ブログ「いてくれてありがとう」

「いてくれてありがとう」「God Bless You」をあなたの心に届けたい

雑記

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MACF礼拝説教要旨
2014.04.13
「受難告知と3つの要請」
マルコの福音書の中には3回にわたるイエスキリストの受難告知の記事が出てい
ます。
つまり十字架の死は決して偶発的な事故ではなく、計画され予定されていた「贖
い」の死であったということがわかります。
キリストの苦難は旧約聖書によって預言されており、まさにイエス様はそのこと
の成就のために来られたということが明白です。それにしても、命をかけるほど
大切な使命、命をかけるほど大切な存在として「私たちひとりひとり」が含まれ
ていることは実に嬉しいことです。もったいないほど、ありがたいことです。
キリストが父なる神によって遣わされ、いのちをかけて私たちを神との和解に導
き、神の祝福の中に引き入れようとしてくださったというメッセージを私たちは
忘れてはならないと思います。
しかし、今回、私はその受難の告白の前後にキリストが弟子たちに教えておられ
る大事な「生き方」の方向性があることを学んでみたいと思いました。

第1の告知
8章27節〜
29 するとイエスは、彼らに尋ねられた。「では、あなたがたは、わたしをだれだ
と言いますか。」ペテロが答えてイエスに言った。「あなたは、キリストです。」
30 するとイエスは、自分のことをだれにもいわないようにと、彼らを戒められた。
31 それから、人の子は必ず多くの苦しみを受け、長老、祭司長、律法学者たちに
捨てられ、殺され、三日の後によみがえらなければならないと、弟子たちに教え
始められた。
イエスをメシアと呼ぶことへの口止め/ メシアへの信頼・救いの方法についての
信頼・弟子としての謙遜のすすめイエス様はしもべとしての生き方に徹するため
にご自分の地位や力を誇示したり宣伝したりすることを否定しました。有名にな
ることも、人に宣伝してもらうこ
とも拒否したのです。
また、この禁止は弟子たちの高慢さを防ぐためでもありました。
イエス様の評判ばかりが広がってしまうことで十字架への道が閉ざされることへ
の恐れもあったかもしれません。しかし、弟子たちの、知らず知らずのうちに起
こってくる「霊的高慢さ」への警告は重要な要点だったと思います。

第2の告知
9章30節〜

35 イエスはおすわりになり、十二弟子を呼んで、言われた。「だれでも人の先に
立ちたいと思うなら、みなのしんがりとなり、みなに仕える者となりなさい。」
36 それから、イエスは、ひとりの子どもを連れて来て、彼らの真ん中に立たせ、
腕に抱き寄せて、彼らに言われた。
37 「だれでも、このような幼子たちのひとりを、わたしの名のゆえに受け入れる
ならば、わたしを受け入れるのです。また、だれでも、わたしを受け入れるなら
ば、わたしを受け入れるのではなく、わたしを遣わされた方を受け入れるのです。」
38 ヨハネがイエスに言った。「先生。先生の名を唱えて悪霊を追い出している者
を見ましたが、私たちの仲間ではないので、やめさせました。」
39 しかし、イエスは言われた。「やめさせることはありません。わたしの名を唱
えて、力あるわざを行いながら、すぐあとで、わたしを悪く言える者はないので
す。

ここでは子供の受け入れ、自分たちの仲間以外の人たちの祝福を寛容な心で受け
入れるようにと勧めがなされています。
社会的な弱者、自分と直接関係のないような人たちの祝福や悲しみへの共感の心
を大切に生きるという方向性をキリストは受難告知と結びつけて教えています。

第3の告知
10章32節〜
42 そこで、イエスは彼らを呼び寄せて、言われた。「あなたがたも知っていると
おり、異邦人の支配者と認められた者たちは彼らを支配し、また、偉い人たちは
彼らの上に権力をふるいます。
43 しかし、あなたがたの間では、そうではありません。あなたがたの間で偉くな
りたいと思う者は、みなに仕える者になりなさい。
44 あなたがたの間でひとの先に立ちたいと思う者は、みなのしもべになりなさい。
45 人の子が来たのも、仕えられるためではなく、かえって仕えるためであり、ま
た、多くの人たちのための、贖いの代価として、自分のいのちを与えるためなの
です。

