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		<channel>
			<title>パックス●ジャパニカーナ</title>
			<description>■　このサイトの趣旨
皆さんこんにちは、このサイトを作っている近藤と申します。このサイトは日本人にはあまりなじみのない中東問題について解説しています。

なるべく分かりやすく解説しているつもりですが、私自身、外務省などで研究をしている訳ではないので、論文として発表するような文章ではありません。というか、そういった文章は書きたくても、その能力がありません。

中東問題に興味を持ってインターネットで検索しても、難しい研究発表のようなサイトが多く、私の頭では理解不能でした。そのため、自分なりに分かりやすくまとめてウェブサイトにしました。一部ノート的なところも見受けられますがご容赦ください。

あ、それと私は思想家（メルヘン症候群）でも革命家（妄想癖）でもありません。単に中東問題研究を趣味とするサムライ　エクストリミスト（原理主義）です。

そのためこのサイトでは”中東に平和を！”などと叫んでいません。政治の話もいたしません。日曜日の昼間に看板もってメインストリートを練り歩いたりもしません。（だって道場あるし・・・。）

で・す・の・で、このサイトはあくまで事実を（定説を）解説しているのです。ただ、確実に私が反対する事は人が死ぬことです。

こんな、私ですので皆様のご意見を拝聴し爾後の人生の糧にしたいと思いますので、よろしければメールください。ご質問もお気軽にどうぞ。分かる範囲ですが、お答えさせていただきます。

2000.07.19</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/paxjapanecana</link>
			<language>ja</language>
			<copyright>Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.</copyright>
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			<title>パックス●ジャパニカーナ</title>
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			<description>■　このサイトの趣旨
皆さんこんにちは、このサイトを作っている近藤と申します。このサイトは日本人にはあまりなじみのない中東問題について解説しています。

なるべく分かりやすく解説しているつもりですが、私自身、外務省などで研究をしている訳ではないので、論文として発表するような文章ではありません。というか、そういった文章は書きたくても、その能力がありません。

中東問題に興味を持ってインターネットで検索しても、難しい研究発表のようなサイトが多く、私の頭では理解不能でした。そのため、自分なりに分かりやすくまとめてウェブサイトにしました。一部ノート的なところも見受けられますがご容赦ください。

あ、それと私は思想家（メルヘン症候群）でも革命家（妄想癖）でもありません。単に中東問題研究を趣味とするサムライ　エクストリミスト（原理主義）です。

そのためこのサイトでは”中東に平和を！”などと叫んでいません。政治の話もいたしません。日曜日の昼間に看板もってメインストリートを練り歩いたりもしません。（だって道場あるし・・・。）

で・す・の・で、このサイトはあくまで事実を（定説を）解説しているのです。ただ、確実に私が反対する事は人が死ぬことです。

こんな、私ですので皆様のご意見を拝聴し爾後の人生の糧にしたいと思いますので、よろしければメールください。ご質問もお気軽にどうぞ。分かる範囲ですが、お答えさせていただきます。

2000.07.19</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/paxjapanecana</link>
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		<item>
			<title>アドルフ・アイヒマン拉致作戦</title>
			<description>&lt;div align=&quot;center&quot;&gt;&lt;img src=&quot;https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-fb-d5/paxjapanecana/folder/1500839/56/59599556/img_0?1385888241&quot; alt=&quot;&amp;#x0030a4;&amp;#x0030e1;&amp;#x0030fc;&amp;#x0030b8; 1&quot; class=&quot;popup_img_355_550&quot; height=&quot;253&quot; width=&quot;163&quot;/&gt;&lt;/div&gt;
&lt;div align=&quot;left&quot;&gt;■　アドルフ・アイヒマン&lt;br&gt;
アイヒマンは第２次世界大戦時にユダヤ人を虐殺したナチスのユダヤ問題総責任者です。彼の仕事は効率がよく約６００万人のユダヤ人が抹殺されたとしています。&lt;/div&gt;
&lt;div align=&quot;left&quot;&gt;&amp;nbsp;&lt;/div&gt;
&lt;div align=&quot;left&quot;&gt;ブダペスト駐在スウェーデン公使のラウル・ウォーレンバーグは、ユダヤ人を救出するためビザをばら撒き、時には処刑寸前のユダヤ人をナチスからお金で見逃してもらうというようなことまで行いました。&lt;/div&gt;
&lt;div align=&quot;left&quot;&gt;&amp;nbsp;&lt;/div&gt;
&lt;div align=&quot;left&quot;&gt;あるパーティーでウォーレンバーグは敵の大ボス、アイヒマンと対決します。ユダヤ人から手を引けと言うアイヒマンに対し、ウォーレンバーグは毅然と拒否します。&lt;/div&gt;
&lt;div align=&quot;left&quot;&gt;&amp;nbsp;&lt;/div&gt;
&lt;div align=&quot;left&quot;&gt;アイヒマンは『あなたは人間じゃない悪魔だ。』と罵ったウォーレンバーグに対し『私は命令に忠実な、いちドイツ人だよ。少し勤勉すぎる嫌いはあるがね・・・。』と返します。&lt;/div&gt;
&lt;div align=&quot;left&quot;&gt;&amp;nbsp;&lt;/div&gt;
&lt;div align=&quot;left&quot;&gt;この直接対決の後、アイヒマンはウォーレンバーグを暗殺しようとします。ウォーレンバーグはからくも逃れましたが、ＳＳ（ナチス親衛隊）に狙われる事になり命の危険は常に付きまとっていました。&lt;/div&gt;
&lt;div align=&quot;left&quot;&gt;&amp;nbsp;&lt;/div&gt;
&lt;div align=&quot;left&quot;&gt;それでもウォーレンバーグは自身の命を捨てる覚悟でユダヤ人救出を続けていました。そしてついに、ドイツ軍がソ連軍によって撃退されたのです。&lt;/div&gt;
&lt;div align=&quot;left&quot;&gt;&amp;nbsp;&lt;/div&gt;
&lt;div align=&quot;left&quot;&gt;ドイツが降伏するとアイヒマン中佐は姿を消します。もちろん捕まれば戦犯になる事が分かっていたからです。&lt;/div&gt;
&lt;div align=&quot;left&quot;&gt;&amp;nbsp;&lt;/div&gt;
&lt;div align=&quot;left&quot;&gt;そして、ウォーレンバーグはソ連軍へ事後処理のため交渉に行く事となり、出頭する時、『私は客人としていくのか、それとも捕虜としていくのか。』とつぶやきます。その意味深い言葉は現実となり、ウォーレンバーグは出発したまま帰って来なかったのです。なんと、彼はスパイ容疑でＫＧＢに逮捕されシベリアに送られていたのでした。&lt;/div&gt;
&lt;div align=&quot;left&quot;&gt;アイヒマンは逃亡し、ウォーレンバーグは逮捕されるという不思議なめぐり合わせが起こったのでした。&lt;/div&gt;
&lt;div align=&quot;left&quot;&gt;&amp;nbsp;&lt;/div&gt;
&lt;div align=&quot;left&quot;&gt;【ユダヤ人救出に尽力したのは、ハンガリーに送り込まれたスウェーデン人のラウル・ウォーレンバーグ、リトアニアでユダヤ人の国外脱出のためビザをばら撒いた、大日本帝国の駐リトアニア大使杉原千畝、ドイツの事業家オスカー・シンドラー、中国の駐オーストリア大使何鳳山などがいました。】&lt;/div&gt;
&lt;div align=&quot;left&quot;&gt;&amp;nbsp;&lt;/div&gt;
&lt;div align=&quot;left&quot;&gt;■モサドのナチス狩り&lt;br&gt;
モサドは諜報活動以外にも、世界中に潜伏しているナチス戦犯を探し出し、逮捕もしくは暗殺するという任務がありました。 &lt;/div&gt;
&lt;div&gt;&amp;nbsp;&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;そのモサドに、アイヒマンの情報が飛び込んできたのです。モサドはこの件を最優先事項に指定し、アイヒマン逮捕に向かいます。 &lt;/div&gt;
&lt;div&gt;&amp;nbsp;&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;リカルド・クレメントという偽名で、アルゼンチンの自動車工場に勤めていたアイヒマンを発見したのは１９５９年１２月の事でした。 &lt;/div&gt;
&lt;div&gt;【注：アルゼンチンはＷＷ&amp;#8545;時下、絶対中立を貫きます。終戦直前、中立各国が枢軸国に宣戦布告し連合軍に加わった時にも、アルゼンチンは国交を断絶すると宣言したのみで、あくまで中立を貫いたのです。 &lt;/div&gt;
&lt;div&gt;そのため、戦後ナチスの人々がアルゼンチンに逃亡してきたというわけです。もっとも、ドイツ系移民が沢山いたのもその理由です。】&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;&amp;nbsp;&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;モサドの工作員はアルゼンチンに潜入し、アイヒマンを見張ります。そして、ついに逮捕・・・となれば一件落着でしたが、まだ問題がありました。 &lt;/div&gt;
&lt;div&gt;&amp;nbsp;&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;その場で処刑してしまえば、後はモサド要員が各々イスラエルに帰るのみですが、アイヒマンは裁判にかけるためイスラエルに連れて帰らなくてはなりませんでした。しかし、誘拐して、連れ帰るとなれば、親ナチのアルゼンチンも見逃すはずがありません。出国するときに見咎められるに決まっています。 &lt;/div&gt;
