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織田信長の天下構想
五味文彦先生

 1月14日に横浜歴史博物館で開館23周年記念特別講演会があり、歴史博物館の理事長であり、東京大学・放送大学名誉教授の五味文彦先生が「織田信長の天下構想」の講演をされました。
 信長を取り上げたのは天下人の先駆けであり、最後の戦国大名ともいえ、新しい時代を切り開いたとも、人民を惨殺したひどい人間などと、評価が分かれた人物だからだそうです。
信長の卓越している一つは、情報政策にあるといえるそうで、桶狭間の戦いや武田勝頼との長篠の戦いの勝利を信長は広く世間に伝えたそうです。長篠の戦いは、信長・家康軍3万8千人、武田勢1万5千の軍勢の戦いで圧倒的に信長勢が有利だったようです。それを武田軍の強さを謳い,その時の新兵器の鉄砲の威力を報じたため、虚実入り混じる合戦の屏風が制作されるようになってしまったそうです。
信長がいつ天下を意識し始めたかは、花押(署名の一種)に現れているそうです。当初、信長は、実名の草書体で左横書きし裏返した形であったのを、永禄8年(1565)9月頃から麒麟の「麟」の字を基にした形状に変えたことを指摘されていました。麒麟は中国で世の中がよく治まっているときに姿を現すとされている想像上の動物です。
 信長の天下構想は、朝廷との対応は義昭(室町幕府)があたり、天下のことは信長が行うという構想で、義昭を温存とする軍事政権でしたが、天正元年に室町幕府が事実上消滅した時期には、信長は朝廷から、大納言そして右大将を兼任し武家政権へと転身したのだそうです。
五味先生は『文学で読む日本の歴史』シリーズで古典文学篇・中世社会篇を出しており、去年の9月には戦国社会篇を出されました。 そこには、信長が将軍御所や内裏の建物群を完成させたこと。天皇家のために、洛中の町人に米を貸し付け、その利息を毎月納入させたこと。朝廷に、元亀の年代によくないことが多くあったため、元号を改めるように奏上したことなど様々なことが書かれていました。また安土城のこと、本願寺との10年の戦い、果たせなかった安土城への御幸、様々な箇所での戦い、楽市楽座や経済のことなどを知ることができ、今まで私の中にある信長像を変えてくれました。

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