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キリスト教

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MACF礼拝説教要旨
 2017.05.28

 「柔和は人々は幸いです。」
柔和な人々は、幸いである、その人たちは地を受け継ぐ。(マタイ5:5)
1)柔和とは 
「柔和」という言葉は、「穏やか、柔軟、優しさ」を連想させますが、同時に「軟弱」「弱腰」も連想させる日本語かもしれません。
ここにある「柔和」という言葉は「軟弱」ではなく「中庸」という意味があり、「強い自己抑制能力を持っている人」と考えることができるかもしれません。
怒るべきときには怒ることができ、怒るべきでないときには、怒らないという姿勢を貫ける人こそ「柔和」な人なのです。
2)詩編37編を土台にした理解
柔和な人とは
「柔和な人々は地を受け継ぐ」とイエス様は語りましたが、詩篇の中に「地を受け継ぐ」という言葉が出てきますので、その文脈の中に「柔和な人」の姿を見ることができると思います。詩篇37篇からの引用です。
37:8 怒りを解き、憤りを捨てよ。自分も悪事を謀ろうと、いら立ってはならない。
37:9 悪事を謀る者は断たれ、主に望みをおく人は、地を継ぐ。
37:11 貧しい人は地を継ぎ 豊かな平和に自らをゆだねるであろう。
・・・
37:22 神の祝福を受けた人は地を継ぐ。神の呪いを受けた者は断たれる。
「貧しい人」「主に望みを置く人」「神の祝福を受けた人」が地を受け継ぐと書かれています。
つまり、この姿勢こそ「柔和な人」の生き方なのです。
ちなみに、「地を受け継ぐ」とは「神さまの守りと祝福の中に生かされる」と理解できると思います。

彼らの生活の現状(37:7-8参照)
繁栄や成功が悪者たちによって受け取られ、真実に生きようとしている人たちには恩恵が残されていないような気分にさせ、苛立たせ、絶望的になりそうな現実があったのです。
そんな中で詩篇の作者は、「苛立ってはならない、沈黙して主に向かい、主を待ち焦がれ、主に望みを置け、貧しい人は地を継ぐのだ、あなたがたは神の豊かな祝福の約束を与えられている」と励ますのです。
「柔和な人々」は、弱く貧しく力もなく、神に従って生きようとは思うけれど、悪人のほうが良い思いをしているというこの世の現実の中で、押しつぶされそうになり、いっそ自分の好き勝手に生きていこうか、という苛立ちの中にある人々なのだと思います。
それは私たちの姿に限りなく近いかもしれません。
主イエスはそういう私たちに、「柔和な人々は幸いである」と語るのです。

「柔和に生きる」ことこそ幸い
詩編37編は「柔和に生きるように」と勧めています。
「柔和に生きる」とは、苛立ちに打ち勝って生きるということを意味します。「苛立ちに負ける」と「柔和さが壊れ」自己主張のみが前に出てきて、自分の力と頑張りで世界や仕組みを変えようと右往左往し始めるのです。自分の感情、自己判断で決済しようとするので、苛立ちや怒りが、判断を鈍らせ、決して他者との間に幸いなど生むことはないのです。

3)柔和そのものである救い主イエス
「疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。わたしは柔和で謙遜な者だから、わたしの軛を負い、わたしに学びなさい。そうすれば、あなたがたは安らぎを得られる。わたしの軛は負いやすく、わたしの荷は軽いからである」
(マタイ11:28-29)
主イエスさまは「柔和で謙遜」と自己紹介なさいました。こういう自己紹介はイエス様だから許されているものだと思います。
イエス様は柔和で謙遜、すなわち、苛立ちに負けることなく、怒りに任せることなく、力に任せて事をなすことをせず、私たちの救いと祝福のために、私たちの罪を黙々と背負い、身代わりの死、あがないの死を進まれました。
主イエスの柔和さによって、私たちの罪の赦し、救いが実現したと言えるのです。イエス様が柔和でないなら、十字架を黙々と担うことなどしなかったと思います。
 「シオンの娘に告げよ。『見よ、お前の王がお前のところにおいでになる、柔和な方で、ろばに乗り、荷を負うろばの子、子ろばに乗って』」(マタイ21:5)
これは旧約聖書のゼカリヤ書9:9の中にある預言の言葉です。
私たちが幸いな者となるために、キリストは柔和、謙遜な救い主として、その生き方を通して模範を示してくださいました。
私たちの現実を見ると、柔和の完成者として生きることは難しいですが、それでも、イエス様に近く生きることで柔和さを学び受け取り、イエス様の光を受けて、柔和に生きる幸いを経験させていただきたいと思います。