&lt;div&gt;&amp;nbsp;&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;そこへ、偶然チャンスが訪れます。近く開催されるアルゼンチンの独立記念式典にイスラエルから外務大臣が参加する事になったのです。モサドはアイヒマンをこの特別チャーター機に乗せ、連れ帰る事にしました。 &lt;/div&gt;
&lt;div&gt;&amp;nbsp;&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;そして、モサドは作戦の決行を決め、１９６０年５月１１日、帰宅途中のアイヒマンを逮捕（拉致）したのです。アイヒマンは自分がイスラエル機関に捕まったことを悟り、無駄な抵抗する事なくお縄につきました。 &lt;/div&gt;
&lt;div&gt;&amp;nbsp;&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;しかし、問題はこのあとです。アルゼンチン独立記念式典が終わり、チャーター機がイスラエルへ戻るのは５月２１日でした。それまでの１０日間はアジトへ隠れていなくてはなりません。 &lt;/div&gt;
&lt;div&gt;&amp;nbsp;&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;アイヒマンが捕まった（行方不明）事は、会社へ出勤しないのですぐに分かります。アイヒマンの会社の社長は彼が誰であるのかを知っていたのでした。イスラエルが拉致した事が分かると、アルゼンチン政府もアイヒマンを渡せと言ってくるに違いありません。さらには、ネオナチ組織がアイヒマンを救出にくるかもしれないのです。 &lt;/div&gt;
&lt;div&gt;&amp;nbsp;&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;しかし、アジトは発見されず、アルゼンチン政府もアイヒマンが捕まったことに気づいていませんでした。そして、式典は終了し、モサド工作員達はＳＰのふりをして、外務大臣一行とともに飛行機に乗り込みます。&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;&amp;nbsp;&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;飛行機は無事イスラエルに到着し、アイヒマンは刑務所に入れられました。そして、１９６０年５月２３日、イスラエルはアイヒマン逮捕を発表しました。 &lt;/div&gt;
&lt;div&gt;&amp;nbsp;&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;アイヒマンは裁判の後、１９６２年絞首刑にされました。&lt;/div&gt;</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/paxjapanecana/59599556.html</link>
			<pubDate>Sat, 26 Jun 2010 18:08:01 +0900</pubDate>
			<category>中東情勢</category>
		</item>
		<item>
			<title>パレスチナ自治区</title>
			<description>&lt;img src=&quot;https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-fb-d5/paxjapanecana/folder/1500554/05/59203805/img_0?1267859455&quot; width=&quot;107&quot;&gt;&lt;br /&gt;
■パレスチナ自治区とは？&lt;br /&gt;
パレスチナ自治区とは、イスラエルに住んでいるパレスチナ・アラブ人が、独立をして自分達の国家を作りたいという考えに基づいて、とりあえず作る事ができた国家内の国家、つまり自治権です。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
イスラエルの国内にあります。詳しくは以下・・・。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
■パレスチナ自治区の誕生&lt;br /&gt;
パレスチナ人を代表する組織（ＰＬＯ）とイスラエルによる、オスロ合意およびオスロ合意兇亡陲鼎い謄ぅ好薀┘訐衫涼呂涼罎療垰圓妊僖譽好船兵治政府が発足し、自治が始まりました。&lt;br /&gt;
この自治合意では、ウエストバンク内の町をＡＢＣの３つのエリアに分け、自治を認めるという事になりました。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
・Ａエリアとは、パレスチナ自治政府による完全自治であり、イスラエル国防軍も撤収しています。（入植地を守る国防軍を除く） &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
・Ｂエリアの町とは一応の自治ではあるが、一部の町では治安を国防軍とパレスチナの共同で維持します。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
・Ｃエリアの町では自治といっても、今までのようにイスラエルが社会基盤を支え、国防軍も駐留します。これはイスラエルにとって戦略的にも重要であり、イスラエル人の植民も進んでいる町が対象となっています。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
■Ａエリアの町　ウエストバンク内&lt;br /&gt;
　ヘブロン　Heblon　世界の中で最も古い町の１つです。&lt;br /&gt;
　ジェニン Jenin&lt;br /&gt;
　トルカレム　Tulkarem&lt;br /&gt;
　ベツレヘム　 Bethlehem　イエス・キリスト誕生の地です。&lt;br /&gt;
　エリコ Jericho　世界で一番古い町であり、一番最初の完全自治区となりました。&lt;br /&gt;
　ナブルス Nabulus　パレスチナ自治区内では一番大きな町です。&lt;br /&gt;
　ラマッラ　Ramallah　自治政府議長のオフィスがあります。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ゲリラによる攻撃があると、に国防軍がＡエリア報復攻撃を掛けたり、そのエリアを封鎖したりします。ちなみにＡエリアの中に国防軍が進入すると日本のニュースでは侵攻という言葉が使われます。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
パレスチナ自治区の治安維持にはパレスチナ警察があたりますが、この組織はＰＬＯの軍事部門であったＰＬＡ（パレスチナ解放軍）の兵隊がそのまま警官となりました。警察署としては空家となったイスラエル軍の基地があてられました。&lt;br /&gt;
そして、イスラエルによる報復は、この警察署などがターゲットとなりＦ－１６によるミサイル攻撃などにさらされます。</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/paxjapanecana/59203805.html</link>
			<pubDate>Sat, 06 Mar 2010 16:10:55 +0900</pubDate>
			<category>中東情勢</category>
		</item>
		<item>
			<title>第二次中東戦争</title>
			<description>■第二次中東戦争&lt;br /&gt;
スエズ動乱　１９５６年１０月２９日&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
イギリス帝国　フランス共和国　イスラエル&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　Ｖ.Ｓ.&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
新エジプト共和国&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
スエズ運河をエジプトで国有化すると宣言したエジプトに対して、スエズの利権を譲りたくない株主のイギリスとフランスがイスラエルを誘ってエジプトに侵攻しました。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
これこそ”西側先進国、ナセルの鼻を叩き折るというところです”。アラブの英雄と西側諸国の戦いはどうなることでしょう。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
■動乱勃発の原因…ナセルの増長&lt;br /&gt;
エジプトは革命によって親イギリスの国王が退位し、ナセルが国家元首になりました。ナセルはエジプトをイギリスの影響から完全に独立させ、エジプト人によるエジプトのための国家を作り上げようと考えます。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
そう、前国王の血筋はエジプト人ではなく、マケドニアの傭兵ムハンマド・アリーだったのです。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
まず最初にナセルが行なったのは、スエズ運河に駐屯するイギリス帝国軍の撤退を要求する事でした。イギリス帝国軍はスエズ運河の安全保障として、以前にも撤退要求がなされているにもかかわらず、居座っていたのでした。しかし、今度はナセルの要求をのみました。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
そして、ナセルはイギリス軍の撤退を見て、スエズ運河の国有化を宣言します。イギリスとフランスの所有する株式をエジプトが摂取するという法案がエジプト議会を通過すると、両国は激怒します。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
たしかに、ナセルは少し強硬にやりすぎのような気もしますが、国際的に非難されるほどでもありません。イギリスとフランスは少しエジプトから摂取しすぎていたようでした。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
とはいえ、これを受け入れるほど女王陛下はお人よしではありません。フランスもプライドにかけて自国の利権を手放すわけにはいきません。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ナセルは西側や東側のどの大国との同盟にも組しない！アラブはアラブだと言う、アラブナショナリズムを過激に発展させた独自の考えでアラブのヒーローとなったのでした。これはナセリズムとも呼ばれ多くの信者を作りました。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
さてさて、このアラブの英雄ナセル大統領、どこまでアラブの権利を確保できますか。そして激怒した両国はどう出てくるのでしょう。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
