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『白磁の人』 浅川巧の生き方
 
5月11日(水) 市川三郷国際交流協会の基調講演会が市川三郷町民会館にて開催されました。講師は、「白磁の人」の著者である江宮隆之氏で「浅川巧の生き方」と題して講演しました。
江宮隆之氏は富士川町の出身で1988年歴史文学賞・1996年中村星湖文学賞を受賞、著書は60冊ともなり歴史文学のジャンルでご活躍されています。
特に「白磁の人」は1996年全国作文コンクール高校生の部の課題図書に選考されました。浅川兄弟は明治時代半ばに北杜市・高根町に生まれました。兄・浅川伯教は日本の植民地統治下の朝鮮に渡り、朝鮮陶磁の研究にその生涯を捧げました。弟・巧は兄を慕って朝鮮に渡り、林業技師として荒廃した山々の緑化に奔走し、また、朝鮮の陶磁器と木工を研究しました。「朝鮮白磁」をはじめとした朝鮮陶磁の研究に心酔し、「朝鮮陶磁名考」を書き残し、木工芸品の中に民衆芸術の美を見出し、優れた文化として日本に紹介しました。日本の植民地支配の朝鮮で、現地の人々に同じ人間として接し、朝鮮語を学び、その地の風俗や文化を愛し、朝鮮の人々に敬愛され、1931年〈昭和6年〉に40歳の若さで朝鮮の土となりました。
今も、ソウル市忘憂里(マンウリ)にある墓は、巧を慕う韓国の人々によって守られ続けているそうです。
講演の中で、江宮氏は、「浅川兄弟の心と目」は、国際交流のおいて大切な視点だと話されました。兄・浅川伯教は「青磁の人」巧は「白磁の人」と称されています。巧はクリスチャンだったからというだけではなく、日本軍人に虐められる朝鮮の人をかばったり、野菜売りの老婆が隣りの家で二十銭の野菜を十五銭に負けさせられたからといって二十五銭で買ってあげたり、また、林業技師として一緒に働いた貧しい人たちの勤務評定を優位に付けたり、尼寺清涼寺が落ち着くと好んで通った事など、韓国人の中に入っていった巧を熱弁されました。「40歳という若さで亡くなったことではなく、巧がどのように朝鮮の地で生き抜いてきたかを」皆さんと一緒に学びましょうと締めくくりました。「浅川巧の生き方」は国際交流協会にとって、大きな道標となり、今後の活動に参考になりました。
 
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