邦文堂ブログ

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夢窓国師と平塩寺3

 四十四歳、国師は土佐へ行き、雲巌寺入院を拒絶して泊般寺を建て、5年滞在しました。しかし、その後国師は今までの孤高の生活から堰を切ったような伝道の時代となっていきます。
五十一歳(1325)後醍醐天皇の勅命により京都の南禅寺に入るようにと要請され入院します。しかし、その後また、国師は、鎌倉の永福寺の傍に南芳庵を建てて隠居いたします。五十五歳、次に円覚寺に入りますが、凶年のため食料が不足でしたが多くの信徒の寄進により寺を繁栄させました。五十六歳、二階堂貞藤の招きで甲斐の牧庄に行き、恵林寺を開創しました。
 五十九歳(1333)、5月、鎌倉幕府が倒れ、後醍醐天皇より国師に臨川寺を開山するよう勅書が下されます。その後、建武の新政も崩壊し室町幕府が開かれます。国師は幕府の顧問的立場を取られて行きます。六十歳、足利直義との禅に関する93の質問に答えていきます。それが著されているのが『夢中問答集』で、国師の答には、禅僧のような即答形ではなく、噛んで含め万民に分かりやすい言葉と、悟りを得た人にある背筋が揺らぐ事のない言葉で綴られています。そこに、平塩寺で学んだ教義が裏打ちされ
ているのが読み取れます。六十八歳、足利直義は国師と相談し、後醍醐天皇の愛した地に天竜寺を創建するため、天竜寺船を元に派遣し、その建設資金を得ました。翌年天竜寺の法堂開堂式が行われました。国師七十七歳、1351年に入寂しました。
 国師は平塩寺で九歳から十八歳まで学び、東大寺に行き登壇受戒をしますが天台の僧の死に方が見苦しく、仏教教義を突き詰めて学ぶことの虚しさを感じ、当時中国から入ってきている禅宗に引かれていきます。元来、仏教は釈迦が悟りを得るために山野に修業した究極の自問自答の行為から成り立つものであります。国師はついに発願祈祷をし、禅との仏縁を確信しました。その後、禅門に入り、10年の長い修行の末、印可を受けることができましたが、その後さらに山野に庵を構え孤高の修行時代を15年送ることになります。
 平塩寺に得度してから、国師はいつも真摯な態度で臨み、真理を見つめ続けた人でありました。国師の甥であり弟子であった春屋妙葩は、「国師は柔和温厚の人でした。慈悲に満ちた教法は、深く人を感動させ、常に修練を重ねていたため衆に臨む時に厳かでした。」と伝えています。晩年までに僧尼を四千人も持ち、他に天皇・相将・洪卿・碩儒・庶民・医卜・工商の輩まで、弟子とするものが多くあったといいます。

 
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      夢窓国師像(臨川寺蔵) 
       天龍寺遠諱局 刊行 夢窓国師の言葉と生涯より抜粋 
 
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 ニッポン放送出版協会 刊行 夢窓礎石 日本庭園を極めた禅僧より抜粋

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