ここでは、一般社会の中でのリーダーシップのあり方とは違うキリストの世界に
おける、神の世界における指導者の姿、神に愛される人たちの姿が描かれていま
す。それはしもべに徹するという形です。それぞれの役割がありますからいわゆ
る上にたっての指導をしなければならない人たちもいる訳ですが、しかし、心の
中では「他者に仕えることを喜ぶしもべ」の姿をしっかり自覚する必要があるの
です。

キリストが命をかけて、弟子たちに教えようとしていた内容と理解することが出
来る大事な要点です。
これらの事柄を無視せず、丁寧に生きるとき、キリストの死を無駄にしない生き
方になってくるのです。
祝福がありますように

今日の聖句

今日の聖句
2014.04.12
【ヨハネの黙示録】
15:1 わたしはまた、天にもう一つの大きな驚くべきしるしを見た。七人の天使が
最後の七つの災いを携えていた。これらの災いで、神の怒りがその極みに達する
のである。
15:2 わたしはまた、火が混じったガラスの海のようなものを見た。更に、獣に勝
ち、その像に勝ち、またその名の数字に勝った者たちを見た。彼らは神の竪琴を
手にして、このガラスの海の岸に立っていた。
15:3 彼らは、神の僕モーセの歌と小羊の歌とをうたった。「全能者である神、主
よ、あなたの業は偉大で、驚くべきもの。諸国の民の王よ、あなたの道は正しく、
また、真実なもの。
15:4 主よ、だれがあなたの名を畏れず、たたえずにおられましょうか。聖なる方
は、あなただけ。すべての国民が、来て、あなたの前にひれ伏すでしょう。あな
たの正しい裁きが、明らかになったからです。」
+++++
7人の天使が最後の7つの災いを携えてスタンバイしている姿とガラスの海の向こ
う側にこの世における信仰の勝利者たちが揃って神を賛美し「神のしもべモーセ
の歌と小羊の歌」を歌っている様子が書かれています。
モーセの歌とはモーセが民を導いてエジプトから脱出したことを歌った歌であろ
うと言われています。また小羊の歌とは、イエス・キリストをたたえる歌、こと
に十字架と復活による救いを歌う歌のことだと考えられます。
モーセの時代、鴨居に小羊の血が塗られることでイスラエルの民は神の裁きから
守られ、救い出されました。イエス・キリストの十字架は同じように私たちの罪
の贖いの代価としてその血といのちが捧げられました。
小羊の血による救いは聖書の中の大切なテーマです。それらを念頭に、聖徒たち
の賛美が捧げられます。神への賛美、その大切なテーマは小羊の血による救いで
す。
祝福がありますように。


