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【日ごとの糧】2019.09.02

【日ごとの糧】〜ローズンゲンによる〜
2019.09.02

主は言われた。「わたしはあなたの前にすべてのわたしの善い賜物を通らせ、あなたの前に主という名を宣言する。
わたしは恵もうとする者を恵み、憐れもうとする者を憐れむ。」
(出エジプト記33章19節)

すなわち、イエス・キリストを信じることにより、信じる者すべてに与えられる神の義です。
そこには何の差別もありません。
人は皆、罪を犯して神の栄光を受けられなくなっていますが、
ただキリスト・イエスによる贖いの業を通して、神の恵みにより無償で義とされるのです。
(ローマの信徒への手紙3章22〜24節)
+++++
神様からの祝福は、無償で届けられます。
その恵みの祝福の提供のための神様の側の犠牲、代価はおおきくイエス・キリストのいのちが託されるほどのものでした。
でも、それを神様はそれを喜んで提供してくださいます。
神のめぐみ、憐れみ、さまざまな祝福はキリストの代価によって、わたしたちのところに届いています。
それに気づいているかどうか、そこが大きな問題です。

【今日の聖句】2019.09.02

【今日の聖句】
2019.09.02
【ヘブライ人への手紙】

10:1 いったい、律法には、やがて来る良いことの影があるばかりで、そのものの実体はありません。従って、律法は年ごとに絶えず献げられる同じいけにえによって、神に近づく人たちを完全な者にすることはできません。
10:2 もしできたとするなら、礼拝する者たちは一度清められた者として、もはや罪の自覚がなくなるはずですから、いけにえを献げることは中止されたはずではありませんか。
10:3 ところが実際は、これらのいけにえによって年ごとに罪の記憶がよみがえって来るのです。
10:4 雄牛や雄山羊の血は、罪を取り除くことができないからです。
***
律法は良いものです。それは神様の心が表明されていますから。しかし、その律法を私たちは守り抜くことはできないし、そればかりでなく、その律法はいつまででも、私達の罪を指摘し、その自覚の中に私たちを閉じ込めるのです。
いくらいけにえを捧げても、律法からの咎めは去らないし罪の意識も消えません。
さらには、また同じようなことの中に引きずられていくこと
さえあるのです。実にみじめな繰り返しが続くのです。そのたびに、自分の咎めと自分のみじめさを身にしみて教えられます。
しかし、律法の役目はそこにこそあるのです。律法は私たちを罪の中に閉じ込め、救いが必要である
ことを痛いほど教えてくれるのです。今のままでは赦しからの解放感も神の愛も感じられないという状況に閉じ込められてしまうのです。

私たちには、神様からの介入が必要なのです。私たちにはキリストによる助けが必要であり、とりあえずのいけにえではなく、永続的に有効ないけにえ、贖いが必要なのです。
だからこそ、キリストは来てくださいました。うれしいことです。
キリストが私の罪を、存在そのものからの罪さえも永遠に十字架の上で処分してくださいました。それが恵みの福音であり、聖書の教えです。私に課せられていた律法からの咎めをすべてキリストは担ってくださいました。
主に、感謝。


+++

【箴言】

14:34 慈善は国を高め、罪は民の恥となる。
+++
新改訳聖書では「正義は国を高め、罪は国民をはずかしめる。」となっています。言語的には、こちらの方が正確なようです。神の正義が国を賞賛に値するものにするのだと箴言は教えているのです。
正義は政治家や官僚の中に、そして選挙の仕組みの中にも徹底されなければなりません。

当然ながら政治家も人間であり、様々な弱さを持っています。しかし民が正義と公正を求めることで、透明性を維持できるようにしていかなければなりません。日本の場合、政治家はそれぞれの出身母体、出身地域のとりまとめ役、利益代表という思考が強いので、どうしても「正義」とか「公正」とい
う議論がなかなか進んで行かないようです。
この国の物事の決まり方を考えると、何となく中学や高校のクラブ活動の部費の争奪戦のような雰囲気を感じることがあります。代表者の背後に必ず、支援母体いいえ、指示母体が存在しているのです。