■帝国、姦計を仕掛ける&lt;br /&gt;
▼姦計&lt;br /&gt;
イギリス帝国とフランス共和国は一方的に奪われたスエズの利権を奪い返すため、作戦を練ります。もちろん、両国が攻め込んでエジプトを占領する事などは簡単です。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
しかし、それでは侵略戦争となってしまい、国連から制裁を受けるとこになり、女王陛下の威信を落としてしまいます。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
そのため、少し手の込んだ作戦を立案しなくてはなりませんでした。そこへ、現れたのがエジプトの敵であるイスラエルでした。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ナセル大統領は、元々スエズ運河を通行できないイスラエルがインド洋にぬける唯一のルートであるティラン海峡を軍艦で封鎖したのです。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
イスラエルは憤った！これだけでイスラエルとエジプトの戦争になりかねません。そんな状態のイスラエルにイギリス帝国が近づきます。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
そしてどうやら利害が一致したようです。３国は秘密理に作戦を練り、スエズを取り返すためのすばらしい作戦を考えたのでした。その作戦とは…。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
▼作戦&lt;br /&gt;
作戦の内容は、まずイスラエルがティラン海峡の件でエジプトに侵攻する。当然エジプトと戦闘になります。イスラエルはガザを突破し、シナイ半島へ進撃する。そこへ、フランスとイギリス帝国が介入して、両国軍の兵力引き離しを行なう。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
この時点でエジプトはスエズ運河より東で戦闘を行なっている。このエジプト軍に対し兵力引き離しのため、スエズ運河の西に撤退する事を要求する。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
当然エジプトは自国の領土（シナイ半島）から撤退する理由はないとして突っぱねる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
そこをフランス、イギリス帝国両軍が言う事を聞かないなら力ずくでと、エジプトに侵攻して、平和維持のためと称してスエズに駐留する。という内容です。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
▼開戦&lt;br /&gt;
１９５６年１０月２９日、この作戦が発動され、イスラエルは国境をこえエジプト領内に攻撃を加えました。ナセル大統領は非同盟主義とはいえ、実際にイスラエルと対峙しているので兵器は必要です。そのため、ソ連から対イスラエル戦用の兵器を購入していました。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
しかし、イスラエルの戦闘力にはかなわず、シナイ半島を蹂躙されてしまいます。そして開戦から２４時間もたたないうちに、絶妙のタイミングでイギリスとフランスが介入します。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
両国は”エジプトはスエズより西に撤退し、イスラエル軍との距離をとるべし。この要求を受け入れないのであれば、戦争によってスエズが危険にさらされる事になり、国際的な損害を防ぐため、武力によって鎮圧する。”と通告を突きつけます。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
これに対しナセル大統領は激怒し、通告をつき返します。これで、イギリスとフランスの目が光った！なぜか両国の軍隊が地中海に展開しており、ナセル大統領が通告をつき返した次の日には、エジプトに対して攻撃が開始されます。怪しいくらいすばやい反応です。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
▼スエズ運河閉塞作戦&lt;br /&gt;
さすがに、ナセル大統領は敵の思惑に気がつきます。それを知ったら誰でも怒り狂うでしょう。とはいえ、この３国相手に正面切って戦っても勝ち目はありません。ここらへん、ナセル大統領は頭がよかった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
怒りに任せてぶちキレても意味がないので、ナセル大統領はスエズを通行不能にするという実力行使に出ます。これこそ、スエズ運河閉塞作戦です。運河に船を沈め、航路をふさいでしまったのです。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
イギリスは攻勢を強め、１１月５日、帝国空挺師団がスエズに降下し、スエズは落ちるか！？というところまで来ました。もはや、イギリス帝国、フランス、イスラエルと戦争をしているようなものです。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
▼イーグルの介入、そして停戦&lt;br /&gt;
そこへ、ナセル大統領には天の助け、アメリカが介入してきます。実は３カ国連合軍はアメリカは自分達の味方をするというよみがありました。なんせ、敵はソ連の兵器を使っているエジプトであり、いわば西と東の戦争です。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ところが、予想に反しアメリカはこの暴挙を強く非難します。これが効いて、連合軍は国連による停戦を受け入れます。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
イギリスとフランスが１９５６年１１月６日、停戦受諾。イスラエルも８日に受諾します。イスラエルはシナイ半島をかなり占領していたのですが、撤退を要求する国連の決議により、撤退しました。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
こうして、スエズ運河をめぐる動乱は幕を閉じ、ナセル大統領は運河を国有化する事に成功し、先進国を撃退した事により、またしても英雄の株が上昇しました。</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/paxjapanecana/59178236.html</link>
			<pubDate>Sun, 28 Feb 2010 16:15:09 +0900</pubDate>
			<category>中東情勢</category>
		</item>
		<item>
			<title>エジプト革命</title>
			<description>■オスマン・トルコとナポレオンの戦い&lt;br /&gt;
１７９８年、オスマン・トルコが支配していたエジプトへ侵攻したフランス軍（ナポレオン）は、&lt;br /&gt;
古い戦術で戦うオスマン・トルコ軍をあっさり破りエジプトを占領しました。&lt;br /&gt;
（この時ロゼッタストーンが発見されます。）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
しかし、オスマン・トルコもこのまま黙ってはいませんでした。&lt;br /&gt;
当時フランスとやりあっていたイギリス帝国と手を組み、&lt;br /&gt;
エジプトのフランス軍を攻撃、これを降伏させます。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
■傭兵隊長ムハンマド・アリー&lt;br /&gt;
オスマン・トルコは再占領したエジプトに&lt;br /&gt;
ムハンマド・アリーというやり手の軍人を太守として派遣しました。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
太守に就任したムハンマド・アリーは、&lt;br /&gt;
フランスに全く歯の立たなかったオスマン・トルコの弱体化を憂い、&lt;br /&gt;
自分の支配下にあるエジプト軍だけは近代化を押し進めました。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
そして、宗主国であるオスマン・トルコの腐敗を憂慮し、&lt;br /&gt;
ついにオスマン・トルコ打倒の兵を上げるのです。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
いちエジプト太守では大オスマン・トルコを倒すと言うことは不可能だと思われましたが、&lt;br /&gt;
なんと予想に反しエジプト軍はオスマン・トルコ軍を次々と破り、&lt;br /&gt;
首都のコンスタンティノープル（イスタンブール）に迫っていました。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ここで、イギリス帝国がオスマン・トルコ側にたって参戦します。&lt;br /&gt;
さすがに最新鋭のイギリス帝国軍には勝てないと悟ったアリー軍は、&lt;br /&gt;
講和することになりました。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
■エジプト王国、建国&lt;br /&gt;
アリーのエジプト州軍は、この講和によって&lt;br /&gt;
オスマン・トルコから占領していた地域を返還する見返りに、&lt;br /&gt;
自身の任地であったエジプトを王国として独立させる事に成功したのです。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
この国家をエジプト王国ムハンマド・アリー王朝と呼びます。&lt;br /&gt;
しかし、この状態は半独立であり、&lt;br /&gt;
依然オスマン・トルコやイギリス帝国の干渉がかなりありました。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
■スエズ運河&lt;br /&gt;
ムハンマド・アリーの亡くなったのち、&lt;br /&gt;
スエズ運河という大事業がはじまります。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
しかし、この大事業のおかげでエジプト財政は破綻してしまい、&lt;br /&gt;
イギリス帝国とフランスの財政管理化に置かれます。&lt;br /&gt;
いわば一つの国が倒産したということです。（実はイギリス帝国の策略）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
さらに、イギリス帝国はエジプトを保護国とし、&lt;br /&gt;
第一次世界大戦の時には植民地としてしまいました。&lt;br /&gt;
これではさすがにエジプト国民も黙ってはいません。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
植民地化されたことに対し、大戦中から反イギリス運動が高まり、&lt;br /&gt;
結局イギリス帝国は独立運動を抑えきれず、&lt;br /&gt;