++++


【エレミヤ書 涙の預言者エレミヤ】
4:14 エルサレムよあなたの心の悪を洗い去って救われよ。いつまで、あなたはそ
の胸によこしまな思いを宿しているのか。
4:15 聞け、災いをダンから告げエフライムの山から知らせる声を。
4:16 諸国の民にこれを告げエルサレムに知らせよ。「包囲する者が遠い国から押
し寄せユダの町に向かって戦いの喚声をあげ
4:17 畑の見張りのように彼らを包囲する。ユダがわたしに背いたからだ」と主は
言われる。
4:18 あなたの道、あなたの仕業がこれらのことをもたらす。これはあなたの犯し
た悪でありまことに苦く、そして心臓にまで達する。
4:19 わたしのはらわたよ、はらわたよ。わたしはもだえる。心臓の壁よ、わたし
の心臓は呻く。わたしは黙していられない。わたしの魂は、角笛の響き、鬨の声
を聞く。
4:20 「破壊に次ぐ破壊」と人々は叫ぶ。大地はすべて荒らし尽くされる。瞬く間
にわたしの天幕が一瞬のうちに、その幕が荒らし尽くされる。
4:21 いつまで、わたしは旗を見角笛の響きを聞かねばならないのか。
4:22 まことに、わたしの民は無知だ。わたしを知ろうとせず愚かな子らで、分別
がない。悪を行うことにさとく善を行うことを知らない。
4:23 わたしは見た。見よ、大地は混沌とし空には光がなかった。
4:24 わたしは見た。見よ、山は揺れ動きすべての丘は震えていた。
4:25 わたしは見た。見よ、人はうせ空の鳥はことごとく逃げ去っていた。
4:26 わたしは見た。見よ、実り豊かな地は荒れ野に変わり町々はことごとく、主
の御前に主の激しい怒りによって打ち倒されていた。
4:27 まことに、主はこう言われる。「大地はすべて荒れ果てる。しかし、わたし
は滅ぼし尽くしはしない。
4:28 それゆえ、地は喪に服し上なる天は嘆く。わたしは定めたことを告げ決して
後悔せず、決してこれを変えない。」
4:29 騎兵や射手の叫びに、都を挙げて逃げ去り茂みに隠れ、岩に登る。都は全く
見捨てられだれひとりとどまる者はない。

++
やがてエルサレムを襲うであろう敵の襲来が予告されています。すべては民の神
への背信からもたらされたものなのですが、民はそれに気づこうともせず、偽り
の平和を楽しむばかりで神の前に反省もなければ真剣に自分たちの将来を考えよ
うともしていません。今が良ければそれで良いという発想の中にのんきにかまえ、
罪に罪を繰り返し、神に対する態度を改めようとしないのです。
しかし、預言者の心は神からの言葉を受けて、痛むのです。
状況がわかっているのは自分だけと思ってしまうと気が遠くなるほどの絶望感に
襲われることがあります。まさにエレミヤはそういう気分でこれらの言葉を述べ
るのです。
敵の襲来を前に民ののんきな姿を見て、エレミヤの心は穏やかではありませんで
した。

今日の聖句

今日の聖句
2014.04.11
【ヨハネの黙示録】
14:12 ここに、神の掟を守り、イエスに対する信仰を守り続ける聖なる者たちの忍耐が必要である。
14:13 また、わたしは天からこう告げる声を聞いた。「書き記せ。『今から後、主に結ばれて死ぬ人は幸いである』と。」“霊”も言う。「然り。彼らは労苦を解かれて、安らぎを得る。その行いが報われるからである。」
14:14 また、わたしが見ていると、見よ、白い雲が現れて、人の子のような方がその雲の上に座っており、頭には金の冠をかぶり、手には鋭い鎌を持っておられた。
14:15 すると、別の天使が神殿から出て来て、雲の上に座っておられる方に向かって大声で叫んだ。「鎌を入れて、刈り取ってください。刈り入れの時が来ました。地上の穀物は実っています。」
14:16 そこで、雲の上に座っておられる方が、地に鎌を投げると、地上では刈り入れが行われた。
14:17 また、別の天使が天にある神殿から出て来たが、この天使も手に鋭い鎌を持っていた。
14:18 すると、祭壇のところから、火をつかさどる権威を持つ別の天使が出て来て、鋭い鎌を持つ天使に大声でこう言った。「その鋭い鎌を入れて、地上のぶどうの房を取り入れよ。ぶどうの実は既に熟している。」
14:19 そこで、その天使は、地に鎌を投げ入れて地上のぶどうを取り入れ、これを神の怒りの大きな搾り桶に投げ入れた。
14:20 搾り桶は、都の外で踏まれた。すると、血が搾り桶から流れ出て、馬のくつわに届くほどになり、千六百スタディオンにわたって広がった。
+++++
「穀物」と「ぶどう」の収穫という表現は旧約聖書のイザヤ書の中にも出てくるのですが、特に異教徒や悪人に対する神の裁き、神の罰を表現していると言われています。最終的には神は地のすべてを治める主権者としてすべてを清算する日が用意しているのです。だからこそ最初の部分に「主に結ばれて死ぬ人」「主を信頼して一生を終わる人」の幸いが語られています。神は必ず地上における「理不尽」な部分について、決着をつける日を用意しているからです。
そしてその裁きの象徴として「ぶどうのしぼり桶」からちょうど血が流れ出るような様が書かれていますが、そこにある1600スタディオンとは「東西南北」を示す4の400倍であり、「全世界」を意味していると言われています。つまり神の怒りと裁きはイスラエルの一部にとどまるものではなく、全世界に及ぶものだということです。1600スタディオンの実数は約300キロメートルです。
そういう怒りと裁きのための「鎌」が用意されているとヨハネは書いているのです。神はこの世界の悪を無制限に放置しておくことはないのです。神はこの世界を悪の手に渡し、放り投げてしまうことは決してありません。決着をつける日を用意しておられます。だから、誠実を愛し、神を礼拝し、キリストとつながって生きる姿勢が大切だと教えているのです。
祝福がありますように。