ウイキペディアで調べると「腐敗認識指数」というのがあり、透明性の高い国、低い国がでています。
2015年までの調査での、上位の国は、デンマーク、フィンランド、スエーデン、ニュージーランド、スウェーデン、オランダ、ノルウエー、スイス、シンガポール、カナダ、ドイツという順でが挙げられていました。日本は18位だったかな。
ところが、2017年の調査では日本は世界の中で41番目まで落ち込んでいます。アメリカは37番、北朝鮮は204番。
上位は相変わらず、ノルウエー、スエーデン、オランダ、ニュージpランド、スイス、フィンランドとなっています。

正義や公正があまりに踏みにじられた場合には、その政党にノーを突きつけ、それと対抗している政党に政権を譲るというのが民主政治なのでしょうが、日本の場合には、既に出来ている指示母体の存在があまりに大きいので、そこで白黒付けるような政治感覚がありません。
そもそも現政権に取って代われる力のある政党があるのかどうかわかりませんが、いずれにしても、正義や公正があまりにいい加減に取り扱われている場合には、やはり、異議を唱
え、言葉に表明し、行動するだけの勇気や元気が必要です。
政治はそんなに簡単なものではなく、すべての人を満足させることができるような決議などあり得ませんから、どこかで正義のための、公正のための熾烈な戦いがあるはずなのです。しかし、だからこそ、政治家の資質が求められます。なかなか難しい問題です。
「正義は国を高める」これは大事な政治の土台です。

【ありがと音頭フェスティバル2019】
 (まことんのありがと音頭)

先週の土曜日、東日本復興支援のイベント「ありがと音頭フェスティバル」が開催されました。
大勢の方々が参加し、大いに盛り上がった会になりました。
ゲストで出演してくれたアーチストたちとも久々の再会となり嬉しい時間になりました。

そして、以前、支援の一環として釜石にウクレレをもってハワイのジョンさんご夫妻と一緒に出かけてコンサートをしたこと、その翌年は小学校5年生だった光太郎くんと一緒に出かけ、私より見事にウクレレを奏でる光太郎くんがいてくれたことでコンサートに華が添えられた思い出などを懐かしく振り返っていました。
当時は、コンサートを聞くということはありましたが、市民がウクレレを手にして一緒に奏でるという作業については抵抗があったように感じました。
音楽や楽器を楽しむ余裕などないと感じていたかもしれませんし、そもそも当時釜石には楽器屋さんは開店休業状態でしたから、こちらから楽器を持ち込み、ハワイからのウクレレを10本提供していただいて皆さんに提供できたことは、本当に気持ちが軽くなる出来事でもありました。

そんな出来事の先に釜石での交流の中でこの支援活動を主催している「東北応援団LoveEast」の理事長でもある岩渕まことさんがこの「まこトンのありがと音頭」を作詞作曲という運びになるわけです。

「まこトンnoありがと音頭」

なんとも心が軽くなる音楽です。
ウクレレを会場に持ち込み、この歌を歌いながら、釜石での小さなウクレレコンサートを思い出していました。
私のブログ、2013年10月26日の記事。
++
【往年のバンドマンとの出会い】