大戦後の１９２２年、エジプトに独立を約束します。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
しかし、例によって形だけの独立であり実際はイギリス帝国が裏で国を運営していました。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
そして、第二次世界大戦と第一次中東戦争を戦い終わったエジプト王国は、&lt;br /&gt;
１９５１年１０月、ファルーク国王がイギリスとの同盟の破棄とイギリス軍の退去を要請しました。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
傀儡政権みたいな国王にもまだ少しばかりの愛国心が残っていたようでしたが、&lt;br /&gt;
納得しなかったのはエジプト国民だけではなく、&lt;br /&gt;
イギリスも国王を無視しました。&lt;br /&gt;
　&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
■エジプト革命 &lt;br /&gt;
１９５２年年明けの１月２３日、イギリスとその傀儡状態である国王に対し、&lt;br /&gt;
国民の怒りが爆発します。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
エジプトの民衆は各地でイギリス軍を襲撃し、&lt;br /&gt;
攻撃にはエジプト正規軍まで加わる始末でした。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
１９５２年７月２３日、改革派青年将校たちで結成された&lt;br /&gt;
自由将校団がクーデターを起します。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
政府軍がこれの鎮圧に向かいましたが、&lt;br /&gt;
クーデター軍と相対した政府軍は、革命に参加する意思を表明します。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
自由将校団はこの政府軍を率いて、まず軍の中枢である参謀本部を占領し、&lt;br /&gt;
続いて市内を制圧しました。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
そして、自由将校団はムハンマド・ネギブ中将に協力を要請します。&lt;br /&gt;
ネギブ中将はこれを了承し、革命軍最高司令官に就任しました。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
革命軍が占領した放送局からクーデターの声明文が発表されると&lt;br /&gt;
エジプト国民は狂喜しました。&lt;br /&gt;
ところがこれを聞いて肝を潰したのはファルーク国王です。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
革命軍は７月２６日、国王に対し退位を要求します。&lt;br /&gt;
このクーデターのリーダー、ナセル中佐は２．２６事件から教訓を得てかどうかはわかりませんが、&lt;br /&gt;
腐敗した国王をはじめとする官僚達を殺さなかったのです。&lt;br /&gt;
国王は保障された財産と共に豪華ヨットでギリシャへ亡命しました。&lt;br /&gt;
そのため無血クーデターとなりました。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
こうして、１９５３年６月１９日、ネギブ中将（自由将校団ではない）を&lt;br /&gt;
首相兼大統領としてエジプト共和国の設立が宣言されました。&lt;br /&gt;
ナセル中佐は副首相の座に着きました。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
首相はネギブ中将と言う事でしたが、&lt;br /&gt;
実質的な政策は自由将校団リーダーのナセル副首相が行なっている状態です。&lt;br /&gt;
この後、ナセル副首相とネギブ大統領の対立が表面化していくのでした。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
もともと、この革命自体が腐敗政治を一掃するために国民が団結したのであり、&lt;br /&gt;
自由将校団の中にも右派から左派までいろいろ織り交ざっていました。&lt;br /&gt;
そして、一つの目標を達成したのちはそれぞれの理想を主張し始めたのです。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
■ナセル暗殺計画&lt;br /&gt;
そしてついに、超改革派のナセル副首相に対し危機感を募らせていた&lt;br /&gt;
いわば保守派のネギブ大統領はムスリム同胞団と手を組み、&lt;br /&gt;
ナセル副首相の暗殺を企てます。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
１９５４年１０月２６日、演説中のナセル副首相に対し、&lt;br /&gt;
数発の銃弾が発射されます。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
しかし、運よく弾丸は命中しませんでした。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ナセル副首相は演説を続け、&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
『このナセル死すとも、革命は死さず。』&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
と叫び、聴衆の喝采を浴びました。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
この事件により、ネギブ大統領は逮捕され失脚しました。&lt;br /&gt;
しかし、ナセルはすぐに新大統領には就任しませんでした。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
暗殺からからくも逃れたナセル副首相は、&lt;br /&gt;
自分の身の危険などかえりみず、&lt;br /&gt;
革命政権を革命政権たらしめるべく次なる行動を起こします。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
■イギリス軍の退去&lt;br /&gt;
前国王が要求するにはしたものの結局黙殺されている&lt;br /&gt;
イギリス軍のエジプトからの撤退についてですが、&lt;br /&gt;
これが完全に行なわれなければ、エジプトは真の独立国家といえません。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
イギリス軍はスエズ運河の保護のため、&lt;br /&gt;
前国王が撤収を要求したにもかかわらず依然エジプトに駐留していたのです。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
これに対し、ナセルは改めて撤収を要請し、&lt;br /&gt;
これを了承したイギリス軍は１９５６年６月２０日までに撤退を完了しました。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
このイギリス軍の撤退を見てナセルは１９５６年６月２５日大統領に就任しました。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
しかし、このイギリス撤退に対し反応したのはイスラエルでした。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
イスラエルにとってはイギリス軍がスエズにいる限り、&lt;br /&gt;
エジプトの軍事的圧力が緩和されていたので、&lt;br /&gt;
この撤退を妨害するためにエジプトに対し攻撃を仕掛けます。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
これによりエジプトは、革命でうやむやになっていたイスラエルとの敵対関係を再認識します。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
そして、アメリカ、イギリス帝国およびフランスに武器の供与を依頼しますが、無視されました。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ここで、ナセル（大統領就任前）はソ連に接近します。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
これにはソ連も飛びつきました。&lt;br /&gt;
中東に進出するきっかけがつかめたからです。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
これにより、エジプトはソ連製の最新鋭兵器を手に入れることに成功しました。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
■非同盟主義&lt;br /&gt;
ナセルはエジプトが大国との同盟により、&lt;br /&gt;
以前のように食い物にされることを嫌い、&lt;br /&gt;
西と東のどちら側にも組しないとの方針を打ち出しました。&lt;br /&gt;
もちろん、こういう行動は国民やアラブ諸国からも拍手を送られました。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
しかし、現実はイスラエルに対抗する武器を手に入れるため、&lt;br /&gt;
チェコスロバキア経由でソ連から兵器を買うことになってしまいました。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
■アスワンハイダム&lt;br /&gt;
アスワン・ハイ・ダム、つまり旧アスワン・ダムの&lt;br /&gt;
さらに上流に作られた新アスワン・ダムです。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
この新しいダムによって電力の供給を賄い、&lt;br /&gt;
近代的な都市を作り上げ、なおかつ氾濫によって&lt;br /&gt;
定期的に発生する農耕の停滞を防ぐという計画です。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
しかし、ナイル川をせき止めて作るため、&lt;br /&gt;
恒例の氾濫によって肥沃な土地となっているナイル川周辺の農業や遺跡が水没しました。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
さらに、事業費が莫大であり、&lt;br /&gt;
アメリカやイギリスからの借り入れを当てにしていたのですが、&lt;br /&gt;
ソ連に接近したエジプトに対して、アメリカやイギリスが融資を断ってきたのです。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
これがナセル大統領の背中を押すことになり、&lt;br /&gt;
世界が仰天するような計画が実行に移されることになるのですが、&lt;br /&gt;
