邦文堂ブログ

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まぼろしの平塩寺
平塩寺の研究の結果を紹介します。かつて市川大門平塩岡にあり、地域の人々に「天台百坊」の総称で愛され郷土の誇りとされていました。
平塩寺は、夢窓国師が九歳で得度し十八歳まで修業していた寺であり、大般若経を所有して、大般若経を作成し、甲斐に大きな影響を与えた寺でした。平塩寺は中世栄えた寺ですので、史料の多くは平塩寺が衰退していた時のものがほとんどで、伝承の域を出ません。信憑性の高い史料はただ、大般若経の奥書があるだけでした。大般若経の奥書とは600巻もある大般若経を1巻写経し終わった時に年月日、制作の目的や校合、転読者名、祈願内容等が記されているものです。また、大般若経は奉納された時より宝物として所蔵されているので保存状態もよく現存しています。
平塩寺で書写された大般若経には花井寺本と法善寺本があり、平成11年に清雲俊元氏が実相寺本の裏張から「願主権律師空阿」「平塩寺持薬師堂本□校合」を発見し、かつては平塩寺所蔵であったと発表ました。この花井寺本と法善寺本と、実相寺本から、平塩寺の存在を確
実に示している年代を調べました。
花井寺の大般若経の奥書の567巻に「平塩寺住人円妙房 建長二年(1250)」と書いてあるのに遡り、実相寺本の巻200の奥書に「弘安六年(1283)に源阿が平塩寺持薬師堂で校合した」ものが平塩寺と記した最後となることが分かりました。写経した範囲を平塩寺周辺である「平塩」「芦川医王寺」に広げると1228年〜1429年の200年余となりました。
平塩寺の成立は、天平年中(729〜748)説と貞観年間(859〜875)説、鎌倉時代に北条時頼により武田信光への謝恩と追福のため建てられた説(1248頃信光卒去)の3つがありました。その内の「時頼により造られた説」は信光が卒去したのは宝治二年(1248)であるので、花井寺の大般若経の奥書に1250年平塩寺住人円妙房とあるのが近く、その前の1228年筆師幸明が甲斐平塩にとあり、平塩寺とないことは、まだ平塩寺という大寺はなかったと考えられ、時頼により造られた説が大般若経の奥書から推察されることとなりました。平塩岡は法勝院領である市河荘の中心地で、市川氏(現在子孫が神主)がこの地を管理し、古代より仏教地として繁栄したことが他の2説を生んでいるといえます。

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