コンサートが一段落して、私が席についた時、一番前に座って聴いていた、私の祖父にそっくりのおじいさんが私の近くにやってきて、耳元でこう話してくれました。

「いやぁ、今夜はありがとうございました。俺、いくつに見える?今年83歳なんだよ。今日は久しぶりに楽しませてもらいました。
俺はさ、釜石の〇〇というキャバレーで50年くらいバンドマンでピアノ弾いてたんだ。二十歳過ぎの時に東京からジャズバンドが来てさ、それを聴いたのがきっかけでピアノ弾くようになってさ、キャバレーで毎晩弾いてたんだよ。ピアノ。
さっき前に出て即興で弾いたあいつは俺の弟。あいつもずっと同じバンドでやってたんだ。ギターとかウクレレとか、あいつはハワイアンが好きだったからね。
家にはグランドピアノも、キーボードもギターもコントラバスも、ドラムセットも、バンドでやる楽器が全部あったんだよ。あの津波の日まで。
あの津波でさ、全部、ピアノもコントラバスも写真も家も流されちゃって…。
(しばし沈黙)
俺はもう引退して楽器は触っていないけれど、今日は楽しかったよ。
また来てくれるんだって。
ウクレレの教室も開かれるんだね。いいね。久しぶりに楽しかったよ。
俺は楽器はもう無理だけど、ぜひ頑張ってください。
また、こういうのやるときには教えて下さい。
また、来ますから。
今日は、久しぶりに楽しい時間だったよ。大きなキャバレーだったんだよ。そこで兄弟でバンドやってた人って聞けば釜石で音楽が好きな人は知っている人多いんだよ。
ほんとに来てくれてありがとうございました。また、来ますから。あ、私は〇〇と云います。あそこに名前と住所書いておきましたので、どうぞよろしくお願いします。」

私はこの方の笑顔を見ただけで、あぁ、ここにいられて幸せだなぁと感じました。
コンサートが出来てよかったなと思いました。
音楽がつなぐ心のきずなのようなものを感じました。

そして、コンサートの終盤、飛び入りで素晴らしいウクレレ演奏を聴かせてくれて、歌ってくれた私より年長だと思われる弟さんに声をかけると
「いやぁ、久しぶりに楽しかった。久しぶりにウクレレ弾いたよ。気持よかったよ。当時はウクレレといえば、ハワイアンて決まってたけど、最近はそうじゃないみたいだね。良いことだよね。
俺の周りでウクレレ持ってった奴はあまりいなかったなぁ。
俺はアマチュアだけどキャバレーで週末5時間くらいバンドで手伝ってたんだ。
いいね、こういうの。楽しかった。ありがとうございました。
ウクレレいいね。うん。久しぶりに弾いたけど、うん、良かった。
また、ぜひやってください。来ますから」

こういう兄弟の挨拶を聴いただけで、私は釜石に来れてよかったと思いました。
コンサートを開いた甲斐がありました。あ、このコンサート、主役は奏者の私ではないのです。主役はウクレレ。そして会場の参加者の皆さん。
なんだか心がつながったような気がしました。
ほかにもウクレレを前で演奏してくださった方がいました。
演歌のウクレレ演奏もありました。

私はウクレレ奏者というより、ウクレレ紹介のための走者なのだなと誰もが納得したコンサートだったと思います。そしてJon山崎さんがサポートしてくれたし、主催の高橋先生にもウクレレ持って初日だというのに午後一緒に練習に参加して
もらってずっと前で一緒に弾いてもらったことでコンサートらしくなりました。
大胆不敵、優柔不断、何でもありのコンサートでした。最高でした。

