| 韓国が、日本の防衛白書に抗議するのは毎年の反日行事で、竹島問題を棚上げして日韓友好を続けた自民党政権、韓国に媚びてばかりの民主党政権が内政干渉だと抗議をしないからで、8月1日の自民党議員の入国拒否や、これまでの反日抗議と同じで「日の丸」を燃やしていますが、日本の「外国国章損壊罪」と同じ親告罪として、韓国にも「国交に関する罪」が規定されているのに、日本政府が請求しないからです。 |
※親告罪=外国政府の請求がなければ公訴を提起されない
日本、刑法92条外国国章損壊罪
1項「外国に対して侮辱を加える目的で、その国の国旗その他の国章を損壊し、除去し、又は汚損した者は、二年以下の懲役又は二十万円以下の罰金に処する。」
2項「前項の罪は、外国政府の請求がなければ公訴を提起することができない。」
韓国、国交に関する罪
第109条(外国の国旗、国章の冒涜) 外国を侮辱する目的でその国の公用に供する国旗又は国章を損傷、除去又は汚辱した者は、2年以下の懲役又は禁錮又は300万ウォン以下の罰金に処する。<改正95・12・29>
第110条(被害者の意思) 第107条から第109条までの罪は、その外国政府の明示した意思に反して公訴を提起することができない。<改正95・12・29>
| 私のブログへご来訪下さる方より、「鬱陵島には対馬は元々朝鮮の領土だった、とかいう石碑があるんだそうです」・「防衛白書に抗議している韓国人は、竹島だけではなく対馬も韓国領土と騒いでいます」などのお知らせを頂きましたが、鬱陵島にある独島博物館の石碑の写真と、対馬も韓国領土の写真(抗議文)をご紹介します。 |
| ↑ 独島博物館が鬱陵島の薬水公園内に設置した、「対馬島本是我国之地」(対馬島は元々我が国の地)と彫られた石碑 |
| ↑ 防衛白書への抗議横幕と読み上げられた抗議文では、「独島警備を海兵隊に転換!鬱陵島海軍基地建設!独島海上軍事訓練実施!」「亡国帝国主義亡霊復活、侵略根性露骨化独島挑発日本防衛白書廃棄せよ!」、そして「独島は私たちの土地!対馬も私たちの土地!亡国日本沈没」 |
| 韓国は、竹島だけではなく対馬の領有権を主張して、韓国政府は昭和26年、主権回復後の日本の領域を定めるサンフランシスコ講和条約の草案が作成されていた時期に、米国に対して、対馬と竹島が韓国の領土であることを認めるように求めましたが、米国は、「対馬は日本が長期間にわたり完全に統治しており、講和条約は対馬の現在の地位に影響を及ぼさない」と、韓国の要求を拒否しています。 |
| ↑ 韓国の、対馬領有権についての馬鹿馬鹿しい主張! |
| ↑ 1145年、高麗王の時期に出来た朝鮮半島に現存する最古の歴史書「三国史記(さんごくしき)」(全50巻)には、「王、倭人が対馬島に営を置き、貯うるに兵革資粮を以て我を襲わんことを謀ると聞き、我はその未だ発せざるに先んじて、精兵を揀び兵儲を撃破せんと欲す」とあり、どう読んでも「倭人=日本人の土地」扱いです。 |
| ↑ 李氏朝鮮領議政(宰相)「申叔舟」(しんしゅくしょう)が、1471年に編纂した「海東諸国紀」では、「日本国対馬島の図」を掲載し、本文では対馬島を日本国西海道に属すとして島内の事情を詳述しています。 |
| 私は本ブログで再三再四、対馬の歴史や、国境の島の「対馬の危機」を記事としていますが、本ブログには投稿文字数に制限がありますので、対馬が日本の固有領土である歴史的事実を簡単にご説明させて頂きます。 |
古代、建国神話である「古事記」では、最初に生まれた島々の1つとして「津島」と記されて、また「日本書紀」には「対馬洲」・「対馬島」と記されています。
3世紀末に編纂された、中共の歴史書「魏志倭人伝」(正式には三国志・魏書・東夷伝・倭人条)には、「倭人帯方東南海の中に有り、山島に依りて国邑をなす」ではじまり、「はじめてひとつの海を渡ること千余里、對馬國に至る」と書かれ、朝鮮半島の沖に倭人=日本人の住む対馬があると紹介されて、倭(日本)の一国として倭国の北岸の「狗邪韓国」の次に「対馬国」として登場し、対馬国は邪馬台国に属して、他の倭の国にも見られる卑狗(ヒコ)という大官と卑奴母離(ヒナモリ)という副官が置かれ統治していたと記されています。
