邦文堂ブログ

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6月12日(日) 鎌倉市役所の鎌倉世界遺産登録推進協議会が主催する五味文彦先生の講演会に行ってきました。会場は鎌倉駅のすぐ近くの鎌倉生涯学習センター(きらら鎌倉)ホールでした。パンフレットには、「日本中世史の第一人者で、鎌倉の世界遺産登録をご指導下さっている五味文彦 東京大学名誉教授・放送大学教授のご講演。鎌倉の世界遺産の登録にとって重要な段階を迎えた今、 改めて武家文化と鎌倉との関わりを考えます。」とあり、先生の業績のすごさを再認識しました。先生は山梨出身で、甲府一高から東大へ進まれ、教授となっています。
現在先生は執筆活動はもちろん、地域の歴史を掘り起こし、現代につながる地域に活力をもたらす講演会を精力的にされています。また、様々な重要な役職を務められて多忙な日々を送られていますが、放送大学でゼミ生を直接指導されております。当日もその学生やOBの方々が多数出席しておりました。
先日、小笠原諸島と平泉が世界遺産に認定されて祝賀ムードに満ちています。先生の講演は、鎌倉の世界遺産の登録に向けての活動の紹介から始まりました。平成4年からユネスコ世界遺産センターに提出、平成13年に「武家の古都・鎌倉」がコンセプトになったそうです。
鎌倉の寺社や文化財はもちろん、鎌倉を囲む山や、鎌倉が政治の中心となり発信していく時点で、その山が障害となり切通しを造ったことなど、地理的環境も含めた武家の首都をアピールしていく様子を話されました。
武家文化は世界に珍しく、映画の「ラストサムライ」が上映されて、世界的に武士の存在を認識されたことが、鎌倉の世界遺産登録への後押しになっていると話されました。
頼朝が以仁王の令旨に呼応して、伊豆で挙兵する時(1180年)に北條氏の談話で、平氏打倒を主眼とするのではなく、東国一帯を統治することを挙げ、「土民が悩乱」しているとして、住民を安堵させることを標榜している。4年後、頼朝が院への奏請には徳政によって民を安堵させることを武家政権の主張として掲げ、それを朝廷に求めている。また、「貞永式目」(1231)も寛喜の大飢饉に対して、北條泰時の撫民政策を展開して制定されたと話されました。
鎌倉時代は民衆の力が花開き、躍動感のあった時で、調べることが楽しみである時代でした。五味先生の歴史の話は深く、その深さで文化や時代が広範囲となり、聞く者にとって、また新たな世界が広がってくるような講演でした。
 
 
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