邦文堂ブログ

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 ㈱印傳屋の上原勇七会長が市川三郷町の国際交流協会の総会で『甲州印伝と私』の題で講演しました。市川三郷町の本庁の大会議室が一杯になる盛況さでした。
 ㈱印傳屋は天正10年(1582)の創業です。上原家は茅野市の上原の出身で、会長が子どもの頃、上原家の600年祭に行ったのを覚えているそうです。また、小学6年の時甲府空襲があり、八日町(中央)2丁目に住んでいたので焼け野原となり、遠くの南甲府駅だけがコンクリート建てのため延焼せず見えたそうです。信玄が石和から甲府への鍵型道路を作り、明治時代には、甲府石和間に鉄道馬車が通っていたと聞いたと話されました。
印伝は、インドから伝来したから印伝といわれたという説があり、インドからシルクロードを通り、朝鮮半島から日本に入りました。鹿の皮にうるしを塗って作られ、戦国時代には鎧に使われていました。江戸時代には技術の水準が上がり、皮羽織、煙草入れ、胴巻き財布が創られました。明治大正は富国強兵が叫ばれ、弓道や剣道が盛んであったためよく使われ、戦中は物資が少なく、職人さんも兵隊となり厳しい時がありました。戦後は、六郷でハンコの行商の人たちが扱って頂き販売してくれました。 
 S30年〜40年は、国内旅行が盛んとなり、土産店やホテルの売店からの注文が主流となりました。S40年からは、海外旅行が盛んとなり、デパートや小売専門店に商売を広げ、東京営業所を出し、S56年には、青山にアンテナショップを出したように、時代の流れに対応して経営戦略を立てました。
 また、デザインは、着物から洋服の時代となったため柄を変え、また、差別化を図るため、新しいブランドを創りました。これはS58年より1年に1つ創り、現在まで継続されています。時代の流れをつかみ、お客さんからの声を聞き、デザイン、ファッションに磨きをかけていきました。S62年に通産省より、伝統的工芸品の指定を受け、販促の力となっていきました。H2年には大阪に、H22年には名古屋に直営店を出しました。今後は海外に進出するのが課題です。伝統的工芸品は、変えていいものと変えてはいけないものの見極めが大切です。企業は問題点を深く掘り下げることができる体質が大切である。また、お客様や地元が大事にし、人間尊重を信念としています。祖母の言葉の「社員は経営者の背中を見ていることを肌で感じながらいなければならない。」「忍耐の袋を常に胸に掛け、破れたら縫い、破れたら縫え。」を今も旨としています。
 
 
     上原勇七先生 講演会の様子です。
 
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