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『甲州財閥物語』山梨中銀金融資料館・講演会
 

 11月7日(日)山梨中央銀行金融資料館に於いて、「意外と知らない山梨の偉人」と題して、元山梨新報社社長・斎藤芳弘氏の講演会が行われました。「甲州財閥は、明治・大正・昭和の初期にかけて、日本の財界で活躍した甲州出身の財界人の総称です。」と温和な語り口で始まりました。生糸・水晶などの商いにより富を築き、明治22年に初代甲府市長に任命され、翌年23年に山梨県初の貴族院議員となった若尾逸平の話から始まりました。甲斐国西郡筋在家塚村(現在の山梨県南アルプス市)に生まれ、逸平は22歳の時、庭先に実っていた桃の実をみて商売を思いつき、これを竹籠に積んで行商を始めたという。逸平はタバコ・真綿・などの産物を扱い、天秤棒を担いで甲府・江戸まで行商の範囲を広げたそうです。その働きぶりを認められ巨摩郡小笠原村(現在の南アルプス市)の若松屋(質屋)の婿となり、当時傾きかけていた店を見事に立て直した。しかし妻おたつと店の番頭、与作との間柄を知り、台帳を義父に預け店を離れたそうです。当時、甲斐国では、幕末の横浜開港以来、甲州物産の交易が盛んとなり安政元年には生糸の商いの名鑑に新興商人として逸平の名があり、安政の始めには甲府八日町へ転居し、借金50両を資本に織物・生糸の仲卸業を始め、横浜で外国人相手に生糸・水晶の商売を行い、生糸輸出の投機で莫大な利益を得るようになったそうです。文久2年(1862年)には甲州島田糸の製造機を改良した「若尾式機械」を発明し製糸業にも参入し、工女を集め精製させたそうです。明治維新後は、莫大な資金を株取引に投入し、明治11年には若尾両替店を開業して銀行類似業務を開始し、山梨中央銀行の前進の第十国立銀行創立にも参加して取締役に選任され、山梨県の政財界においても多大な影響力を持っていたそうです。そのほか「宝塚歌劇団」を創った小林一三、鉄道王・根津嘉一郎などのお話もあり郷土の偉人に改めて尊敬の念を抱きました。はじめて見学した「山梨中銀金融資料館」は歴史的文献と古代から今に至るまでの貨幣実物を展示してありました。明治5年アメリカのナショナルバンク制度に沿った国立銀行制度制定のなか第十国立銀行も明治10年全国で9番目の国立銀行として設立されたそうです。一度訪問して下さい。お勧めします。
 
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