+++

【エレミヤ書 涙の預言者エレミヤ】
4:1 「立ち帰れ、イスラエルよ」と主は言われる。「わたしのもとに立ち帰れ。呪うべきものをわたしの前から捨て去れ。そうすれば、再び迷い出ることはない。」
4:2 もし、あなたが真実と公平と正義をもって「主は生きておられる」と誓うなら諸国の民は、あなたを通して祝福を受けあなたを誇りとする。
4:3 まことに、主はユダの人、エルサレムの人に向かって、こう言われる。「あなたたちの耕作地を開拓せよ。茨の中に種を蒔くな。
4:4 ユダの人、エルサレムに住む人々よ割礼を受けて主のものとなりあなたたちの心の包皮を取り去れ。さもなければ、あなたたちの悪行のゆえにわたしの怒りは火のように発して燃え広がり消す者はないであろう。」
****
神のもとに「立ち帰る」ことの大切さが語られています。その際、呪うべきものを神の前から捨て去れ」と告げられています。「呪うべきもの」とは、神から心を引き離す勢力であり、人の心を惑わすもの、つまり「偶像」です。
偶像による指導ではなく、神からの教えを心にしっかり受け止め、真実と公平と正義を生きることによって「主は生きておられ」ることを示すように求められています。自分は偶像から離れ、主なる神の指導と教訓、愛と戒めの中に身を置いて生きていることを示すようにと勧められているのです。
それができたら神の祝福があなたを通して外側に溢れ出すのだと言うのです。
生き方で、誰によって生かされているかわかってくるのです。
耕作地を開拓し、いばらを取り除き、それから種を蒔くようにと勧められています。「割礼」という儀式によって、それが象徴されているのです。しかし、それは外側の儀式を通過すれば良いのではなく、心の中の出来事として理解されなければ意味がありません。これは、洗礼などとも共通しているかもしれません。
祝福がありますように。

今日の聖句

おはようございます。
4月8日の「200曲記念歌声ペトラ」の映像がYoutubeにアップされました。
お時間のある時にどうぞ。歌詞も映されていますのでぜひ一緒に歌ってください。
https://www.youtube.com/watch?v=a4jxBXPEaHU

