ブログ「いてくれてありがとう」

「いてくれてありがとう」「God Bless You」をあなたの心に届けたい

雑記

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今日の聖句

今日の聖句
2014.04.03
【ヨハネの黙示録】
12:1 また、天に大きなしるしが現れた。一人の女が身に太陽をまとい、月を足の
下にし、頭には十二の星の冠をかぶっていた。
12:2 女は身ごもっていたが、子を産む痛みと苦しみのため叫んでいた。
12:3 また、もう一つのしるしが天に現れた。見よ、火のように赤い大きな竜であ
る。これには七つの頭と十本の角があって、その頭に七つの冠をかぶっていた。
12:4 竜の尾は、天の星の三分の一を掃き寄せて、地上に投げつけた。そして、竜
は子を産もうとしている女の前に立ちはだかり、産んだら、その子を食べてしま
おうとしていた。
12:5 女は男の子を産んだ。この子は、鉄の杖ですべての国民を治めることになっ
ていた。子は神のもとへ、その玉座へ引き上げられた。
12:6 女は荒れ野へ逃げ込んだ。そこには、この女が千二百六十日の間養われるよ
うに、神の用意された場所があった。
++++
天における幻が紹介されます。
ここに登場する「ひとりの女」とは、イスラエル民族、もしくは霊的イスラエルと言わ
れる教会のことと考えることが出来ます。頭にある12の星の冠はイスラエルの12
部族あるいは、12使徒をさす事も出来ます。
この女に対して敵意をもった火のように赤い竜が登場します。この竜には7つの
頭と10本の角、その頭には7つの冠をかぶっています。7つの頭は悪魔の象徴的な
姿とも言われています。10本の角、7つの冠は権威を象徴しているのですが、これ
らの描写はダニエル書7章と8章の描写にとてもよく似ています。
女が産んだ「男の子」はキリストのことですが、敵はまさにこの子を食べてしま
おうと狙っている事がわかります。しかしそれは不可能です。神のもとへ、その
玉座に引き上げられるからです。これは十字架と復活を連想させられる描写です。
そして「女」は荒れ野に逃げ込みます。荒れ野とは試練の場であり、同時に神の
愛の実現の場でもあります。1260日という言葉がここにまた出てきます。
7年の半分の「3年半」の日数です。期間限定であり、永続的なものでもなく、
しばらくの間の苦難という意味です。
教会への苦難到来は当然の事として描かれています。しかし、それらは期間限定
であり、苦難の荒れ野が存在しますが、神の守りの場もそこに用意されていると
いうのです。
祝福がありますように。

++

【エレミヤ書 涙の預言者エレミヤ】
1:11 主の言葉がわたしに臨んだ。「エレミヤよ、何が見えるか。」わたしは答え
た。「アーモンド(シャーケード)の枝が見えます。」
1:12 主はわたしに言われた。「あなたの見るとおりだ。わたしは、わたしの言葉
を成し遂げようと見張っている(ショーケード)。」
1:13 主の言葉が再びわたしに臨んで言われた。「何が見えるか。」わたしは答え
た。「煮えたぎる鍋が見えます。北からこちらへ傾いています。」
1:14 主はわたしに言われた。北から災いが襲いかかるこの地に住む者すべてに。
1:15 北のすべての民とすべての国にわたしは今、呼びかける、と主は言われる。
彼らはやって来て、エルサレムの門の前に都をとりまく城壁とユダのすべての町
に向かってそれぞれ王座を据える。
1:16 わたしは、わが民の甚だしい悪に対して裁きを告げる。彼らはわたしを捨て、
他の神々に香をたき手で造ったものの前にひれ伏した。
1:17 あなたは腰に帯を締め立って、彼らに語れわたしが命じることをすべて。彼
らの前におののくなわたし自身があなたを彼らの前でおののかせることがないよ
うに。
1:18 わたしは今日、あなたをこの国全土に向けて堅固な町とし、鉄の柱、青銅の
城壁としてユダの王やその高官たちその祭司や国の民に立ち向かわせる。
1:19 彼らはあなたに戦いを挑むが勝つことはできない。わたしがあなたと共にい
て、救い出すと主は言われた。
+++++
エレミヤは若い預言者として立つのですが、その語るべき内容は厳しいものでし
た。神からの裁き、北からの敵の襲来だったからです。そしてその根源的な問題
は民のはなはだしい罪、偶像崇拝、神への冒涜がありました。
民は安逸をむさぼり、北からの敵は力があり民は勝つ事はできないと語られてい
ます。北からの敵とはバビロンの事です。
エレミヤがこの預言を行った時、ヨシヤ王の第十三年ですから紀元前640年のこと
です。バビロン捕囚が完了するのが586年。既にことの起こる50年も前に神はバビ
ロンがユダを滅ぼすことを語っておられるのです。
そんな内容を語るとき、王や高官、祭司はエレミヤに対してひどく敵対心を持つ
のですが、同時に、「神の守り」があることを神ご自身がしっかりエレミヤに告
げています。
祝福がありますように。