古墳時代初期に築かれた出居塚古墳は、前方後円墳(前方後円墳とは大和地方で発達した古墳の形態)で、出土した有茎柳葉式銅鏃は古式畿内型古墳の典型的出土品で、この時代はすでに対馬は大和朝廷の強い影響下にあったことを示していますし、古墳時代は大和朝廷が度々朝鮮半島に出兵し交戦を繰り返した時代で、この状況は「日本書紀」・「広開土王碑文」・「宋書倭国伝」・「三国史記」の記載により知る事ができます。
1274年文永の役、1281年弘安の役と、2度に渡る元(モンゴル帝国)とその属国高麗による日本への侵略(元寇)を受けて対馬はその最初の攻撃目標になり、「日蓮聖人註画讃」によると、「上陸した蒙古・高麗軍は、男を殺戮あるいは捕らえ、女は一ヶ所に集め、手に穴を開け、紐で連結し、船に結わえ付た」と記されていますし、守護代の宗助国以下80騎の守備兵が全滅しました。
豊臣秀吉の九州征伐に際して、対馬の守護である宗氏は豊臣秀吉への臣従を決定し本領を安堵され、1590年、従四位下侍従・対馬守に任ぜられ、以後その官位が宗氏の慣例となり、関ヶ原の戦いでは、宗氏は西軍に加わり伏見城攻撃・関ヶ原本戦に参加し、西軍敗北後は徳川家康から許され、以後代々徳川氏に臣属し李氏朝鮮に対する外交窓口としての役割を担うことになりました。
江戸時代は、宗氏が対馬府中藩(通称対馬藩)10万石として引き続き対馬を支配し、参勤交代制度に基づき3年に一度江戸の征夷大将軍の元に出仕することとされ、江戸に藩邸を構えて大名行列を仕立てて行き来をして、外交面では鎖国体制の中、朝鮮通信使を迎える等の日朝外交の仲介者としての役割を果たし、また日朝の中央権力から釜山で倭館貿易を許されていました。
江戸時代後期の1861年に、ロシアの軍艦が浅茅湾に投錨して、対抗したイギリス軍艦も測量を名目に同じく吹崎沖に停泊して一時占拠する事件が起こり、5月には外国奉行の小栗忠順が派遣され、7月にイギリス公使オールコックがロシア軍艦を退去させた「対馬事件」がありました。
日本海海戦として定着している、東郷平八郎が率いる帝国海軍の連合艦隊と、ロジェストヴェンスキーが指揮を執るロシアのバルチック艦隊の海戦は、海外では「Battle of Tsushima」として知られて、直訳すると「対馬の戦い(海戦)」になりますし、大日本帝国陸軍では、1878年に熊本鎮台から対馬分遣隊を対馬に派遣し、1886年12月3日に「対馬警備隊」が置かれることとなりました。
| ↑ 2005年3月18日に、韓国の馬山市議会(現在の昌原市)は「對馬島の日」(対馬の日)条例を可決し、条例は「対馬島が韓国領土であることを内外に知らしめ、領有権確立を目的とする」と規定して、2008年7月21日に、韓国の国会議員50名が国会に「対馬は韓国の領土であり、日本は対馬を韓国政府に即時返還すること」を求める、「対馬の大韓民国領土確認および返還要求決議案」(対馬島返還要求決議案)を提出して、同案に対しての世論調査によると、「日本に対馬返還要求すべき」に賛成する韓国人は「50.6%」もいます。 |
| 韓国が日本の防衛白書に抗議することを、日本は内政干渉だと強行に抗議しないから繰り返すのですし、韓国人が日の丸を燃やすのも日本が国交に関する罪を請求しないからで、対馬が韓国領土と主張する韓国人は正しい歴史の真実を学ぶべきです。 |
| 良識ある日本国民の皆様、対馬領有権を主張する韓国についてご考慮下さい。 |
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転載元: 近野滋之・民族主義者の警鐘
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転載下さり感謝を申し上げます。
傑作○です。
2011/8/5(金) 午前 10:40