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昭和44年発刊した「上高地の大将」を再び読み返し、当時の自分とはまったく
違った感覚で蘇り読み耽ってしまった。


著者 「木村 殖(しげる)」


1905年(明治38年)堀金村多田井に生まれ、1927年(昭和2年)に外交官に
なろうと決心し、普通文官の受験勉強のため父が管理人をしていた上高地に入った。

内野常次郎(常さん)に狩猟の指導を受け勉強に取り組んだが、次第に山の魅力に
散り付かれ、入山2年目には父に代わって冬小屋に閉じこもるように
なってしまった。

1931年(昭和6年)庄吉小屋に住み、1933年(昭和8年)には帝国ホテルに
移り裏に木村小屋を建て大学山岳部の世話をしながら、戦前、戦後にかけて多くの
遭難救助に貢献した。

長野県遭難対策協議会北アルプス 南部救助部長を務め戦前、戦後にかけて
通算1400〜1500件の遭難を扱いました。

1969年(昭和44年)自伝「上高地の大将」を発刊しました。




昭和44年に今は亡き先輩が交通事故で入院していた私に
この本を持ってきてくれてとても嬉しく蘇ってきた
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裏表紙にある当時の大正池はこんな状況でした
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平成21年5月13日の大正池
同じ場所辺りから撮影した写真です
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あかがね街道 写真集

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あかがね街道(足尾銅山街道)は、足尾銅山の銅を江戸に運ぶために徳川幕府により
整備された街道である。

日光市足尾町〜利根川河岸(伊勢崎市境又太田市尾島)までの標高差600m、60kmに及ぶ街道には、銅の継ぎ送りするために5ヶ所の宿場が置かれ、徳川幕府の御用銅として
厳重に運ばれていた。

この街道沿いには、今でも道祖神・馬頭観音・双体神など江戸時代の年号が刻まれた石仏や同年代の神社仏閣が多く見られる。

大正元年(1912年)足尾線(現わたらせ渓谷鉄道)が開通し、その後国道122号線の開通により銅山街道は使命を終えた。

この写真集を出版された檜谷俊樹さんは長期間にわたり、撮影を続けて大変な思いで撮っていた様子が伺えます。

機会があれば是非この 「あかがね街道」を歩いてみようと思います。

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