今日の聖句

おはようございます。
MACFの日曜礼拝の会場が
4月から変更になります。OCCの404号室です。
どうぞよろしくお願いします。
http://blogs.yahoo.co.jp/pastor_kazsek/54128302.html

++

今日の聖句
2014.04.02
【ヨハネの黙示録】
11:15 さて、第七の天使がラッパを吹いた。すると、天にさまざまな大声があっ
て、こう言った。「この世の国は、我らの主と、そのメシアのものとなった。主
は世々限りなく統治される。」
11:16 神の御前で、座に着いていた二十四人の長老は、ひれ伏して神を礼拝し、
11:17 こう言った。「今おられ、かつておられた方、全能者である神、主よ、感
謝いたします。大いなる力を振るって統治されたからです。
11:18 異邦人たちは怒り狂い、あなたも怒りを現された。死者の裁かれる時が来
ました。あなたの僕、預言者、聖なる者、御名を畏れる者には、小さな者にも大
きな者にも報いをお与えになり、地を滅ぼす者どもを滅ぼされる時が来ました。」
11:19 そして、天にある神の神殿が開かれて、その神殿の中にある契約の箱が見
え、稲妻、さまざまな音、雷、地震が起こり、大粒の雹が降った。
+++++
最後のラッパが吹き鳴らされるとまず、神の勝利とキリストがすべてを統治なさ
ることが宣言され、ここでも礼拝が捧げられます。そしてすべての者に報いと裁
きがもたらされること、すなわち神の最終的な勝利と神に対して反抗し、この地
上に対して誠実ではなく、この地を滅ぼす者たちへの最後の審判があることが
24人の長老によって語られます。それに反して神への信頼をもって生きている人
たちにはその役割が小さくても大きくても報いが用意されていることがわかりま
す。ここにも慰めの言葉を発見することができます。キリストにつながって生き
るなら、かならず報いがあるのです。
祝福がありますように。

++

【エレミヤ書 涙の預言者エレミヤ】
1:4 主の言葉がわたしに臨んだ。
1:5 「わたしはあなたを母の胎内に造る前からあなたを知っていた。母の胎から
生まれる前にわたしはあなたを聖別し諸国民の預言者として立てた。」
1:6 わたしは言った。「ああ、わが主なる神よわたしは語る言葉を知りません。
わたしは若者にすぎませんから。」
1:7 しかし、主はわたしに言われた。「若者にすぎないと言ってはならない。わ
たしがあなたを、だれのところへ遣わそうとも、行ってわたしが命じることをす
べて語れ。
1:8 彼らを恐れるな。わたしがあなたと共にいて必ず救い出す」と主は言われた。
1:9 主は手を伸ばして、わたしの口に触れ主はわたしに言われた。「見よ、わた
しはあなたの口にわたしの言葉を授ける。
1:10 見よ、今日、あなたに諸国民、諸王国に対する権威をゆだねる。抜き、壊し、
滅ぼし、破壊しあるいは建て、植えるために。」
+++
エレミヤが預言者としての使命を託されたのはまだ彼が若いときでした。
エレミヤ自身が「「ああ、わが主なる神よわたしは語る言葉を知りません。
わたしは若者にすぎませんから。」と答えています。
しかし主は、「若者にすぎないと言ってはならない。わたしがあなたを、だれの
ところへ遣わそうとも、行ってわたしが命じることをすべて語れ。彼らを恐れる
な。わたしがあなたと共にいて必ず救い出す」
と伝えエレミヤの言い訳を却下します。
若さは神の前でマイナス要因ではないようです。
本当に大切なことは、神からの使命に応答することであり、主に知られている事、
主の守りと助けがあることを信頼することです。
預言者とは、神に託された言葉を伝えることであり、神はそのことをしっかりエ
レミヤに約束しておられます。しかし、それを語るのは必ずしも容易な事ではな
かったと思います。相手があり、その相手にとって不都合なことも語らなければ
ならないからです。罪の指摘、神への立ち返りへの促しなどはとても語り難い言
葉だったろうと思います。
昨日オーストラリアの友達が教えてくれたキリスト教関係の雑誌の中に「最近の
教会での賛美は賑やかだけれど、罪の告白や罪の指摘、悔い改めが教会からなく
なってしまっている」という文章がありました。語りにくい事柄は後回しにされ、
内部的な弱体化が始まっているという指摘でした。
語られるべき内容がしっかり語られないと、神の心は見えてこないのです。
教会が教会としての使命を果たせなくなります。
若い預言者エレミヤはどういう生き方をするのでしょう。
祝福がありますように。