ダム自体はソ連の融資により１９６０年１月９日に工事が始まり、&lt;br /&gt;
１９７１年１月１５日に完成する事が出来ました。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
そして、そのとんでもない計画とは・・・。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
■スエズ運河国有化&lt;br /&gt;
スエズ運河はエジプトにありながら、&lt;br /&gt;
通行料のホンの一部が国庫に入るのみで、&lt;br /&gt;
あとは大株主であるイギリス帝国とフランスに利益を搾取されていたのでした。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
このことから、ナセル大統領は常々スエズ運河の国有化を計画しておりました。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
そこへ、アスワンハイダム建設費の融資取り下げで、&lt;br /&gt;
資金のめどもたたなくなり、&lt;br /&gt;
ついに１９５６年７月２６日の革命記念日にナセル大統領は国有化を宣言しました。&lt;br /&gt;
こうして、得た利益はアスワンハイダムの建設費に当てると言うことです。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
これを聞いてびっくりしたのはイギリスとフランスです。&lt;br /&gt;
自分達が得てきた利益が一夜にして無くなるという事態になり、&lt;br /&gt;
両国はスエズ運河を取り返すため、イスラエルを誘い戦争を計画します。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
こうして、イギリス、フランス、エジプトにイスラエルを加えた四ヶ国は戦争に突入したのです。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
この戦争はスエズ動乱（第二次中東戦争）と呼ばれました。</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/paxjapanecana/58993152.html</link>
			<pubDate>Sun, 10 Jan 2010 15:12:46 +0900</pubDate>
			<category>中東</category>
		</item>
		<item>
			<title>イスラエルという国</title>
			<description>&lt;img src=&quot;https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-fb-d5/paxjapanecana/folder/1500554/58/58955558/img_0?1262357262&quot; width=&quot;112&quot;&gt;&lt;br /&gt;
■イスラエルという国 &lt;br /&gt;
イスラエルという国は１９４８年に国連の決議によって建国を認められたユダヤ教徒の国です。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
どういういきさつで建国に至ったかは中東問題とは？に譲りまして、現在のイスラエルという国を説明させていただきます。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
■ユダヤ教徒（ユダヤ人）&lt;br /&gt;
ユダヤ人とはユダヤ教を信仰している人々の事です。&lt;br /&gt;
国や人種の名ではありません。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ユダヤ教を信仰すれば、あなたも今日からユダヤ人です。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
じゃあ、父親がキリスト教徒で母親がユダヤ人から生まれた場合、子供はどっちの宗教徒になるのでしょう。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
これは、その子供本人がユダヤ教徒にならなければユダヤ人ではありません&lt;br /&gt;
（つまり強制的にユダヤ人にはされないという事です）。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
でも、ナチスは絶滅計画の中で、母親がユダヤ人であればその子供もユダヤ人として、抹殺対象にしていました。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
■イスラエルの国民&lt;br /&gt;
イスラエルの国籍はユダヤ教徒であれば誰でも取得できます。&lt;br /&gt;
しかも、二重国籍も認められています。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
離散の民ユダヤ人は移民の国イスラエルに戻ってきましたが、&lt;br /&gt;
その離散２０００年の歴史の中で人種が多様化してしまいました。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
つまり、ヨーロッパ系の白人ユダヤ人もいれば、&lt;br /&gt;
エチオピアから空輸されてきた（ソロモン作戦）黒人ユダヤ人もいるし、&lt;br /&gt;
さらに地元アラブ系のユダヤ人もいるのです。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ユダヤ教を信仰していればユダヤ人なのです。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
■イスラエル国籍のアラブ人&lt;br /&gt;
イスラエルの国籍を持っているアラブ人とは、&lt;br /&gt;
イスラエルが建国される以前からパレスチナに住んでいて、&lt;br /&gt;
イスラエルが建国後にイスラエルの国民となったアラブ人の事です。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
彼らはイスラエル国籍のアラブ人と呼ばれます。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
彼らこそパレスチナアラブ人です。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
しかし、ほとんどのアラブ人は、&lt;br /&gt;
敵対してるユダヤ人と同じ国籍（イスラエル人）になる事が嫌で国外に逃げ出しました。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
今でも周辺の国々は逃げ出してきたパレスチナアラブ人を難民として抱えています。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
アラブ系イスラエル人には兵役の義務はありません。&lt;br /&gt;
敵国と同じ民族である彼らを兵士として使う訳にはいきません。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ただ、ドルーズ族やベドウィーンなどのアラブ系イスラエル人は兵役についてはいますが、これには訳があります。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
その訳については、ドルーズ族の項を参照してください。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
イスラエルが戦争で占領した地区のうち、&lt;br /&gt;
ウエストバンクとガザはパレスチナ自治区となっています。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
戦争前にイスラエルから逃げ出し、&lt;br /&gt;
難民となってそこに住んでいた人々は、&lt;br /&gt;
今度はイスラエル国内にいる難民となってしまいました。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
彼らはいまだ難民です。&lt;br /&gt;
元々占領地に住んでいた難民ではないアラブ人は占領地の民です。&lt;br /&gt;
彼らもイスラエル人ではありません。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
■イスラエルの言葉&lt;br /&gt;
イスラエルの公用語はヘブライ語（Ｈｅｂｒｅｗ）ですが、&lt;br /&gt;
アラブ人にはもちろんアラビア語（Ａｒａｂｉｃ）が通じます。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
もちろんアラブの国から移住してきたアラブ系ユダヤ人はアラビア語も話します。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
この国では英語（Ｅｎｇｌｉｓｈ）も使えます。&lt;br /&gt;
また、ロシア語やタイ語も通じるかもしれません。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ユダヤ人はヘブライ語を話します。&lt;br /&gt;
イスラーム系アラブ人はアラビア語を話します。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
イスラーム系アラブ人とユダヤ人のコミュニティーは分かれています。&lt;br /&gt;
しかし、労働力としてユダヤ人の社会にいるアラブ人はヘブライ語も話せます。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
■イスラエルの周辺事情&lt;br /&gt;
イスラエルは周辺のアラブ諸国と対立しています。&lt;br /&gt;
でも、最近は対外戦争もなくまあまあ平和なのですが、&lt;br /&gt;
国内のテロや北のレバノン国境あたりはまだ危険です。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
■イスラエルの国内事情 &lt;br /&gt;
イスラエルに旅行の際はユダヤ人のバスに乗らないほうが良いでしょう。&lt;br /&gt;
客として乗り込んだパレスチナゲリラが自爆する危険性があります。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
自分のカバンなども３０秒と放置してはいけません。&lt;br /&gt;
爆弾と間違われて処理班を呼ばれてしまいます。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
こんな時、無敵の日本のパスポートを出してもあまり効果はありません。&lt;br /&gt;
日本赤軍のせいで、ゲリラの協力者では無いかと疑われてしまいます。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
パレスチナ自治区に”入国”するには検問所（国境か！）を通ります。&lt;br /&gt;
パレスチナ自治区にはイスラエル国防軍が侵攻してくるので、&lt;br /&gt;