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【今日の聖句】2017.05.27

【今日の聖句】
2017.05.27
【マルコによる福音書】
5:1 一行は、湖の向こう岸にあるゲラサ人の地方に着いた。
5:2 イエスが舟から上がられるとすぐに、汚れた霊に取りつかれた人が墓場からやって来た。
5:3 この人は墓場を住まいとしており、もはやだれも、鎖を用いてさえつなぎとめておくことはできなかった。
5:4 これまでにも度々足枷や鎖で縛られたが、鎖は引きちぎり足枷は砕いてしまい、だれも彼を縛っておくことはできなかったのである。
5:5 彼は昼も夜も墓場や山で叫んだり、石で自分を打ちたたいたりしていた。
5:6 イエスを遠くから見ると、走り寄ってひれ伏し、
5:7 大声で叫んだ。「いと高き神の子イエス、かまわないでくれ。後生だか
ら、苦しめないでほしい。」
5:8 イエスが、「汚れた霊、この人から出て行け」と言われたからである。
5:9 そこで、イエスが、「名は何というのか」とお尋ねになると、「名はレギオン。大勢だから」と言った。
5:10 そして、自分たちをこの地方から追い出さないようにと、イエスにしきりに願った。
5:11 ところで、その辺りの山で豚の大群がえさをあさっていた。
5:12 汚れた霊どもはイエスに、「豚の中に送り込み、乗り移らせてくれ」と願った。
5:13 イエスがお許しになったので、汚れた霊どもは出て、豚の中に入った。
すると、二千匹ほどの豚の群れが崖を下って湖になだれ込み、湖の中で次々とおぼれ死んだ。
5:14 豚飼いたちは逃げ出し、町や村にこのことを知らせた。人々は何が起こったのかと見に来た。
5:15 彼らはイエスのところに来ると、レギオンに取りつかれていた人が服を着、正気になって座っているのを見て、恐ろしくなった。
5:16 成り行きを見ていた人たちは、悪霊に取りつかれた人の身に起こったことと豚のことを人々に語った。
5:17 そこで、人々はイエスにその地方から出て行ってもらいたいと言いだした。 
******
この出来事もイエス様の権威を示す重要なものです。
「汚れた霊、この人から出て行け」という一言で事態は収拾されてしまいます。
だれひとり彼に近づくことが出来ず、誰も彼をその苦しみから解放することができなかったのですが、たった一言で悪霊たちが出て行ってしまったのです。
その権威をマルコは教えています。「主」とはそういう存在なのです。
病を癒し、嵐を鎮め、悪霊を追い出す、これらの権威がイエス様にはあります。

ところが、2千頭の豚が崖からなだれ落ちて死んだこともあって、これほど深刻な状況の人が正気にもどったにもかかわらず、その地方の人たちは、イエス様にこの地方から出て行って欲しいと言い出します。
解放、癒し、自由を喜べない心は、イエス様を追い出してしまう心でもあります。
人の解放よりも豚の命が惜しかったのかもしれません。いいえ、イエス様の存在よりも豚のほうが重要だったのかもしれません。そういう価値観の転倒こそ、暗黒の世界の象徴なのです。
イエス様を歓迎する心を育てたいですね。


+++++

【箴言】
19:12 王の憤りは若獅子のうなり声。王の好意は青草におく露。
++++
新改訳聖書の訳では「王の激しい怒りは若い獅子がうなるよう。しかし、その恵みは草の上に置く露のよう。」となっています。
おそらく王の義憤、そして王の恵みの表現は、そのまま「神の怒り、神のめぐみ」になぞらえて語られたものだと思います。
怖い存在、そして優しい存在の象徴のような表現です。
それは王の中に見られるものでしょうけれど、王に権威を与えた神さまも同じようなお方なのだと伝えたかったのでしょう。
こういう教訓は私たちの生き方を正すために有益です。
ただ、イエス様が神の憤りと怒りを十字架で引き受けてくださったことを私たちは忘れてはなりません。神は私たちに恵みを届けようとしておられます。
+++

◎昨晩、わたしが関わっている保育園、おさなご園・みどりご園での「子育て支援講座」が開催されました。映像はこちらです。興味がありましたら、ぜひ、御覧ください。祝福がありますように。