今日の聖句

●おはようございます。今週金曜日はバイブルワークショップ。「福音書を読も
う」の1回目で「マタイの福音書」についての学びです。ぜひ、どうぞ。
10:20am と19:20pmからOCC 404号室、東京プレヤセンターにて。

●来週火曜日(4月8日)午後7時から「歌声ペトラ200曲完成記念」のイベントが
開催されます。ハワイから中村裕二先生も参加してくださる予定です。
一緒に歌ってください。1900pmからOCC 8Fです。
+++++
今日の聖句
2014.04.01
【ヨハネの黙示録】
11:7 二人がその証しを終えると、一匹の獣が、底なしの淵から上って来て彼らと
戦って勝ち、二人を殺してしまう。
11:8 彼らの死体は、たとえてソドムとかエジプトとか呼ばれる大きな都の大通り
に取り残される。この二人の証人の主も、その都で十字架につけられたのである。
11:9 さまざまの民族、種族、言葉の違う民、国民に属する人々は、三日半の間、
彼らの死体を眺め、それを墓に葬ることは許さないであろう。
11:10 地上の人々は、彼らのことで大いに喜び、贈り物をやり取りするであろう。
この二人の預言者は、地上の人々を苦しめたからである。
11:11 三日半たって、命の息が神から出て、この二人に入った。彼らが立ち上が
ると、これを見た人々は大いに恐れた。
11:12 二人は、天から大きな声があって、「ここに上って来い」と言うのを聞い
た。そして雲に乗って天に上った。彼らの敵もそれを見た。
11:13 そのとき、大地震が起こり、都の十分の一が倒れ、この地震のために七千
人が死に、残った人々は恐れを抱いて天の神の栄光をたたえた。
++++
証しをした二人も殺されてしまいます。
そして、彼らの死を喜ぶ人たちがいることも記録されています。人間の善悪の基
準とは実にいい加減な面があり、結局「自分たちにとっての狭い視野の中での善
悪」が基準になっていることが多いのです。「自分にとっての善悪、自分にとっ
ての都合の良さ」が判断基準になっていると、自分に都合の悪い事を伝える存在
は「悪」という事になり、彼らの死を喜ぶことが極めて自然な反応という事にな
ります。
しかし、神の持っている善悪の基準は人間のそれとは違っているようです。
殺された二人がやがて神の命の息によって生き返り、天に上ります。
それを見た人たちにとっては、その二人を殺したことは、良い事ではなかったと
気づき、同時に神の怒りがあるだろうと気づくはずです。
どうなっていくのでしょう。
祝福がありますように。

++

【エレミヤ書】

1:1 エレミヤの言葉。彼はベニヤミンの地のアナトトの祭司ヒルキヤの子であっ
た。
1:2 主の言葉が彼に臨んだのは、ユダの王、アモンの子ヨシヤの時代、その治世
の第十三年のことであり、
1:3 更にユダの王、ヨシヤの子ヨヤキムの時代にも臨み、ユダの王、ヨシヤの子
ゼデキヤの治世の第十一年の終わり、すなわち、その年の五月に、エルサレムの
住民が捕囚となるまで続いた。
++
今日からエレミヤ書を読みたいと思います。若くして預言者として召されたエレ
ミヤは祭司の息子であり、多くの王が登場した混乱した時代にその仕事をしてい
ます。最初の王ヨシヤの時代は比較的順調のようですが、その後は苦難な時代に
直面し、苦労の多い仕事をする事になります。最終的にはイスラエルの民はバビ
ロンに捕囚として捕らえられて行きます。
預言者エレミヤは民のかたくなで反抗的な心や偽預言者の安易な平和のメッセー
ジ、そして王による厳しい処遇による苦しみと悲しみを抱えながら、神に託され
た言葉を語り続けます。
少しずつ読んでいきたいと思います。
ちなみに英語の映画なのですが、エレミヤの人生を素材にした作品があります。
タイトルはそのまま「エレミヤ」Jeremiah でYoutubeで視聴出来ます。
お時間のある時にどうぞ。日本語字幕ではないのですが…。
https://www.youtube.com/watch?v=s-7R3Gr5Qcg
祝福がありますように。

