邦文堂ブログ

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『夢窓国師 臨川寺』

 7月下旬、夢窓国師の眠る寺として知られる京都・臨川寺に行ってきました。夢窓国師は1275年伊勢国(三重県)に生まれ、父は源氏の流れをくみ、母は平氏の出身で、四歳の時一家は甲斐に移ってきました。九歳の時空阿大徳をたより平塩岡(市川大門)にあった平塩山(寺)に入りました。夢窓国師は梵書を読めば暗誦し、その意を尋ねたといいます。十八歳の時東大寺の慈観律師を戒師とし登壇受戒しました。その後禅を学び一山一寧に師事し、長い厳しい修業を積み、歴史上に際立って名の高い臨済宗の禅僧となりました。また、生涯にわたり、夢窓国師・正覚国師・心宗国師・普済国師・玄猷国師・仏統国師・大円国師と7度にわたり国師号を歴代天皇から賜与され、七朝帝師とも称されました。さらに「苔寺」で知られる京都・西芳寺や天龍寺、鎌倉の瑞泉寺、山梨の恵林寺、市川大門の宝寿院など多くの庭園を造ったことでも知られています。
 臨川寺は嵐山の渡月橋の東側、料理店「良彌」の西隣にあり、大堰川を前方に嵐山を眺望できる位置にありました。臨川寺は建武2年(1335)に、後醍醐天皇は、夢窓国師に「世良親王」の菩提をとむらうため開山させました。勅書には「以テ門様相続シテ」と、天皇が臨川寺を夢窓
国師とその門弟による私寺同然のものとして下賜したことを意味しています。
料理店「良彌」のご主人に、夢窓国師ゆかりの市川大門から来たこと、家内が、夢窓国師が初めて得度した「平塩寺」の研究をしていることなど話しますと、お店の裏手に案内してくれました。そこから垣間見た臨川寺は天龍寺に比べると閑静な佇まいではありますが、広々とした枯山水の庭や伽藍も威風堂々として夢窓国師が一万三千人の僧侶を従えた全盛を偲ばせます。
隣にある天龍寺にもお邪魔し、天龍寺の法塔にある夢窓国師の像が目当てでしたが、配置場所が暗く、撮影禁止でありました。なんとか拝顔できないものかと時間を掛け目を暗さに慣らし、凝視しましたが見えませんでした。当分の間「夢窓国師」の追っかけをやろうと思います。

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