【今日の聖句】2017.05.26

【今日の聖句】
2017.05.26
【マルコによる福音書】
マルコによる福音書
4:35 その日の夕方になって、イエスは、「向こう岸に渡ろう」と弟子たちに言われた。
4:36 そこで、弟子たちは群衆を後に残し、イエスを舟に乗せたまま漕ぎ出した。ほかの舟も一緒であった。
4:37 激しい突風が起こり、舟は波をかぶって、水浸しになるほどであった。
4:38 しかし、イエスは艫の方で枕をして眠っておられた。弟子たちはイエスを起こして、「先生、わたしたちがおぼれてもかまわないのですか」と言った。
4:39 イエスは起き上がって、風を叱り、湖に、「黙れ。静まれ」と言われた。
すると、風はやみ、すっかり凪になった。
4:40 イエスは言われた。「なぜ怖がるのか。まだ信じないのか。」
4:41 弟子たちは非常に恐れて、「いったい、この方はどなたなのだろう。風や湖さえも従うではないか」と互いに言った。
 ****
弟子たちが慌てふてめいて、「私たちがおぼれてもかまわないのですか」などと叫び出すほどの嵐は、何か普通ではないものを感じます。そこは彼らの生活の場でしたし、様々な嵐に遭遇してきたに違いないからです。
しかし、イエス様は船の中で眠っています。弟子達のパニックとイエス様の眠り。何と対照的な描写でしょう。
イエス様は風を叱り、湖にむかって黙れ、静まれと命令なさいます。
すると、風は止み、嵐はおさまります。イエス様の自然界に対する権威をマルコは書き出しています。キリストには、教え、導く力だけでなく、自然界を従わせ、悪霊を追い出し、病を癒す権威がある、いいえ、罪を赦し、私たちを神の家族の一員とする権威さえあるお方なのだとマルコは教えているのです。
しかし、弟子たちは驚き、にわかに信じられないようでした。

こういう記録は、キリストには権威というか支配権があるということを教えるためのものです。
キリストは湖の嵐を鎮めるために来たわけではありません。問題にされているのは、キリストには権威があり、支配権があるのだという教えです。その権威を信じて「よろしくお願いします」と言えているかどうかです。キリストの権威、主権を信頼すること、それが信仰の第一歩です。
救い主だからこそ、そういう権威があり、力があることをマルコは示そうとしているのです。

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【箴言】
19:11 成功する人は忍耐する人。背きを赦すことは人に輝きをそえる。
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 いつものように新改訳と比べて見ましょう。
新改訳聖書では「人に思慮があれば、怒りをおそくする。その人の光栄は、そむきを赦すことである。」
となっています。
忍耐、思慮深さ、そして赦すこと、それはその人の人格を輝かせる資質となります。
待てず、考えず、いつまでも憤ったままという性格は人を遠ざける材料になってしまうかもしれません。
それらを自分のものとするために必要なのは、おそらくイエス様の忍耐と思慮深さとして赦す心をしっかり学び、その御方に寄り添っていただくことでしょう。
そして、それが最も確実で、誰にでもできる方法のような気がします。
え、私ですか、完成からは程遠いです、それでも、少〜しずつ前に進ませていただいているような気がします。
祝福がありますように。

【今日の聖句】2017.05.25

【今日の聖句】
2017.05.25
【マルコによる福音書】
4:26 また、イエスは言われた。「神の国は次のようなものである。人が土に種を蒔いて、
 4:27 夜昼、寝起きしているうちに、種は芽を出して成長するが、どうしてそうなるのか、その人は知らない。
 4:28 土はひとりでに実を結ばせるのであり、まず茎、次に穂、そしてその穂には豊かな実ができる。
 4:29 実が熟すと、早速、鎌を入れる。収穫の時が来たからである。」
***
「私たちが寝起きしているうちに」、「どうしてそうなるのかその人は知らない」
「土はひとりでに実を結ばせる」など人の思惑や理解を超えて神の国が生長して行く様子が語られています。神の国というのは、場所のことではなく、神の支配という意味です。
聖書によれば、今までは暗闇の罪の世界に支配されていた私たちが、キリストを信じることによって神の支配に移されるということなのです。
その不思議な心の方向転換、信仰決心、その後の霊的、人格的成熟などは神様の不思議な介入によってもたらされる祝福です。

私たちがなぜイエス様を救い主として信じることになったのか、自分自身にも「不思議、神秘的」と思える部分があります。神様の方で働きかけをしてくださったとしか言いようがない部分があるのです。
なぜ福音があなたのところに届いたのか、教会に通うようになった理由なども考えてみれば、それ自体不思議なことがあるのではないでしょうか。
背後に神様のすばらしい計画と愛があることはわかるのですが、私たちに届いた詳細の多くは隠されたままなのです。
驚くばかりの恵みがそこには隠されているように感じます。
だからこそ、なおさら私たちを礼拝へと向かわせます。

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【箴言】
19:10 愚か者に快楽はふさわしくない。奴隷が君主を支配するのは、なおふさわしくない。
++
新改訳聖書では「愚かな者にぜいたくな暮らしはふさわしくない。奴隷が主人を支配するのは、なおさらのこと。」と訳されています。
フランシスコ会訳の注釈を見ると「贅沢な暮らしは愚か者にとっては、その愚かさを暴露する結果となる。また奴隷が権力のある政治家になると、おそらく高慢な独裁者になるであろう」と書かれていました。
高慢な独裁的な政治家の背景には「劣等感とか屈辱感、あるいは精神的な貧困」などという何かがあるのかもしれませんね。
わたしにも贅沢な暮らしは全くふさわしくないなと思います。


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