今日の聖句

●お早うございます。昨日のMACF礼拝説教をYoutubeにアップしていただきました。
どうぞお聴きください。
https://www.youtube.com/watch?v=orVb4pG_Ym0

+++
今日の聖句
2014.03.31
【ヨハネの黙示録】
11:1 それから、わたしは杖のような物差しを与えられて、こう告げられた。「立っ
て神の神殿と祭壇とを測り、また、そこで礼拝している者たちを数えよ。
11:2 しかし、神殿の外の庭はそのままにしておけ。測ってはいけない。そこは異
邦人に与えられたからである。彼らは、四十二か月の間、この聖なる都を踏みに
じるであろう。
11:3 わたしは、自分の二人の証人に粗布をまとわせ、千二百六十日の間、預言さ
せよう。」
11:4 この二人の証人とは、地上の主の御前に立つ二本のオリーブの木、また二つ
の燭台である。
11:5 この二人に害を加えようとする者があれば、彼らの口から火が出て、その敵
を滅ぼすであろう。この二人に害を加えようとする者があれば、必ずこのように
殺される。
+++
「神の神殿と祭壇とを測り、礼拝しているものたちを数えよ」とありますが「測
る」という言葉には「町を開く」「建物を造る」「建物を建て直す」という意味
があります。同時に人を保護したり、物を保存するという象徴的な意味があると
言われています。
つまり、「神殿と礼拝者は神の保護のもとにある」ということをヨハネが杖のよ
うな物差しを受け取ることで象徴的に教えているのです。
そしてふたりの証人が登場し、証しのために神の言葉を語る役割が与えられます。
ちなみに、ヘロデ王によって再建された神殿には4つの庭があり、外の庭は異邦
人のためのものでありローマの兵隊たちも騒動や反乱の鎮圧のためにこの庭にま
で入る事ができたと言われています。
42ヶ月、1260日は同じ期間、3年半です。3年半の間、反キリスト的な勢力
が力を持ち、エルサレムを踏みにじるとありますが、3年半という中途半端な数
字が意味しているのは、この反キリスト的な勢力の勝利が一時的なものであるこ
とを示しています。
その間、神殿と礼拝者である主の民は、保護されているのだという事がわかりま
す。
祝福がありますように。


++++


【イザヤ書 救いは主から】
66:22 わたしの造る新しい天と新しい地がわたしの前に永く続くようにあなたた
ちの子孫とあなたたちの名も永く続くと主は言われる。
66:23 新月ごと、安息日ごとにすべての肉なる者はわたしの前に来てひれ伏すと
主は言われる。
66:24 外に出る人々は、わたしに背いた者らの死体を見る。蛆は絶えず、彼らを
焼く火は消えることがない。すべての肉なる者にとって彼らは憎悪の的となる。
+++
神殿のある神の都に留まり続ける重要さは、ここに書かれている永遠的な報いと、
その外に出て行ったものたちが受ける罰の深刻さの対比によってわかります。
神は私たちに「心からの礼拝」を求めているのです。
それを無視したり、それを拒否したりすることによる処罰は厳しいものです。
ちょっと、象徴的な拡大解釈になりますが、都に留まるとは「礼拝者として存在
する」という意味ともつながっています。イエス様は弟子たちに「高い所からの
力に覆われるまでは、都にとどまっていなさい。」と語りました。
いわゆる「礼拝」の重要さは、私たちが「霊的に生きる」「神とともに生きる」
ということの原点であり、すべての営みがそこから派生していると言えるほど大
切な出来事なのです。
それを無視したり、拒否したりすることは、いのちの源である神との関係を無視
する事につながるのです。神が求めている根源的な「関係のあり方」を否定する
ことになるからです。
私たちは実は「礼拝者」として召されているのです。奉仕のすべて、生き方のす
べては礼拝を原点とし、礼拝こそ行き着く最終地点なのです。
「礼拝者としての姿勢を維持する事」これは大切な生き方です。
祝福がありますように。(イザヤ書了)