行動する際はそこいらにいる現地のシトに状況を聞いてからにしましょう。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
アメリカなどの危険地帯は夜出歩いたらダメだと言われ（多分今も）、&lt;br /&gt;
運が悪かったら強盗にあってしまいます。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
しかし、イスラエルの危険地帯（自治区との境、特にパレスチナ側）では強盗はいないのですが、イスラエル兵から実弾を撃ちこまれます。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
死にたくなければそういう行動は控えましょう。日本のパスポートでも通用しません！</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/paxjapanecana/58955558.html</link>
			<pubDate>Fri, 01 Jan 2010 23:47:42 +0900</pubDate>
			<category>中東</category>
		</item>
		<item>
			<title>第一次中東戦争</title>
			<description>&lt;img src=&quot;https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-fb-d5/paxjapanecana/folder/1500720/45/58929645/img_0?1261843432&quot; width=&quot;560&quot;&gt;&lt;br /&gt;
■第一次中東戦争&lt;br /&gt;
イスラエル呼称:独立戦争 １９４８年５月１４日&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
新生国家イスラエル&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　　Ｖ．Ｓ．&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
エジプト王国、シリア、トランスヨルダン、サウジアラビア、イラク王国、レバノン&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
イスラエルが建国されるとアメリカやソ連はこれをすぐ承認しました。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
しかし、アラブ諸国はこれをはねつけイスラエルに攻め込んできたのです。これこそ”アラブ軍団、ユダヤ人を地中海に追い落とす”と言うところです。さて、ユダヤ人の運命はどうなるのでしょう。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
■開戦前夜のパレスチナ&lt;br /&gt;
このパレスチナの地では、イスラエルが建国される以前から、移住してきたユダヤ人達と地元のアラブ人達との間で武力衝突が頻繁に起こっていました。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
お互いに襲撃を繰り返しているので、それに対抗するゲリラが組織されたのです。こうして生まれた地下武装組織がイスラエル独立戦争の主力となりました。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
イスラエルは建国したばかりなので、正規軍と呼べるものは、そのゲリラ組織である”ハガナ（防衛の意）”のみで、以前パレスチナに駐留していたイギリス軍はおろか、周辺アラブ軍とさえ正面から組み合う事は出来ませんでした。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ハガナについで勢力のあるエッツェルやレヒもイスラエル国軍として行動しておらず、あくまで民兵の域を出ていませんでした。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
では、イスラエルは建国すると同時にアラブ軍に蹂躙されてしまうのでしょうか。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
いえ、人間は極限まで追い詰められたら、とんでもない力が出るのです。それが、ユダヤ二千年来の悲願のためならなおさらです。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
■　開戦&lt;br /&gt;
１９４８年５月１４日、イスラエル建国のその日、エジプト王国、シリア、トランスヨルダン王国、サウジアラビア、イラク王国、レバノンがイスラエルに侵攻しました。アラブの土地にユダヤ人が建国する事などは許せぬという事で、すでにイスラエル周辺に軍隊を集結させていたのです。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ユダヤ人はイギリスによって武器を所有する事を禁止されていたので、戦車や飛行機といった大きな兵器は持っていません。ハガナなどが細々と密輸していた小火器でアラブ軍と戦います。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
しかし、アラブ正規軍の火力は圧倒的で、開戦四日目にはヨルダン側から進入したアラブ軍がエルサレムを包囲してしまい、テル・アビブからの補給が不可能になりました。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
街道にはアラブ軍があふれている状況に、テル・アビブ大本営のベングリオン初代首相は、エルサレム放棄を決定するのでしょうか？ &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
いや、エルサレムを放棄すればイスラエル建国を放棄するも同然であることは誰の目にも明らかです。ユダヤ人がパレスチナに建国するのはそこに聖地エルサレムがあるからなのですから。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
テル・アビブ大本営は今や食料の尽きかけたエルサレム守備隊に絶対死守を命じますが、命じる必要などありません。そんな命令の無線は電波の無駄遣いです。エルサレム守備隊はもとより誰しも降伏など考えているはずがありません。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
しかし、精神力だけでは戦えません、このままではエルサレムが陥落してしまいます。テル・アビブ大本営は新たに補給用の道路を構築する事でこの難を乗り切ります。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
エジプト戦線からの進入もイスラエル抵抗線は簡単に突破され、エジプト軍がテル・アビブへ迫っていました。とはいえ、イスラエルもチェコスロバキアから必死で買い集めた兵器が到着し、ついに航空攻撃も可能となります。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
しかし、民兵がいきなり航空機を操縦する事が出来るのでしょうか？答えはＮｏです。素人が飛行機に乗れば戦闘はおろか、普通に飛ばす事も出来るはずがありません。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
では、パイロットは誰なのか。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
・・・そう、これぞ神の意思か、世界中に散らばっていたユダヤ人は先の大戦で戦争に参加していたのです。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
そこにはヨーロッパ航空戦を戦った、ユダヤ人のパイロットがいました。この英語が基本言語のユダヤ人パイロットはチェコ語で書かれたフライトマニュアルにてこずりながらも、ヨーロッパでは敵(ドイツ空軍)の戦闘機であったメッサーシュミットを乗りこなしたのです。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
さらにイギリス製の戦闘機も到着し、航空戦も熾烈さを増してきました。そこはさながら第二次世界大戦のヨーロッパ航空戦が再展開しているようでした。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
一方、レバノン・シリア戦線からの進入にも、戦車を有するシリア軍に対し、まったく抵抗できずにいました。戦車に対する火炎瓶攻撃がいかに無力かという事は、先の大戦で日本軍の犠牲を見れば分かります。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
そしてこちらにも、チェコの中古兵器市場から対戦車砲が到着すると反撃が可能となり、どうにか進撃を抑えました。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
しかし、このまま戦争を続けても、勝てる見込みはありません。兵隊人員の補給は世界中からユダヤ人が到着しており、数だけはそろっていましたが、軍隊の訓練を受けてない彼らは戦力にはなりません。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
■停戦（第１回目）&lt;br /&gt;
６月１１日、国連が介入し、一時停戦に入ることが出来ました。そして、この停戦間にイスラエルは国防軍（ＩＤＦ）を発足し、組織的な軍隊を作り上げたのです。まあ、形だけとはいえ・・・。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
■イスラエル国防軍の攻勢&lt;br /&gt;
停戦期限の終わる７月９日、イスラエルは攻撃こそ最大の防御とばかりに、攻勢に出ます。この時には戦車も保有していたＩＤＦ機甲部隊は、歴戦の元ソビエト赤軍戦車部隊で指揮官が率いていました。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
これでは、いかに兵器が優秀であるアラブ軍でも敵いません。イスラエル国防軍はアラブ軍の戦線を押し返し、エジプト方面にいたっては逆に国境をこえ、エジプト領内に侵入しました。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ここで、エジプトに対し味方が現れました。イギリス帝国です。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
イギリスはイスラエルに対し、エジプト領内からの撤退を勧告したのです。撤退しないならばエジプト側に立って参戦するというイギリスの態度に負け、イスラエル国防軍は国境まで後退しました。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
■停戦（第２回目）&lt;br /&gt;
これが、良い機会となり、１９４９年２月２３日、エジプトとの停戦を皮切りに無期限の停戦となりました。そして、結局イスラエルの国土はガザ地区、ウエスト・バンク、ゴラン高原をのぞく国境線を確保することになりました。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
