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「第6回まちづくりフォーラム」
五味文彦先生講演   市川マップの会
 
 
 9月13日(土)市川大門町民会館にて放送大学教授、東京大学名誉教環の五味文彦先生が「市川・その歴史文化の力」と題して講演をしました。
 山梨県出身で日本中世史の大家である先生が、市川大門の歴史を話されるとあって、県立市川高等学校の生徒たちをはじめ、歴史好きの方々が早目に会場に来て、先生のレジュメを熱心に読んでいる姿が見受けられました。
 先生は今年4月に出版した『枕草子の歴史学』を話題にし、最初に清少納言が枕草子を書くきっかけを話しました。紙が献上され、天皇側では史記を書くと決まり、中宮から相談され清少納言は、しきを四季と連想し四季を枕にした和の作品を提案し、「春は曙」「秋は夕暮れ」の書き出しになりました。先生は、この書き出しを春夏秋冬の逢瀬の前後の景色と解釈したため、高校の先生がこれからは枕草子を授業として取り上げるのに困るとぼやかれたと話し、会場が沸きました。
 「従来日本の時代区分は古代・中世・近世・近現代と分けていたが、100年周期で考えるとよい。まず、667年天智称制一律令体制。767年道鏡法王一律令国家の動揺。866年摂政藤原良房一前期摂関時代。967年関白藤原実額一後期摂関時代。1068年三条天皇即位一院政時代。
1167年平清盛太政大臣一武家政権の成立。(中略)1568年織田信長の上洛。1767年田沼政治の展開一近代国家の胎動。1868年明治維新と、約百年の周期で見ると政治、経済、時代ごとのものの考え方の流れが分りやすい。」と先生の持論を話されました。また、「人は古墳時代に
は前方後円墳を造り、戦国時代にはお城、今はタワーを象徴として創る」とも話しました。
 「市川の歴史は古墳時代には大塚古墳などがあり、律令制の時は弓削神社が官社となっている。荘園は甲斐国初見である市河庄あり、荘園経営の政所があったのであろう。その後、義清がこの地に移郷し、子孫は甲斐の国全域に広がり甲斐源氏として勢力を持った。『吾妻鏡』には、治承四年(1180)に、相模の石橋山での合戦で、安田義定、工藤景光・子行光と市川別当行房らが甲斐国を出発したとあり、文治二年(1186)に頼朝が鶴岡八幡宮に参詣した時の随兵十名の内に市川別当行房がいたとあり、市川氏の活躍が分かる。鎌倉時代に建立されたであろう平塩寺では、花井寺(大月市)の『大般若波羅蜜多経』の奥書に安貞二年(1228)に幸明が平塩で書写され、建長二年(1250)平塩寺で因妙房が書写している。また、法善寺(南アルプス市加賀美)所蔵の大般若経は、大善寺平塩寺、横根山の僧が書写や校合したもので、建長六年(1254)武田信長が願主となり、武田八幡宮に奉納した。経典は上質の椿紙に澁を塗ったもので、現在の市川の和紙産業の元の可能性がある。その平塩寺において夢窓国師が修業したことも大きいことである。
 江戸時代、市川では職人文化が花開き一瀬調実が『俳譜白根獄』を刊行。和歌は貴族、連歌は武士、俳諧は町人の文化である。代官所があり、私塾も多く、市川はそれぞれの時代において文化を発信していたと言える」と解説、講演を終わられました。
 
 
『五味 文彦先生 講演会の様子』
 
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