++++
今日の聖句
2014.04.10
【ヨハネの黙示録】
14:6 わたしはまた、別の天使が空高く飛ぶのを見た。この天使は、地上に住む人
々、あらゆる国民、種族、言葉の違う民、民族に告げ知らせるために、永遠の福
音を携えて来て、
14:7 大声で言った。「神を畏れ、その栄光をたたえなさい。神の裁きの時が来た
からである。天と地、海と水の源を創造した方を礼拝しなさい。」
14:8 また、別の第二の天使が続いて来て、こう言った。「倒れた。大バビロンが
倒れた。怒りを招くみだらな行いのぶどう酒を、諸国の民に飲ませたこの都が。」
14:9 また、別の第三の天使も続いて来て、大声でこう言った。「だれでも、獣と
その像を拝み、額や手にこの獣の刻印を受ける者があれば、
14:10 その者自身も、神の怒りの杯に混ぜものなしに注がれた、神の怒りのぶど
う酒を飲むことになり、また、聖なる天使たちと小羊の前で、火と硫黄で苦しめ
られることになる。
14:11 その苦しみの煙は、世々限りなく立ち上り、獣とその像を拝む者たち、ま
た、だれでも獣の名の刻印を受ける者は、昼も夜も安らぐことはない。」
++++
三人の天使がそれぞれに重要なメッセージを伝えています。
まず、「神を畏れ、その栄光をたたえなさい。神の裁きの時が来たからである。
天と地、海と水の源を創造した方を礼拝しなさい。」
その次の天使は「倒れた。大バビロンが倒れた。怒りを招くみだらな行いのぶど
う酒を、諸国の民に飲ませたこの都が。」
そして「だれでも、獣とその像を拝み、額や手にこの獣の刻印を受ける者があれ
ば、その者自身も、神の怒りの杯に混ぜものなしに注がれた、神の怒りのぶど
う酒を飲むことになり、また、聖なる天使たちと小羊の前で、火と硫黄で苦しめ
られることになる。…」というメッセージです。
「創造主である神への礼拝へのすすめ」「大バビロンの崩壊の告知」「皇帝礼拝
への警告」です。
迫害に苦しんでいた当時のクリスチャンにとって、どれほど大きな慰めだったこ
とでしょう。既に主の民が小羊イエスを礼拝している姿が映し出され、その後こ
れらの3つのメッセージが続いているわけですが、絶大なこの世の権力に対する
神の勝利と神への信仰の重要さが訴えられています。
大バビロンとはローマ帝国のことと考えられますが、神に逆らうあらゆる権力、
国々の総称とも考えることができます。
神は勝利者なのです。そして神は苦難の中にあっても誠実に神を礼拝する人たち
を忘れず、また真の礼拝者を求めているのです。
祝福がありますように。

+++++

【エレミヤ書 涙の預言者エレミヤ】
3:22 「背信の子らよ、立ち帰れ。わたしは背いたお前たちをいやす。」「我々は
あなたのもとに参ります。あなたこそ我々の主なる神です。
3:23 まことに、どの丘の祭りも山々での騒ぎも偽りにすぎません。まことに、我
々の主なる神にイスラエルの救いがあるのです。
3:24 我々の若いときから恥ずべきバアルが食い尽くしてきました先祖たちが労し
て得たものをその羊、牛、息子、娘らを。
3:25 我々は恥の中に横たわり辱めに覆われています。我々は主なる神に罪を犯し
ました。我々も、先祖も若いときから今日に至るまで主なる神の御声に聞き従い
ませんでした。」
***
神の心は「癒す心」に満ちています。しかし、そのためにも「立ち返る姿勢」
「悔い改め」を民に求めているのです。
悔い改めというのは「Uターン」のことであり、今までの道と違う、本来の道に戻
ることを意味しています。
今立っている道が間違っていると気づくことは大事です。それを言葉で表現する
ことは自分の愚かさの告白でもあるので、ちょっと辛いことになりますが、その
部分を避けてしまうと、自分の状況がわからないまま、悔い改めがまルデ「人ご
と」のようになってしまう恐れがあるので、自分の出来事を神にしってもらうい
わば告白が重要です。神は赦し、癒し、救い出し、ご自分の身内のような存在へ
と導いてくれますので、安心して「神に自分の不出来を伝え、失敗を伝え、罪を
伝え、間違った発想や高慢さを伝え、神のもとに戻ります」と告白することが大
事なのです。自分の心の中の整理のためにも、悔い改めを自分自身の出来事とし
て経験するためにも、自分の言葉で神に祈ることが大事です。
神はそれを待っているのです。
祝福がありますように。