聖地エルサレムはヨルダンとイスラエルで分割され、ユダヤ教の聖地がある東エルサレムはヨルダンになってしまいました。つまり、ユダヤ人は聖地に巡礼に行くことができなくなったのです。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
そして、トランス・ヨルダン王国は念願のエルサレムを領土に納め、国名をヨルダン川の向こう側（東側）という意味である、トランス・ヨルダンからヨルダン・ハーシム王国に変更したのでした。</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/paxjapanecana/58929645.html</link>
			<pubDate>Sun, 27 Dec 2009 01:03:52 +0900</pubDate>
			<category>中東</category>
		</item>
		<item>
			<title>中東問題とは?</title>
			<description>The Middle East Conflict&lt;br /&gt;
イスラエル建国による中東問題の発生&lt;br /&gt;
（というか複雑化） &lt;br /&gt;
　&lt;br /&gt;
■中東問題 &lt;br /&gt;
中東問題とは、ユダヤ人がイスラエルという国を作ったため、&lt;br /&gt;
そこに住んでいたユダヤ人ではない民族（アラブ人）が&lt;br /&gt;
納得できないと言って、手段や主張の強弱はありますが、&lt;br /&gt;
ユダヤ人に立ち退きを迫っている事から両者の間で起きている摩擦（擦り過ぎで火が出てる）の事です。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
詳しくは以下。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
■中東問題の始まり  &lt;br /&gt;
国を持たないかわいそうな民族ユダヤ人は世界中に散らばっていました。&lt;br /&gt;
ユダヤ人は生まれた場所（パレスチナ）から&lt;br /&gt;
ローマ軍によって追い出されていたのです。&lt;br /&gt;
それからずっと、自分達の権利を保護してくれるものがないので&lt;br /&gt;
迫害を受けてきました。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
そのため、彼らは国家を持ちたくなったのです。&lt;br /&gt;
しかし、世界中どこを探しても、国ができるほどの空き地があるはずありません。&lt;br /&gt;
さらにユダヤ人が生まれた町も今は人のものです。&lt;br /&gt;
ただ、そこは未だ国家として独立している訳ではありませんが・・・。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ユダヤ人が生まれたパレスチナ地方は、&lt;br /&gt;
ローマ帝国が滅びた後にはオスマン・トルコが領地とし、&lt;br /&gt;
オスマントルコが第一次世界大戦で滅びた後はヨーロッパの委任統治領です。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ではこの土地を分けていただこうと、&lt;br /&gt;
あるユダヤ人がオスマン・トルコの皇帝、&lt;br /&gt;
その後はイギリス帝国にお願いします。&lt;br /&gt;
しかーし、イギリス帝国にもいろいろ事情があったのです。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
以下イスラエル独立前夜へ・・・。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
■本題へ行く前に、予備知識Ｑ＆Ａ  &lt;br /&gt;
Ｑ:パレスチナって何のことですか？&lt;br /&gt;
Ａ:イスラエル、ヨルダン、シリア、レバノンあたりを指す地域のことです。&lt;br /&gt;
日本でいえば関西とか関東みたいな感じです。&lt;br /&gt;
完全な枠組みがある訳ではありません。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
Ｑ:パレスチナ・アラブ人って誰ですか？&lt;br /&gt;
Ａ:パレスチナ地域に住んでいるアラブ人です。&lt;br /&gt;
ただし、現在この地域は国境で区切られているので、&lt;br /&gt;
同じパレスチナ地域に属するシリアやレバノンではその国の人々という事になっています。&lt;br /&gt;
シリアに住む人はシリア人、レバノンに住む人はレバノン人です。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ちなみにアラビア語を話す人は全員アラブ人です。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
Ｑ:パレスチナ国という国家がないからパレスチナ・アラブ人はいないのですか？&lt;br /&gt;
Ａ:います。そして、パレスチナという国家はヨルダンがその任に当たっています。&lt;br /&gt;
ヨルダン王家はアラビア半島から来た一族ですが、&lt;br /&gt;
国民はパレスチナ・アラブ・ヨルダン人です。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
Ｑ:なぜ国家（ヨルダン）があるのにパレスチナは独立しようとしているのですか？&lt;br /&gt;
Ａ:イスラエルで生まれたアラブ人は、&lt;br /&gt;
やはり自分の土地で独立したいと考えるのです。&lt;br /&gt;
しかし、そこはイスラエルという国が支配しています。&lt;br /&gt;
そのため、独立を望んでいるのです。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
Ｑ:じゃあユダヤ人って誰ですか？&lt;br /&gt;
Ａ:ユダヤ教を信仰している人々です。&lt;br /&gt;
人種ではないので、外見からは分かりません。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
Ｑ:アラブ人でもユダヤ教を信仰していればユダヤ人なのですか？&lt;br /&gt;
Ａ:はい。アラブ人とはアラビア語を話す人の事です。&lt;br /&gt;
これに対しユダヤ人とはユダヤ教を信仰している人々の事なので、&lt;br /&gt;
アラブ人でもユダヤ教を信仰していればユダヤ人です。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
Ｑ:イスラーム教徒でもユダヤ教に改宗すればユダヤ人になりますか？&lt;br /&gt;
Ａ:はい、なれます。&lt;br /&gt;
ただし、改宗するにはラビ（ユダヤ教の偉い人）の認定が必要です。&lt;br /&gt;
審査は厳しいです。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
Ｑ:なぜユダヤ人はイスラエルにこだわるんですか？&lt;br /&gt;
Ａ:大昔、ユダヤ人が国家を持っていた時に、&lt;br /&gt;
エルサレムが首都だったからです。&lt;br /&gt;
その国家が滅亡してから現在のイスラエルまで、&lt;br /&gt;
ユダヤ人はどこにも建国できませんでした。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
というわけで、これを踏まえて以下、イスラエルの独立へ。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
■イスラエル独立前夜  &lt;br /&gt;
イスラエルがあるパレスチナ地域は&lt;br /&gt;
第一次世界大戦までオスマン・トルコの支配下にあり、&lt;br /&gt;
アラブ人やユダヤ人達が普通に暮らしていました。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
第一次世界大戦でオスマン・トルコが滅びると、&lt;br /&gt;
イギリス帝国とフランスがこの地域を領土とし、&lt;br /&gt;
イギリス帝国はアラブ人には独立、ユダヤ人には国家建設という&lt;br /&gt;
ひとつの地域にふたつの国家建設という矛盾した約束をします。&lt;br /&gt;
帝国のこの行動は約束を守るつもりがないと取れ、意味が分かりません。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
その後、ヨーロッパで迫害されたユダヤ人たちが&lt;br /&gt;
イギリス帝国の言葉を信じてパレスチナの地に逃げ込んできました。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
■パレスチナアラブ人の独立  &lt;br /&gt;
イギリス帝国はアラブ人との約束を実行するため、&lt;br /&gt;
ヨルダンという国を建国させます。ヨルダン建国の背景は、&lt;br /&gt;
レバノンとシリアがフランスの領土となったため、&lt;br /&gt;
これに負けないよう中東地域へイギリス帝国の影響力を&lt;br /&gt;
強めるため（アラブを味方につけるため）の駆け引きでもありました。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
帝国はこのヨルダンをパレスチナの独立という名目で行ないます。&lt;br /&gt;
これによりパレスチナアラブ人の国家が誕生したのでありました。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
しかし、ユダヤ人に対しては国家を建国せず、&lt;br /&gt;
依然（現在の）イスラエル地域はイギリス帝国の委任統治領であり、&lt;br /&gt;
ユダヤ人は国家を持ったアラブ人とイギリス帝国に対し敵愾心を燃やします。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
■民族抹殺  &lt;br /&gt;
第二次世界大戦前夜、ナチスによるユダヤ人迫害が激化し、&lt;br /&gt;
ナチス支配地域を逃げ出したユダヤ人達が、&lt;br /&gt;
パレスチナ地方へ大量に押し寄せてくようになりました。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
そして、お金持ちのユダヤ人達（ヨーロッパからの移民）は&lt;br /&gt;
パレスチナアラブ人から土地を片っ端に買い取りはじめ、&lt;br /&gt;
その様は、まさにユダヤ人の国が建設されるかという勢いでありました。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
しかし、そういう大掛かりな事をすれば&lt;br /&gt;
当然社会問題（=中東問題の具現化）になってしまい、&lt;br /&gt;
実質的に土地を無くしたパレスチナアラブ人とユダヤ人の間に&lt;br /&gt;
軋轢がはっきりと見て取れるようになるのです。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
第二次世界大戦が終結すると、ドイツ領以外の世界中に&lt;br /&gt;