さて、今朝はもう一ラウンド。別の会場で開催されます。
今朝はどんな人に会えるかな。
「いてくれてありがとう」の世界が広がっています。
いてくれてありがとう。

++
MACF礼拝説教要旨
2019.09.01
「富める若者の悩み」
マタイによる福音書
19:16 さて、一人の男がイエスに近寄って来て言った。「先生、永遠の命を得るには、どんな善いことをすればよいのでしょうか。」
19:17 イエスは言われた。「なぜ、善いことについて、わたしに尋ねるのか。善い方はおひとりである。もし命を得たいのなら、掟を守りなさい。」
19:18 男が「どの掟ですか」と尋ねると、イエスは言われた。「『殺すな、姦淫するな、盗むな、偽証するな、
19:19 父母を敬え、また、隣人を自分のように愛しなさい。』」
19:20 そこで、この青年は言った。「そういうことはみな守ってきました。まだ何か欠けているでしょうか。」
19:21 イエスは言われた。「もし完全になりたいのなら、行って持ち物を売り払い、貧しい人々に施しなさい。そうすれば、天に富を積むことになる。それから、わたしに従いなさい。」
19:22 青年はこの言葉を聞き、悲しみながら立ち去った。たくさんの財産を持っていたからである。
19:23 イエスは弟子たちに言われた。「はっきり言っておく。金持ちが天の国に入るのは難しい。
19:24 重ねて言うが、金持ちが神の国に入るよりも、らくだが針の穴を通る方がまだ易しい。」
19:25 弟子たちはこれを聞いて非常に驚き、「それでは、だれが救われるのだろうか」と言った。
19:26 イエスは彼らを見つめて、「それは人間にできることではないが、神は何でもできる」と言われた。
++
ルカによる福音書14章
25 大勢の群衆が一緒について来たが、イエスは振り向いて言われた。
26 「もし、だれかがわたしのもとに来るとしても、父、母、妻、子供、兄弟、姉妹を、更に自分の命であろうとも、これを憎まないなら、わたしの弟子ではありえない。
27 自分の十字架を背負ってついて来る者でなければ、だれであれ、わたしの弟子ではありえない。
+++++++++++
ここに登場する一人の青年は、間違いなく真面目な人だったと思います。
そして真剣に「神に喜ばれる生き方」を考えていた人だと思います。努力家でまじめな青年です。
ところが、イエス様との話し合いの中で彼は失望して去っていくことになりました。
なぜだったのでしょう。何が問題だったのでしょう。
イエス様が指摘したかったことはどんなことだったのでしょう。
1)義務感としての「律法遵守」
彼は十戒を守ってきました。それ自体に対する達成感もあったかもしれませんが、とにかく自覚できるくらい「守ってきました」
この意識は放蕩息子の物語に出てくるお兄さんの意識と似ています。ルカによる福音書15章
15:29 しかし、兄は父親に言った。『このとおり、わたしは何年もお父さんに仕えています。言いつけに背いたことは一度もありません。それなのに、わたしが友達と宴会をするために、子山羊一匹すらくれなかったではありませんか。
15:30 ところが、あなたのあの息子が、娼婦どもと一緒にあなたの身上を食いつぶして帰って来ると、肥えた子牛を屠っておやりになる。』
これは決して悪いことではないのです。しかし、神の願いは義務感で生きるのではなく、自由に生きるあり方だったはずです。

2)完全になりたいのなら
19:21 イエスは言われた。「もし完全になりたいのなら、行って持ち物を売り払い、貧しい人々に施しなさい。そうすれば、天に富を積むことになる。それから、わたしに従いなさい。」
イエス様はこの青年に向かって「自分の持ち物を売り払い、貧しい人々に施しなさい、そしてイエス様に従うように」と勧めました。
「完全になる」という言い方は「神に受け入れられる」という意味が含まれていると思います。神に受け入れられる、あるいは神からの豊かな祝福を受け取りたいと思うなら「自分の持ち物を売り払い」ということになります。

3)自分の持ち物を売り払い・自分のいのちさえ憎むとは
平行記事としてあげてあるルカによる福音書14章には
イエス様の弟子として歩むためには「父、母、妻、子供、兄弟、姉妹を、更に自分の命であろうとも、これを憎まないなら、わたしの弟子ではありえない。」
とあります。これは一体どういうことなのでしょうか。
物理的に「売り払う」「家族さえ憎む」ということではないと思います。
自分の中に育ってしまっている「先入観」「常識となっている発想」のひとつは「わたしには、これらのものがなければ幸せになれない」というのがあります。
「自分の持ち物、宝物、お金、父、母、妻、子、兄弟、自分の命、健康などなど」がなければ自分は決して祝福されない、幸せになれない、神に喜ばれる生き方はできないという発想が私たちの中にはあるのです。
これがおそらく一番根深い、私たちの問題かもしれません。
「外付けの何か」にしがみついて生きているのです。
イエス様はそれを指摘していて、それらすべてがなくても「神を味方に生きられたら幸せになれる」と教えようとしているのです。

