ブログ「いてくれてありがとう」

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【カロル】

【カロル】

ヨハネ・パウロ2世の自伝的映画「カロル」をDVDで見ました。3時間を超える大作ですが、見応えがありました。
以前、四谷のドン・ボスコ社で友達から勧められて購入したDVDです。

ナチスのポーランド侵攻とユダヤ人虐待、その後ポーランとの共産化と教会の対応など暗い歴史の側面、多くの友人たちの死の悲嘆、戦争の愚かさ、人間の残酷さが描き出されています。
そんな時代背景の中で、ひとりの人がどのように信仰を持ち、神の愛を知り、それを深め、それを生きることの大切さを知るようになったのか丁寧に描かれている感動的な作品です。

最近の「ローマ法王になる日まで」や少し前の「ヨハネ23世」という作品も、それぞれ一人の神父が法王になる日までの伝記を取り扱ったものですが、この「カロル」もそれらの映画と同様の手法でローマ法王に選ばれた時の挨拶が映し出されます。

それら、どの映画の中にも「愛」「自由」「平和」のための労苦を惜しまない人たちの存在があり、心が温かくなります。しかも暗黒の歴史の中での信仰の戦いの姿でもあるので、目を覆いたくなるような現実がそこに映し出されています。
そして、どの映画にも「主人公」は存在しますが、必ず、それを支えた仲間、同志、友人たちの存在が描かれています。
つまり、ひとりの傑出した人物の成果としてではなく、同じ信仰や志を持つ仲間たちの支援があってこそ成り立った物語です。
しかも、その絆は「愛」しかありません。いのちへの畏敬、敵への赦し、神の愛、それらを飾り物としてではなく、生きている人たちの姿は目立ちませんが、どこかに足跡を残しているのですね。

最近、自分自身の心を整えたいという意識が強くなり、何がどうなればよいのか、何をどうすればよいのかあれこれ考えています。
この映画は、神様に向かって「いてくれてありがとう」を伝えたくなる作品でした。

【日ごとの糧】2019.02.28

【日ごとの糧】〜ローズンゲンによる〜
2019.02.28

呼びかけよ、と声は言う。わたしは言う、何と呼びかけたらよいのか、と。
肉なる者は皆、草に等しい。永らえても、すべては野の花のようなもの。草は枯れ、花はしぼむがわたしたちの神の言葉はとこしえに立つ。
(イザヤ書40章6,8節)

天地は滅びるが、わたしの言葉は決して滅びない。」
(マタイによる福音書24章35節)
+++++++
人間の言葉による約束は決して不動のものではありません。
状況によって変化し、破棄されることもあります。
言葉があてにならない時代を私たちは生きています。
しかし、神の言葉は変わることがなく、それは時代も文化も貫き通し、
一貫して恵みを伝え、心に愛と自由と平和をもたらすために、書かれ、語られ、伝えられています。
今日、私たちの希望の拠り所としての聖書の言葉をしっかり受け止めながら生きる決意を固めることができますように。



【今日の聖句】2019.02.28

【今日の聖句】
2019.02.28

【ヤコブの手紙】
5:2 あなたがたの富は朽ち果て、衣服には虫が付き、
5:3 金銀もさびてしまいます。このさびこそが、あなたがたの罪の証拠となり、あなたがたの肉を火のように食い尽くすでしょう。
あなたがたは、この終わりの時のために宝を蓄えたのでした。
5:4 御覧なさい。畑を刈り入れた労働者にあなたがたが支払わなかった賃金が、叫び声をあげています。
刈り入れをした人々の叫びは、万軍の主の耳に達しました。
5:5 あなたがたは、地上でぜいたくに暮らして、快楽にふけり、屠られる日に備え、自分の心を太らせ、
5:6 正しい人を罪に定めて、殺した。その人は、あなたがたに抵抗していません。
++++++
富んでいる人への糾弾の言葉です。
彼らの最大の問題点は貧しい労働者たちからの搾取。
支払うべき賃金を払わず、自分の私利私欲に走り、弱い人達を食い物にした生き方に対する神の裁きがあることをヤコブは語っています。
私たちが日常的に何気なく使用しているものがどこで作られ、どういうプロセスを経て手元に届いているのかを調べてみると、
案外、搾取の構造が見えることがあります。
つまり、知らず知らずのうちに、私たちは富める側の人間となり、搾取に協力していることが多いのです。
そもそも貧しい人たちや弱い人達の社会の中での存在に、それほど心を留めていない現状があり、それは深刻な問題を生み出しています。
「無関心」と「ぜいたく」は搾取している人間にとって、最高の味方であり、仲間となるでしょう。
使い捨て文化は「富んでいる人がさらに富むための手法」であり、「資源の枯渇を生み出す深刻な文化」なのかもしれません。

