邦文堂ブログ

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富士講 大寄友右衛門
 3月に忍野村発行の「忍野八海ものがたり」の絵本が発行されました。市川大門村の方のお話ですので紹介します。
 飢饉の忍草(現忍野)の村人が市川のお代官に窮状を訴えます。大寄友右衛門という名主がやってきて、その話を聞きます。友右衛門は忍草を助けようと朝出立し、忍草には夕暮れが近づいた時に着きました。泉と富士山を間近にあまりのきれいさに驚きます。そこで、友右衛門は囲炉裏を囲み、村人や和尚さんと村を救う手立てを探しますがなかなか妙案が浮かびません。頭を冷やそうと外に出ますと、水の神様の八大竜王が立っており、「泉の美しさが見えるのはお前だけだ。皆が私を思い出すようお前が導きなさい」と、告げます。驚いた友右衛門は和尚を起こし「泉にある行場小屋と書いてあるのは何だ」と尋ねますと、「昔、湧池でたくさんの山伏や修験者が身を清めたからです。」と、答えました。そこで、山伏なども集めて知恵を絞り、この忍草にちっくい八湖巡りをつくり、身を清めたらどうかとまとまりました。しかし、湧池は江戸の寛永寺のお許しが必要でした。友右衛門は村人らと共に江戸の寛永寺に行き、「湧池などの泉を星占いの北極星と北斗七星になぞらえ、その泉に八大竜王をお祭りし、1番から行者がめぐるようにしたい」と、熱を込めて説得します。和尚さんはその姿にうたれ許可をしてくれました。その後、友右衛門さんは、市川大門村や周辺の村に協力を仰ぎ、寄附を募り、自分のお金を足して八湖造りをしました。『富士山根元八湖霊場』と名付けられ、八湖で身を清めたたくさんな富
士講の行者さんたちが「六根清浄」と、唱えながら富士山へ登っていきました。(おわり)
 この友右衛門さんは大寄製糸の御先祖さんです。お住まいは中線の市川教会の西にありました。製糸が不況となり、大寄製糸が倒産したため、3丁目の丹波屋さんの御本家が、この大寄家を購入し、家を分家に譲り引っ越してきました。市川一の千本格子、蔵座敷、米蔵、味噌倉など沢山なお倉もあり広々とした佇まいでした。現在も母屋や蔵座敷、中門などが現存しており、鬼瓦には「大寄」とあります。お墓は宝寿院の坂を上がった親子像の西にあります。
 市川大門町誌に、この忍野八湖再建に友右衛門は86両、市川大門村より太鼓1個、総代など20余名で20両を寄付したとあります。御内八海道供養碑奉賀会の資料には、西嶋、小磯、久保、波高島、根子、峯、折角、三沢、田之上、古関、北川、帯金、八木沢、瀬戸村の方々も寄進し、全部で178両6分4朱集まったとありました。
平塩岡にある正の木神社の北に富士講の石碑が建っています。今は有志の方で参道も整備され、お堂も直されています。丸仙講と石碑にあります。この丸仙講から友右衛門さんは分離し大我講を起こしました。
 当時は富士講が盛んで、八海巡りの行路は、四尾連湖を出発湖とし、蛾が岳、折八の山路、精進湖、本栖へ、また、西湖、河口湖、明見湖、山中湖。泉水湖をめぐりました。
 
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