物臭牧師日記

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病む社会

今朝も心痛むニュースでした。
ネグレクト(育児放棄)、そして幼児虐待、
絶対的信頼を置いている親から、虐待を受ける幼児の気持ちを想像するだけで、胸が痛みます。
何故、どうして?と次々と疑問はわいてきます。
人らしい心が宿っていないのだろうか?
親自身が過去にどんな風に育てられたのだろうか?
どんな価値観を持ってい生きているのだろうか?
 後になって、担当の役所が事前に察知していたと言う報道があるのが常ではないか。それなのに何故、止められないのか、法律はどうなっているのか?施設や人員はそろっているのか?疑問は後を絶ちません。
 精神的弱者についても、これと全く同じことが言えます。
友人が鬱と診断されて薬をもっらって病院から帰ってきました。
こんなことは、アメリカやカナダではありえないことです。
鬱と診断されたなら、たとえ精神科の医師でなくても、医師はその人を72時間、保護する義務があるからです。
怠って、その間に自死すれば、訴えられます。
障がい者に対する対応もなっていないと言えるでしょう。
 皆、逃げているのでしょうか。
表面的には、平和だとか、好景気が続いているとか言いますが、人間の心の中の闇は、少しも消えていないように思えます。
 そんな人々が、宗教なんていらないと言うのでしょうね。
何故なら、自分にとって都合が悪いからです。
これは神に対する反逆罪です。

安倍首相が衆議院を解散した。
取ってつけた理由だが、何の説得力もない。
自己保身でしかない。
そのために国費をつぎ込む。究極の無駄使いだ。
選挙の公約には、また「できたらいいな」と言う膏薬(公約ではなく)をを挙げて、
国民を釣り上げるだろう。
またそれに乗っかる国民もいる。
ばかばかしくて、見たくもない政治劇を今回も見せられる。
これもつらい。
国民を愚弄しているとしか言えない。
馬鹿にされても、どうしようもない我々「は、結局投票所へ行って1票を言えるしかない。
世界中で、こんな民主主義に嫌気を指した極端な行動が起きているのも、うなずける。
民主主義と言う制度が疲労骨折してきているようにも思える。
その原因は、政治家と国民の双方に求められるだろう。
不誠実な政治家、口先三寸でお茶を濁す政治家(屋)の驕りと、要求すれど、責任を持とうとしない国民、
民主主ごちう制度は、もともと性善説の上に立って構築されている。
だが、人間はそれほど正しくはない。
そこが問題だ!


日本にはないのか?

昨日、森友夫妻が助成金の不正取得で逮捕された。
おかしなことだと思う。
もしも、問題が発覚kすることなく、小学校が出来て開校となっていたら、どうなっていたか想像してみたことがありますか。
きっと、阿部総理夫人が挨拶に来られたでしょう。
もしかすると、安倍さんからも祝電か何かが送られていたことでしょう。
開校式には、教育勅語を生徒たちによって唱和されたことでしょう。
文部大臣や、大阪府の教育担当者たちも出席して祝辞を述べているかもしれません。もちろん、維新の会のあの人もです。
それが急転直下、詐欺の容疑まで掛けられて逮捕です。
政治家はもとより、関係した財務省や大阪航空局の職員まで、一斉に黙りこくってしまいました。
「さわぬ神にたたりなし」と言うのでしょうか。
加計学園問題もそうです。
重要なところを知っている人たちが必ずいるわけです。
それが政治家であっても、そうでなくても、皆が一斉に黙秘を決め来ぬと言うのは実に恐ろしいくないでしょうか。
真実を闇の中に頬無ってしまう、それで政治家も官僚も、国民の税金から高額な報酬をもらっていることが、最大の犯罪でなくて何でしょうか。
お隣の韓国では、大統領の弾劾制度があります。
日本には総理御大臣の弾劾制度はないのでしょうか。
国民投票で、決められないのでしょうか。
ここまで、国民から真実を隠し続ける人々に良心の欠片もないと言ったら言い過ぎでしょうか。
彼らがそれぞれに権限を委託されているだけに、受ける非難も大きくなければなりません。それでも「長い者にはまかれろ」「泣く子と、地頭には勝てない」でよいはずはありません。