4)悲しみながら
この青年は悲しみながらイエス様の元から離れて行きました。イエス様は「金持ちが天の国に入るのは難しい。ラクダが針の穴を通るより難しい」と語りました。
そのくらい、「ものへの執着、外付けの宝物への執着」は強いのです。一旦、それらへの執着がある自分に気づかされたら、それを認め、神様、これらのものをあなたにお預けしますので、私を祝福してください」と祈れたら良いのです。あるいは「わたしは自分への神からの祝福を、どんなものより真剣に求めます」という意識を育てることが重要なのです。

そこで「もし、だれかがわたしのもとに来るとしても、父、母、妻、子供、兄弟、姉妹を、更に自分の命であろうとも、これを憎まないなら、わたしの弟子ではありえない。」という言葉からの説明を加えておきたいと思います。
あなたが誰かを愛しているとして「わたしはあなたを愛し、あなたのためなら自分は不幸になってもかまいません」と告白したとしましょう。
一見、この告白は犠牲的な意識に溢れた素晴らしいもののように聞こえます。また、それを受けて相手も「私もあなたの祝福のためだったら自分が不幸になってもかまいません」と伝えたとして、ふたりがうまくいっている間は良いのです。しかし、一旦関係がこじれると「不幸な人がふたり生まれ、二人が責め合う」こと必至です。
本来は、「私はあなたを愛していますが、自分への神からの祝福を得るために、あなたに対してノーということがあります」と正直に告白できないと「愛し合う」ことの継続は難しいのです。
つまり、父母妻子兄弟のために「自分の祝福を捨てたり、自分を殺してしまってはならない」のです。
それがイエス様の教える「父母妻子兄弟を憎む」という言葉の意味です。
神様はあなたの祝福を願い、また父母妻子兄弟の祝福を願っておられます。だからこそ、双方に限界を設ける必要があるのです。
できないことはできないと言える関係、無理は無理と言える関係がないと、両方とも不幸になっていきます。

「そして自分の十字架を負って」とは自分の恥を認めつつ、自分の不足を隠すことなく、自分を生きるという意味になるでしょう。それこそが神からの祝福を受け取りつつ生きる秘訣なのです。
この青年は、せっかく真面目に生きていたのに、外付けの宝ものに握られてしまっていて、幸福を逃すことになりました。犠牲心も忠誠心もあったと思いますが、神からの愛、神への愛には気づいていませんでした。
もっともっと神に愛されている自分を大切に考える必要があると感じます。
もっともっと、神の愛の中に置かれている自分の存在価値を認め、自分を大切にして、丁寧に生きることを進める必要があると思います。自分への神の恵みをしっかり追い求めつつ生きるのです。
私たちは人のいのちを背負うことはできません。
一緒に寄り添って歩むことも不完全にしかできません。
自己犠牲は綺麗な言葉ですが、そこには無理があり、双方を幸せにする要素はありません。いつまでたっても強い人は強いまま、弱い人は弱いままです。
神は、あなたにもわたしにも「祝福を用意」しておられます。
自分に何一つ良いものがなくても、他者に対して誇れるものなどなくても良いのです。神はあなたの存在そのものを大切だと認めてくださるからです。
それを信じていますか?
そのためにこそイエス様のいのちを提供してくださったことを本気で信じていますか?
あなたもわたしも神の愛の対象なのです。その愛をしっかり受け止めることに焦点をしぼって生きるのです。

【日ごとの糧】2019.08.31

【日ごとの糧】〜ローズンゲンによる〜
2019.08.31

わたしたちの助けは天地を造られた主の御名にある。
(詩篇124編8節)

彼らのまねをしてはならない。あなたがたの父は、願う前から、あなたがたに必要なものをご存じなのだ
(マタイによる福音書6章8節)  
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神様が私たちの必要を知り、それに対する対応さえも考えていてくださると聖書は教えています。
私たちの思い通りの方法かどうかわかりませんが、とにかく私たちの出来事について介入してくださることは大きな励まし、慰めです。
今日も、それを信じて前向きに生きていきましょう。

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