今日の聖句

今日の聖句
【ヨハネの黙示録】
14:1 また、わたしが見ていると、見よ、小羊がシオンの山に立っており、小羊と
共に十四万四千人の者たちがいて、その額には小羊の名と、小羊の父の名とが記
されていた。
14:2 わたしは、大水のとどろくような音、また激しい雷のような音が天から響く
のを聞いた。わたしが聞いたその音は、琴を弾く者たちが竪琴を弾いているよう
であった。
14:3 彼らは、玉座の前、また四つの生き物と長老たちの前で、新しい歌のたぐい
をうたった。この歌は、地上から贖われた十四万四千人の者たちのほかは、覚え
ることができなかった。
14:4 彼らは、女に触れて身を汚したことのない者である。彼らは童貞だからであ
る。この者たちは、小羊の行くところへは、どこへでも従って行く。この者たち
は、神と小羊に献げられる初穂として、人々の中から贖われた者たちで、
14:5 その口には偽りがなく、とがめられるところのない者たちである。
++++
小羊に対する賛美、礼拝の様子が描かれています。そこにいるのは地上からあが
なわれた14万4千人。この数字は、イスラエルの12部族とイエス・キリストキリス
トの12弟子の1000倍という数字です。1000倍というのは、限りなく多くの人たち
という意味と理解する事が出来ます。彼らは他の人が覚える事のできない新しい
歌を歌いました。彼らは個人個人が本当に深くキリストの十字架の意味を理解し
ていたに違いありません。彼らは小羊イエスが大好きであり、小羊イエスこと、
彼らの主であり牧者であることを本当に純粋に信頼していたのです。
その生き方も純粋であり偽りのない生き方でした。彼らは「神と小羊に献げられ
る初穂」とありますので、ペンテコステの時にイエス様を信じた300人と同じよう
な神様にとって重要な意味がある存在でした。
彼らはキリストの中に生きている人たちでした。
純粋な信仰をもってキリストに従う人たちの姿がそこにあります。
祝福がありますように。


++++

【エレミヤ書 涙の預言者】
3:12 行け、これらの言葉をもって北に呼びかけよ。背信の女イスラエルよ、立ち
帰れと主は言われる。わたしはお前に怒りの顔を向けない。わたしは慈しみ深く
とこしえに怒り続ける者ではないと主は言われる。
3:13 ただ、お前の犯した罪を認めよ。お前は、お前の主なる神に背きどこにでも
茂る木があれば、その下で他国の男たちと乱れた行いをしわたしの声に聞き従わ
なかったと主は言われる。
3:14 背信の子らよ、立ち帰れ、と主は言われる。わたしこそあなたたちの主であ
る。一つの町から一人、一つの氏族から二人ではあるが、わたしはあなたたちを
連れてシオンに行こう。
3:15 わたしはあなたたちに、心にかなう牧者たちを与える。彼らは賢く、巧みに
導く。
3:16 あなたたちがこの地で大いに増えるとき、その日には、と主は言われる。人
々はもはや、主の契約の箱について語らず、心に浮かべることも、思い起こすこ
ともない。求めることも、作ることももはやない。
3:17 その時、エルサレムは主の王座と呼ばれ、諸国の民は皆、そこに向かい、主
の御名のもとにエルサレムに集まる。彼らは再び、かたくなで悪い心に従って歩
むことをしない。
3:18 その日、ユダの家はイスラエルの家と合流し、わたしがあなたたちの先祖の
所有とした国へ、北の国から共に帰って来る。
++++
神の憐れみ深い呼びかけが書かれています。神への背信、神への冒涜にまみれて
いるイスラエルとユダに対して神様の赦しと祝福の約束の言葉です。
歴史的には、彼らは神の呼びかけにきちんと向き合う事をせず、誠実に受け止め
ようとしないのですが、神は最終的には祝福の約束を提示しておられます。
ただ、その最終的な祝福に至る過程では、民はその罪の結果を刈り取る事になり
ますので辛い所を通過することになります。
それにしても神の憐れみ深い呼びかけにはただただ驚かさせられます。
祝福がありますように。

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