邦文堂ブログ

よろしくお願いします。

全体表示

[ リスト ]

イメージ 1
 
 
金澤八景の称名寺

NPO法人横濱金澤シティガイド協会の林原泉様達に称名寺を案内していただきました。赤門で待ち合わせて長い参道を歩いていきますと仁王門があります。門は1818年の再建ですが、仁王像は4mもあり、パンフレットには1323年の作とありました。ここは、北条実時の別荘をお寺にしたものです。林原さんの持参のファイルに絵図(結界作法)があり、広大な敷地にいくつもの堂宇が建てられ、繁栄時の威容がしのばれました。
門を通ると目の前には大きな池がある浄土庭園が広がっており、その奥の中央に金堂が、その右に茅葺の釈迦堂があり年代を経た趣がありす。この建物は江戸時代に江戸の豪商米問屋石橋氏が再建したものだそうです。
庭園は、昭和50年代に発掘調査して当時の遺構に基づいて再建したそうです。池の中央に中の島があり、その島に反橋が架かっており急勾配でした。その橋を渡っている時、なんとカワセミが飛んできて池の端のアヤメの葉にとまりました。愛くるしいその姿にみんな釘づけになっていました。島に着くとその先は金堂に向かって真っすぐな橋が架かっています。中の島は現在を表し、反橋は険しかった過去を、そして金堂が彼岸を表し、これからは仏様に守られて歩む未来を表し、なだらかな橋がかけられています。
 橋を渡ると、右に鐘楼があり、特別に上がらせてもらいました。その鐘銘に正安辛丑(3年1301)中秋九日とあり、大檀那顕時、當寺住持審海の次に源阿が行事比丘として記されていました。実は、私は市川の平塩の岡にあった平塩寺が持っていた大般若経(版本)を校合(校正)した源阿がこの称名寺の源阿ではないかと思っています。鎌倉時代に造られた本物の鐘を見ることができ感激しました。
 西側に小高い平地が広くあるところは、かつて阿弥陀堂があり、その元は実時の別荘があったところだそうです。さらに西側の裏山の裾野にあたる地にトンネルを掘り、それに続く土地に蔵書を納める土庫文庫を作り、和漢の群書、儒書、仏書を納めていたそうです。火気はこの文庫には持ち込まない用心をし、守ったそうです。これが現在の金沢文庫になっているわけです。
分りやすく案内をしてくださった.林原さん達は、仁王門の前に案内所を置き、土日にガイドのボランティアをしています。

この記事に

閉じる コメント(0)

コメント投稿

顔アイコン

顔アイコン・表示画像の選択

名前パスワードブログ
絵文字
×
  • オリジナル
  • SoftBank1
  • SoftBank2
  • SoftBank3
  • SoftBank4
  • docomo1
  • docomo2
  • au1
  • au2
  • au3
  • au4
投稿

.


みんなの更新記事