物臭牧師日記

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産みの苦しみ

九州地震の報道が続きます。
見るたびに、21年前の阪神淡路大震災の時を思い出します。
さすがに感覚としては薄らいできていますが、記憶はそうはいきません。
次々と思い出されてきて、とてもたまらないと言う感じです。
まだベッドの中にいました。突然下から突き上げるような、それでいて近くに飛行機が墜落したかと思うような地響きがあり、次の瞬間に横揺れが、すぐに縦揺れがあって、「あ近いな」と思った瞬間、部屋中でガラスよ食器が割れる音、それから10階建てのマンションがきしむ音、不気味でした。
多分、今回も似たようなことだったのでしょうね。
世界中目を向けると、あちこちの国で、同じような地震による災害が起こっています。日本だけが多いわけではないようです。
こんな出来事を考える時にいつも思い出す主の言葉があります。
「「みんぞっくは民族に、国は国に敵対して立ち上がり、方々にききんと自身が起こります。しかし、そのようなことはみな、産みの苦しみの初めなのです。」(マタイ24章7〜節)。
ここで言われている「産みの苦しみ」とは、どんなことを意味しているのでしょうか。
当然に何か新しいこと=世界の出現だと私は考えます。
そのことの予兆だと言うことでしょうね。でも、まがその時ではない、そのことを知らせる、たぶん警告と言う意味を含んでいる。ちょうど妊婦の陣痛のようなことです。
新しい命が生まれることはどれほど大きな喜びでしょうか。しかし、まだその瞬間ではない。どうしてなのか、
主はこれに続いてこうおっしゃいました「この御国の福音は全世界に述べ伝えられて、すべての国民にあかしされ、それから、終わりの日が来ます。」(14節)
その終わりの日には、キリストの再臨と共に、新天新地の始まりとなるわけです。
まだ「福音は全世界に宣べ伝得られていない」、そこに「産みの苦しみ」があるのだと思います。
この世にしか希望のない人々にとっては、世にあることがすべてです。しかし、神を信じる者にとっては、この「産みの苦しみ」の後に、新しい子供の誕生と言う喜びが待っているように、この新天新地の希望があります。
これらの苦しみは、苦しみで終わるようなものではないというのが、私たちの信仰です。
未来に希望のない人々のように悲しむに押しつぶされないように、目を天に向け、復活の主イエスに希望をつなげましょう。そしてもちろん、福音を証することに、もっともっと力を注ぎだしましょう。

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愛する家族ヲ失い、家屋敷が破壊されて自身も大きな傷を負い明日をどう生きようかと検討もつかない絶望の中にいる人に今は産みの苦しみの中にいるけどやがて新しい世界が来るからとは言えない。
世界中見回しても生き地獄ではないかと思われる状況の中に生きている人達は以外と多い。もっと魂揺さぶるお言葉はないものか。全然心に響かない。

2016/5/6(金) 午後 9:49 [ 七軒 町子 ]


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