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『晩春』 この作品に長く演能を挿入したところに小津の意識の強調を感じる。
この強調は、いつになくアグレッシブに感じられるので、おや、と思う。
能『杜若』は、要なき者として東に下る在原業平の、都に残した届かぬ雲居の恋と功名の幻影。
負けた、落ち人の戦慄(わなな)き、、、
唐衣着つつなれにし妻しあれば遥々来ぬる旅をしぞ思ふ ー 伊勢物語第九段
落ち人の心は、政敵や社会には決して向かわず、それらを超えて、恋する女のもとへ飛んでゆく。
遥けし雷(いかづち)に追われた源氏の君の須磨下りをも彷彿とさせる、儚い大和魂。
とは雖も、歌舞の菩薩の権化である業平の言霊は草木とさえ交信する、救われました、と
変化自在に舞う花の精。落ち人の潔い大和魂は、天地をも動かす力なれば、況や人心をや。
これこそは日本の理(ことわり)末代にまで伝えよう、と。 これですよ、此処、これこそが
戦後日本人の帰依すべき世界であると言わんばかりに、小津は、じっと見せる。
小津の見た日本文化の深奥。 そこに、小津は敗戦を封じ込めようとしたものだろうか。
谷崎の『細雪』のシュトルツ夫人の手紙に見られる戦争の序曲から、一挙に、大戦を跨ぎ越して、
まるで無傷な日本文化を見せた小津の思惑は、、
紀子の潔癖な純情であったり、父親の娘を思う方便であったり、ここ、そこ、
いたる所に、ほろほろと、やさしい、しんみりとした、互いを気遣う心。
コカコーラをさりげなくポンと七里ケ浜に置く、ポジテイブに差異を受容できる心。
日本人に、やさしくあれ、と、、 小津は、敗戦に品格を与えた。
日本人の心は、間違っても、軍歌に酔いしれる世界を好んだりはしないのである。
欧米に於ける小津の賛美者たち、ジム・ジャームッシュやウイム・ヴェンダーが、
小津のミニマルな様式美と共に、この共感能力をも感じているであろうと思うのは、
彼らの作品に、贅肉を削いだ言葉が見られるからである。
共感すればする程言葉は少なくてすむ。「言葉少な」を好む日本人。
ところが、この「言葉少な」は、品格に支えられてこそ光り伝播され得るものであって、
それ無しには単なる粗野で未熟なものとなりがちで、野蛮への移行はいとも容易く行われてゆく。
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・・・・「コカ=コーラ」。私が一応の「物心ついた時」には、コークは、生活に入っていたので、小津監督の作品でのインパクトについては気がつきませんでした。
改めて見てみたいと思います。
今回の記事の趣旨について、いろいろ考えておりますが、昨今の日本の「平時の混乱」をご覧になって、「乱時の平穏」を取り戻せとのお話と理解させていただきました。賛成です。
2009/4/1(水) 午後 11:44
コカコーラと小津氏の敗戦意識については、今回初めて考えたことなのです。
彼の日本文化への造詣の深さ、思い入れに自分なりに拙い思いを馳せてみました。
鑑賞する度に新たな視点で見る事ができますので、スルメを味わう心持ちです。
若い頃と今の自分と、当然のことながら感じるところも変わってきますしね、
特に自分の年令が娘よりも父親側に近くなったことを思いますと、小津さんとの
お付き合いの長さを実感します。真に良いものとの、一生のお付き合いですね。
2009/4/2(木) 午後 2:25 [ pasturedogs ]