散らばっていたユダヤ人は自分たちの立場をはっきりと認識し、&lt;br /&gt;
パレスチナの地に自分たちの国家建設を現実的に考え始めるのです。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
■ゲリラ合戦  &lt;br /&gt;
パレスチナのユダヤ人とパレスチナのアラブ人の&lt;br /&gt;
間ではついに社会問題が激化し、双方が武装地下組織を作り、&lt;br /&gt;
テロやゲリラ活動が行われていたのです。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ユダヤ人過激派はパレスチナアラブ人だけではなく、&lt;br /&gt;
国家建設の約束を果たそうとしないイギリス帝国も&lt;br /&gt;
攻撃対象にしました。&lt;br /&gt;
そして、イギリス帝国はエルサレムの軍司令部を爆破され、&lt;br /&gt;
さらに植民相モイン卿を暗殺されるにいたりついにさじを投げ、&lt;br /&gt;
この地方の権限を新たに設立された国際機関”国連”に委ねたのでした。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
■イスラエル建国  &lt;br /&gt;
まったくもって、国連に委ねられたからといって丸く収まる問題ではなく、&lt;br /&gt;
早くどうにかしないとユダヤ人、パレスチナアラブ人の双方に&lt;br /&gt;
死者が増大するばかりでありました。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
そして国連は、イギリス帝国の約束を実行する事を決意し、&lt;br /&gt;
イスラエル建国に踏み切ったのです。ユダヤ人達は狂喜しました。&lt;br /&gt;
しかし、同時にパレスチナアラブ人を支持する周辺諸国はこれをはねつけ、&lt;br /&gt;
イスラエルに攻め込んできたのです。（第一次中東戦争）</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/paxjapanecana/58846424.html</link>
			<pubDate>Sun, 06 Dec 2009 17:18:29 +0900</pubDate>
			<category>中東情勢</category>
		</item>
		<item>
			<title>サウジアラビア建国</title>
			<description>&lt;img src=&quot;https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-fb-d5/paxjapanecana/folder/1500554/44/58817444/img_0?1259477095&quot; width=&quot;560&quot;&gt;&lt;br /&gt;
■　プロローグ ・・・第一次世界大戦&lt;br /&gt;
１９１４年に始まった第一次世界大戦は、文字通り世界を巻き込んでの戦争でした。&lt;br /&gt;
アラビア半島も例外ではありません。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
当時、群雄が割拠していた半島ではイスラーム聖地メッカ（Mecca）を守護する&lt;br /&gt;
フセイン・アリーが連合軍側に立って参戦します。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
このフセイン太守と敵対していた勢力の１つに、&lt;br /&gt;
アブドゥル・アジーズ・ビン・サウードというベドウィーンがいました。&lt;br /&gt;
この人物が後にアラビア半島を統一し、サウジアラビアを建国するのです。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
さて戦争ですが、オスマン・トルコが同盟軍側に立って参戦し、&lt;br /&gt;
スルターン（トルコ皇帝）は連合軍に対してのジハードを宣言。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
しかし、イスラームの聖地を守っている当のフセイン太守は、&lt;br /&gt;
イギリスに寝返っていました。&lt;br /&gt;
さらに、アブドゥル・アジーズもイギリスと接触し、&lt;br /&gt;
戦争後の領土の保障を約束させ、連合軍側に立って参戦したのです。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
この戦争でフセイン太守とアブドゥル・アジーズは同じ陣営で戦う事になったのですが、&lt;br /&gt;
元々敵対している両者は、進撃の途中でいざこざが絶えませんでした。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
そうこうするうちにオスマン・トルコが降伏します。&lt;br /&gt;
これで、両者はまたしても戦闘状態になりました。&lt;br /&gt;
アブドゥル・アジーズはフセインの次男アブデュラが&lt;br /&gt;
自軍に向けて進撃中と知ると、待ち伏せ攻撃を行い、これを撃破します。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
さらに、オスマン・トルコ軍に組していた豪族と&lt;br /&gt;
クウェートとの連合軍とも戦闘になります。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
方々を敵に囲まれたアブドゥル・アジーズでしたが、&lt;br /&gt;
さらにフセイン陣営も領土を拡大し、プレッシャーをあたえてきたのです。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
■　フセイン太守、アラブ王となる&lt;br /&gt;
１９２１年、シリアを占領していたフセイン太守の三男ファイサルでしたが、&lt;br /&gt;
フランスによってシリアから追い出されてしまいます。&lt;br /&gt;
イギリスから国王としてイラクを貰う事になりました。&lt;br /&gt;
さらに、次男のアブデュラはトランスヨルダンを建国します。&lt;br /&gt;
こうしてフセイン陣営はアブドゥルアジーズを囲みこんできました。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
アブドゥル・アジーズはそれに対抗して、&lt;br /&gt;
今まで首長としていた自身の呼称を、スルターンに変えます。&lt;br /&gt;
こうして、自身の知名度の向上に勤めたのです。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
そんな中、メッカのフセイン太守、改めヒジャーズ王はカリフとなる事を宣言します。&lt;br /&gt;
（カリフ制度は２日前に廃止となっていた）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
この勝手な宣言にイスラームは反発します。&lt;br /&gt;
もちろんアブドゥルアジーズも例外ではありません。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
■　アブドゥル・アジースの攻撃&lt;br /&gt;
今こそ天命だと悟ったアブドゥル・アジーズは、&lt;br /&gt;
フセイン王に総攻撃をかけます。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
メッカへと迫るアブドゥル・アジーズ軍を見て&lt;br /&gt;
地元の有力者達はもはやこれまでとフセイン王に退位を迫ります。&lt;br /&gt;
フセイン王はやむなく退位し、長男のアリーに王位を譲ります。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
新王となったアリーは、ジェッダをヒジャーズ国の砦とするため、戦力を集中します。&lt;br /&gt;
そうして、がら空きとなったメッカをアブドゥルアジーズ軍が占領してしまいます。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
１９２５年が明けると、敵の本拠地ジェッダの目と鼻の先まで迫っていた&lt;br /&gt;
アブドゥル・アジーズはついに総攻撃を開始します。&lt;br /&gt;
約一年の戦闘でヒジャーズ王アリーはついに降伏し、イラクへと去って行きました。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
こうして、長年の宿敵ヒジャーズことフセイン一家は半島から一掃され、&lt;br /&gt;
１９３２年９月２２日、ついにアブドゥル・アジーズは国名をサウジアラビア王国とし、&lt;br /&gt;
自身は国王に就任しました。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
こうして後に、石油が発見され世界的に有力な国家となる国が半島に誕生したのです。</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/paxjapanecana/58817444.html</link>
			<pubDate>Sun, 29 Nov 2009 15:44:55 +0900</pubDate>
			<category>中東</category>
		</item>
		<item>
			<title>パックス●ジャパニカーナについて</title>
			<description>アメリカのジオシティーズにあるパックスジャパニカーナのHPをこちらのブログにまとめようと思います。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
全部コピーが完了したら、あちらのサイトは閉じようと思っています。</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/paxjapanecana/58817347.html</link>
			<pubDate>Sun, 29 Nov 2009 15:09:43 +0900</pubDate>
			<category>中東</category>
		</item>
		<item>
			<title>イスラエル国防軍 メルカバ mk.4 (4号戦車)</title>
			<description>&lt;a HREF=&quot;http://www.youtube.com/watch?v=4scLX1O7mBw&quot; TARGET=&quot;_blank&quot;&gt;http://www.youtube.com/watch?v=4scLX1O7mBw&lt;/a&gt;</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/paxjapanecana/44805841.html</link>
			<pubDate>Sat, 17 Feb 2007 23:22:21 +0900</pubDate>
			<category>中東</category>
		</item>
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