MACF礼拝説教要旨

MACF礼拝説教要旨
   2014.03.30

【エゼキエル書17章】
  「枯れた骨の谷で」
++
エゼキエル書 37章
1 主の御手が私の上にあり、主の霊によって、私は連れ出され、谷間の真ん中に
置かれた。そこには骨が満ちていた。
2 主は私にその上をあちらこちらと行き巡らせた。なんと、その谷間には非常に
多くの骨があり、ひどく干からびていた。
3 主は私に仰せられた。「人の子よ。これらの骨は生き返ることができようか。」
私は答えた。「神、主よ。あなたがご存知です。」
4 主は私に仰せられた。「これらの骨に預言して言え。干からびた骨よ。主のこ
とばを聞け。
5 神である主はこれらの骨にこう仰せられる。見よ。わたしがおまえたちの中に
息を吹き入れるので、おまえたちは生き返る。
6 わたしがおまえたちに筋をつけ、肉を生じさせ、皮膚でおおい、おまえたちの
中に息を与え、おまえたちが生き返るとき、おまえたちはわたしが主であること
を知ろう。
7 私は、命じられたように預言した。私が預言していると、音がした。なんと、
大きなとどろき。すると、骨と骨とが互いにつながった。
8 私が見ていると、なんと、その上に筋がつき、肉が生じ、皮膚がその上をすっ
かりおおった。しかし、その中に息はなかった。
9 そのとき、主は仰せられた。「息に預言せよ。人の子よ。預言してその息に言
え。神である主はこう仰せられる。息よ。四方から吹いて来い。この殺された者
たちに吹き付けて、彼らを生き返らせよ。」
10 私が命じられたとおりに預言すると、息が彼らの中に入った。そして彼らは生
き返り、自分の足で立ち上がった。非常に多くの集団であった。
+++++
時代的な背景は、捕囚の民として絶望状態にあるユダヤ民族の状況が「枯れた骨
の谷」の中に象徴されています。彼らは生きているようでいながら実は、希望も
なく、心が死んでいるという状況です。
神は、その状況の中に「希望と命」をもたらします。

1) 枯れた骨の谷:そこに見られる絶望感
捕囚状況にあるユダヤ人ばかりでなく、希望を持てず、夢も持てず、抑圧され息
苦しいほどの無力感の中に生きているなら、この枯れた骨の状況はとても似てい
ると思います。
黙示録3章に「サルディスの教会」へのメッセージがありますが、そこには「生き
ているのは名ばかりで実は死んでいる」という言葉が語られています。
彼らは宗教集団としての体裁は保っていましたが、神の前に死んだも同然だった
というのです。

2) 預言者への命令と出来事
ここで預言者は神からの使命を帯びてふたつのことを命じられます。
そして、そのふたつのことによって、これらの枯れた骨が生き返るという出来事
が起こるのです。そのふたつとは
1.神の言葉を語る
預言者は枯れた骨に向かって「主の言葉を聞け」と言わされるのです。
「主の言葉」がそこに届くと、それは「神の希望の言葉」「神の恵みの言葉」「
神の真実な言葉」「福音と裁きの言葉」「赦しの言葉」なので、必ずそこに「姿
勢を正す」意識がもたらされるのです。
イエス様が悪魔に試みられた時、用いた有名な言葉「人はパンだけで生きるので
はなく、神の口からでるひとつひとつの言葉による」という旧約聖書からの引用
はとても重要な意味があります。
神の言葉は「不変」「偽りがなく真実」なので、心から安心して希望を託す事が
出来るのです。すべての人に、この希望の源である「神の言葉」が必要です。
そして、神の言葉は案外、私たちの近くにあるのです。

2.神の息によって吹き付けられるよう命じる
次に預言者は「神の息によって吹き付けられ、神の息によって生かされるように」
と骨に向かって命じます。
ここにある「息」とは「霊」とも「風」とも訳す事が出来る言葉ですが、神の言
葉が蒔かれ、心に植えられ、それが神の霊によってより深く理解されるとき、そ
れは命をもたらす言葉になります。
人は神の言葉と神の霊によって神の前に生きることになるのです。

3)私たちへのメッセージ
「神の言葉」と「神の霊」によって生かされるという事は、私たちにとってどう
いう意味があるでしょう。
もし、私たちが、希望を感じる事が出来ず、まるで「枯れた骨」のような気分で
いるとしても、神の言葉であるキリストは、私たちに命と希望をもたらす言葉を
私たちに語りかけてくださいます。
そして、キリストはその言葉を信頼する私たちに聖霊を与え、神の生命によって、
私たちを生かしてくださいます。
「神の言葉」と「神の霊」「神の息」によってこそ、私たちは神の前に「生きる
もの」となるのです。
私たちが、集中すべきは「神の言葉」と「神の霊」による取り扱いを
求めることです。これはイエス・キリストに集中することに他なりません。
キリストこそ「神の言葉」キリストこそ「神のいのち」だからです。
祝福がありますように。

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