++++

【詩編】
113:1 ハレルヤ。主の僕らよ、主を賛美せよ 主の御名を賛美せよ。
113:2 今よりとこしえに 主の御名がたたえられるように。
113:3 日の昇るところから日の沈むところまで 主の御名が賛美されるように。
113:4 主はすべての国を超えて高くいまし 主の栄光は天を超えて輝く。
113:5 わたしたちの神、主に並ぶものがあろうか。
主は御座を高く置き
113:6 なお、低く下って天と地を御覧になる。
113:7 弱い者を塵の中から起こし 乏しい者を芥の中から高く上げ
113:8 自由な人々の列に 民の自由な人々の列に返してくださる。
113:9 子のない女を家に返し 子を持つ母の喜びを与えてくださる。ハレルヤ。
+++++
世界中いたるところで主の御名が崇められ、賛美されるようにと作者は歌っています。
神への畏敬、尊敬と礼拝、そして神の弱者に対する優しさと心配りの温かさを作者は知っています。
私たちも日々の生活の中で、そのきめ細やかな神の配慮を知ることができますように。

【自分の顔】

【自分の顔】

オーストラリアで撮った写真をプリントして友人に送ることにしました。たまたま、部屋にやってきたクリニックのスタッフに見せたところ、
「関根先生は、なんだなすっきり向こうの人達の中になじんでいて、日本人ぽくないですね」と言われました。
自分ではなぜなのかよくわかりませんが、私には面白い経験があるのです。

韓国に大学生のための集会で招かれてホテルから会場に向かって地下鉄に乗っていると、おばあさんが近づいてきて何か韓国語で私に尋ねたのです。
私は韓国語がわからないので、
「ごめんなさい、私は日本人なのです。言葉がわかりません。」と言ったら、おばあさんはちょっと怪訝そうな顔をして、次に、怒り出しました。
言葉がわからないので、問題はないのですが、なんとなく私が嘘をついたと思ったのかもしれません。次の駅で降りることになっていたので、大きな問題にはなりませんでしたが。

シンガポールに行って、中華料理を食べに行った時、私の神学校時代の先輩と一緒だったのですが、レストランの担当者が私に中国語で話しかけてきたので、
英語で「ごめんなさい。私は日本人なのです。中国語がわかりません」と言ったら、彼女は英語で、「いいえ、あなたは中国人でしょ、お友達と中国語で話しているのを聞きましたよ」と。
「絶対そんなことはありません。そうですよね」と先輩の方を向いたら、ニコニコしながら「あー、彼は中国人。日本に長くいたから、中国語を忘れてしまったんだ。」
「私は日本人ですよー。絶対に日本人です」
と言いましたが、彼女は信じてくれませんでした。

アメリカのカリフォルニアのリバーサイドにある教会の友人たちのところに泊めてもらったとき、(これはお茶の水クリスチャンセンターのフライデーナイトのメンバーと一緒に旅行したときのことですが)
岸田くんと小林くんと私がお世話になったのは、教会のベース奏者の方のお宅。そのご夫妻はアフリカン・アメリカンの方でした。
ちょうど、その時、そのご主人のお父さんがアトランタから訪問中だったのですが、私の顔をしげしげと眺めて、
「お前の顔は、デトロイトにいる親戚のおじさんにそっくりだ」と嬉しそうに話してくれました。
「そんな訳ないでしょ」と思いましたが、ありがたいことだと感じました。受け入れられている事がよくわかったからです。

別の機会のとき、アメリカで学生たちの集会の中で「関根先生はアメリカのどちらにお住まいですか」と尋ねられたので、
「私は、日本在住です」と言ったら、
「嘘でしょ。だって、三世でしょ。あるいは二世?」と答えが帰ってきたので「純粋な日本人です」と答えたら
「どう見ても、そうは思えない」と言われました。

一言で言えば、ずうずうしい顔なのです。
別の言い方をすれば「どこにでも馴染む顔」でもあるのかもしれません。
だから、きっと言いやすいんですね。
誰に対しても「いてくれてありがとう」


【日ごとの糧】2019.02.27

【日ごとの糧】〜ローズンゲンによる〜
2019.02.27

わたしは失われたものを尋ね求め、追われたものを連れ戻し、
傷ついたものを包み、弱ったものを強くする。
しかし、肥えたものと強いものを滅ぼす。
わたしは公平をもって彼らを養う。
(エゼキエル書34章16節)


あなたがたはどう思うか。ある人が羊を百匹持っていて、
その一匹が迷い出たとすれば、九十九匹を山に残しておいて、
迷い出た一匹を捜しに行かないだろうか。
(マタイによる福音書18章12節)
++++
神様は、迷子になり、途方にくれている私たちを探し出し、
愛で包み、支えてくださいます。
問題は、私たちが自分の迷子状態について深刻な出来事として
感じることもなく、まぁ、なんとかなるだろうとたかを括っていることにあるような気がします。
その発想の背後には、「富める人」のおごりがあるように感じます。
自分でなんとかやっていけるという、神など不要だと言わんばかりの
高慢がそこにあるように思います。
それは実に、神を悲しませている現実であり、自らの救いを拒否している姿でもあります。

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