13に、亡くなった劉氏への関心が、どこか腰砕けのような国際社会に、落胆を覚えます。政治家たちの現実主義と言うのでしょうか、経済第1主義とでも言うのでしょうか。
命を懸けて良心の自由と戦った戦士に比べるから、そう感じるのでしょうか。
普段から妥協の世界で出世街道を歩くと言う生き方を、正義と自己犠牲の奉仕として印象付ける欺瞞的な生き方が、そうさせているのかもしれないと思います。
現代のマハトマ・ガンジーのような劉氏が、あまりにも孤高な存在だから、余計にそう思えるのかもしれません。
中国の共産党独裁は、劉氏を国家転覆をはかる犯罪者と決めつけていますが、そもそも国家とは何かを抜きにしての国家転覆者とは、どうゆう意味なのでしょう。
国家が国民の意志によって成立すると言うのでない限り、それ自身が国家とは言えないはずです。
権力を掌握する者が、国家と言うときに、いつもその問題、すなわち国家とは何かが問われなければなりません。
これは日本でも同じです。
安倍さんの言う国家とは何なのか、です。
すでにそこに存在するものとしての国家ではないはずです。
国を形成する一人一人の存の保証と良心の自由とが国家を形成する土台ではないでしょうか。
権力者への奉仕ではないはずです。
旧約聖書のレメクと言う人物が、最初のは権力者として登場しますが、昔も今もこの問題は、人間の罪の深さと密接につながっていて、解決はつかないのかもしれませんが、でも戦いつつけなければならない問題です。
レメク的社会の変革は、神の法と愛の秩序の回復にあると思っています。
中国のキリスト者たちの宣教活動こそ、真の改革運動だと信じて祈り続けます。

欲望の資本主義

昨晩NHKテレビで「欲望の資本主義」と言う番組を見た。
その最後の方で、破壊されようとしている現在の資本主義のシステムを前にして著名な経済学者が「そして神は死んだ」と言う発言をしたのに、私は疑問を名がかけたい。
第1に、資本主義経済が誕生した背景に、キリスト教が影響していることはマクスウエルの著からも認めよう。
しかし、神は資本主義の擁護者ではない。
まして、飽くなきまでの欲望の支持者でもない。
現在の資本主義と言うシステムが破壊寸前の危機にあるのは、確かに技術革新の結果である。
ご意見の通り、技術革新は経済の発展に不可欠となった。
しかし、その革新的技術は同時に欲望追及のツールでもあったのではないだろうか。例えばコンピューターがそうである。
ケインスの経済学は、現代社会を想定していなかったのも、お説の通りである。
言い方を変えれば、現在の経済活動は、古いルールと言う軌道の上を新幹線で走っているようなものだ。
何時か、やがて暴走する列車は転覆するだろう。そして世界は大きな打撃を受けるだろう。
政治は、本来経済をコントロールするために必要であった。
しかし今や政治もまた暴走する経済の「後押し役を果たしている。
その結果、増大する格差に不平と不満を募らせる一般市民が世界中にあふれている。
人間の欲望をコントロールすることは、不可能とさえ思える。
公平な分配こそが求められているのだが、それを究極的な命題にすると、そこにはマルクスの経済理論が頭を出す、現在の経済学者たちはそれを恐れているために、。社会主義的経済からは、極力遠ざかろうとしている。
そうして経済学者たちもまた、自分の欲望と名誉にこだわり続ける。
「神は死んだ」のではない。
そうした不義をもって真理を阻んでいる人々に対して、神の怒りは掲示されているのである。
死んだのは、人間に仕える神、人間の都合に合わせて働いてくれるアラジンのランプから出て来る巨人のような神なのである。

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