげることは
いと高き神よ、御名をほめ歌い
92:3 朝ごとに、あなたの慈しみを夜ごとに、あなたのまことを述べ伝えることは
92:4 十弦の琴に合わせ、竪琴に合わせ琴の調べに合わせて。
92:5 主よ、あなたは御業を喜び祝わせてくださいます。
わたしは御手の業を喜び歌います。
92:6 主よ、御業はいかに大きく 御計らいはいかに深いことでしょう。
92:7 愚かな者はそれを知ることなく 無知な者はそれを悟ろうとしません。
92:8 神に逆らう者が野の草のように茂り 悪を行う者が皆、花を咲かせるように見えても永遠に滅ぼされてしまいます。
92:9 主よ、あなたこそ、永遠に高くいます方。
92:10 主よ、あなたに敵対する者は、必ずあなたに敵対する者は、
必ず滅び悪を行う者は皆、散らされて行きます。
92:11 あなたはわたしの角を野牛のように上げさせ 豊かな油を注ぎかけてくださることでしょう
92:12 わたしを陥れようとする者をこの目で見
悪人がわたしに逆らって立つのをこの耳で聞いているときにも。
92:13 神に従う人はなつめやしのように茂り
レバノンの杉のようにそびえます。
92:14 主の家に植えられ わたしたちの神の庭に茂ります。
92:15 白髪になってもなお実を結び 命に溢れ、いきいきとし
92:16 述べ伝えるでしょう
わたしの岩と頼む主は正しい方 御もとには不正がない、と。
++++++++
神への賛美と礼拝を楽しみながら生きることの祝福が歌われています。
神を味方として生きる祝福、神の勝利を味わいながら、また、それを期待しながら生きる生き方の中に、いきいきとしたいのちが溢れてきます。辛いことが無くなるわけではありません。
悲しいこともあるでしょう。しかし、主の真実はかならず、その涙を拭ってくださるのです。
神は公正な方、憐れみ深く永遠の味方でいてくださるからです。

【日ごとの糧】2019.01.30

【日ごとの糧】〜ローズンゲンによる〜
2019.01.30


主よ、わたしたちを御心に留め祝福してください。
イスラエルの家を祝福し アロンの家を祝福してください。
(詩編115編12節)


しかし、悪霊があなたがたに服従するからといって、喜んではならない。むしろ、あなたがたの名が天に書き記されていることを喜びなさい。
(ルカによる福音書10章20節)
+++
私たちが欲する祝福にはいろいろな種類があるように思います。
でも、神の祝福は必ずしも「わたしはこれができるようになった」とか「私はこれを手に入れた」とか「自分の地位があがった」とかいうことではないかもしれません。
むしろ、神との絆が深まり、神にたいしてもっと安心して頼れるようになるという関係における深まりが土台にあるように思います。
神に忘れられることがない、神に捨て去られることはない、神は私への深い愛をしっかり持ち続けてくださるという確信こそ、私たちに必要な神の祝福なのだと思います。

【今日の聖句】2019.01.30

◎今週はバイブルワークショップがあります。2月1日(金)午前10時20分と午後7時20分からです。会場はOCC 404号室です。
ぜひ、どうぞ。
+++
【今日の聖句】
2019.01.30
【ヤコブの手紙】
2:10 律法全体を守ったとしても、一つの点でおちどがあるなら、すべての点について有罪となるからです。
2:11 「姦淫するな」と言われた方は、「殺すな」とも言われました。そこで、たとえ姦淫はしなくても、人殺しをすれば、あなたは律法の違犯者になるのです。
2:12 自由をもたらす律法によっていずれは裁かれる者として、語り、またふるまいなさい。
2:13 人に憐れみをかけない者には、憐れみのない裁きが下されます。憐れみは裁きに打ち勝つのです。
2:14 わたしの兄弟たち、自分は信仰を持っていると言う者がいても、行いが伴わなければ、何の役に立つでしょうか。そのような信仰が、彼を救うことができるでしょうか。
++++++
私は、このことについては罪を犯しているけれど、あの罪は犯していないから安全だなどとは言えないとヤコブは教えています。
もし、律法を全部守ることでのみ救いがあるのだとすれば、私たちはその全体をしっかり守らなければなりません。
では、律法を全く無視してしまってよいのかといえば、それは違います。
律法は聖なるものですから、それを丁寧に教えられ、神の愛に支えられつつ喜んでその律法に対して行動することが励まされています。
つまり、恵みによる罪の赦しが十字架を通して与えられ、自分の無能力さや自分の罪深さを教えられますが、同時に赦された罪人としての自覚を持ちつつ、精一杯神の愛に応える生き方をしたくなるものなのです。
もし、そういう気持ちが起こらないとすれば、どこかに機能不全というか、血管が詰まってしまっているような状況が起こっているのかもしれません。
神の愛で生かされていることがわかると、その愛を受けて、自分にも他者にも柔らかい心で応答できるようになってきます。笑顔が自然に出てきます。
友人たちの祝福を喜べるようにもなってくるでしょう。
罪の赦しをもたらす神の愛は、私たちの生活の中に、その行動や言葉の中に変化を作り出してくださいます。


++++

【詩編】
91:1 いと高き神のもとに身を寄せて隠れ全能の神の陰に宿る人よ
91:2 主に申し上げよ「わたしの避けどころ、砦わたしの神、依り頼む方」と。
91:3 神はあなたを救い出してくださる仕掛けられた罠から、陥れる言葉から。
91:4 神は羽をもってあなたを覆い翼の下にかばってくださる。
神のまことは大盾、小盾。
91:5 夜、脅かすものをも昼、飛んで来る矢をも、恐れることはない。
91:6 暗黒の中を行く疫病も真昼に襲う病魔も
91:7 あなたの傍らに一千の人あなたの右に一万の人が倒れるときすらあなたを襲うことはない。
91:8 あなたの目が、それを眺めるのみ。神に逆らう者の受ける報いを見ているのみ。
91:9 あなたは主を避けどころとしいと高き神を宿るところとした。
91:10 あなたには災難もふりかかることがなく天幕には疫病も触れることがない。
91:11 主はあなたのために、御使いに命じてあなたの道のどこにおいても守らせてくださる。
91:12 彼らはあなたをその手にのせて運び足が石に当たらないように守る。
91:13 あなたは獅子と毒蛇を踏みにじり獅子の子と大蛇を踏んで行く。
91:14 「彼はわたしを慕う者だから彼を災いから逃れさせよう。わたしの名を知る者だから、彼を高く上げよう。
91:15 彼がわたしを呼び求めるとき、彼に答え苦難の襲うとき、彼と共にいて助け彼に名誉を与えよう。
91:16 生涯、彼を満ち足らせわたしの救いを彼に見せよう。」
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神さまによる守りの絶大な力、その偉大な愛による私たちへのケアの心の深さ、安心して生きられる希望、がこの詩篇の中には歌われています。
こういう詩編を読んでいると元気がでます。
自分がすごい存在だから神がこのように応答してくれるのではなく、あまりに憐れみ深い神であるゆえに、私たちのような小さな存在に対しても憐れみをかけ、力を注ぎ、助けてくださるのだということを
心に留めながらこの詩をしっかり読みたいですね。

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