邦文堂ブログ

よろしくお願いします。

全体表示

[ リスト ]

イメージ 1

『平塩山由緒の縁起』

 市川大門地域の平塩岡にあった平塩寺についての文献の紹介です。大正12年に山梨県史を計画した時に採集した『平塩山由緒の縁起』(『若尾文庫』#34732)には、江戸時代に平塩寺を巡って、薬王寺と市川14ケ寺の争論が書かれていました。収集者は土屋夏五郎氏で、湯舟延治氏の編纂です。
 薬王寺は平塩寺の支院の1つだと思っていましたが、この古文書からは、薬王寺が支院である14カ寺の本寺という立場で、平塩寺のお堂や山林を管理していたり、14カ寺に薬王寺への出仕を義務付けしたりと、江戸時代の本寺制度の一端がうかがえます。江戸時代は平塩寺の伽藍はすでに無く、お堂があるだけで、そのお堂も延宝年間に破壊してしまったことが分かります。西院であった宝寿院を筆頭とする14カ寺は、薬王寺の管理のようすに納得できず、御本尊を強引に自分たちのお寺に持ってきて、1年毎に順番にお寺を巡り、14カ寺で法会を行っている様子が書かれています。花園院を取材した時には、明治のはじめ頃までこの法会を三昧堂にて行っていたという「新霊回向法名帳」がありました。近在の村々から新盆の人々が寄付したことが分かり、平塩寺の大切な行事として行っていたことが分かります。

近世の平塩寺再興の動き 年代表
・1582年以前 薬王寺平塩寺を兼帯。醫王、薬師両名を合せ薬王寺とする。尊澄は寺號致薬王寺中興の元祖である

・1582年以前   尊澄が平塩造栄した時の檜皮の残を渡邊因獄佑殿へ通知
・1573〜1591  平塩寺兵火に金堂と阿弥陀・薬師如来十二神将之仏残る

・1583年 薬王寺の朱印、市川新所拾貫文同本所拾貫文之事

・1596〜1615  平塩岡は屋敷地があったがその後無住化し畑地となった。

・1603年 薬師堂を平塩寺跡に再建した。

・1615〜1624  薬王寺清幽の「女難の落書」裁決の礼、薬王寺・十四ケ寺は智足院の末寺(以前薬王寺無本寺十四ケ寺薬王寺末寺)

・1637年 薬王寺に朱印状が・・上野村内弐拾余石寺中林竹木等が記載

・1640年  高野山金剛頂院の栄範より真言宗掟状・・宝壽院に写あり
・1624〜1644   薬師堂修復不能のため、一蓮寺へ売却。阿弥陀堂を薬師堂跡へ引く、弥陀と薬師一所に安置

・1658〜1661  薬王寺直宗は御公儀に申し出、市川14カ寺に末寺としての出仕を要求

・1661〜1673  本尊薬師如来が盗まれる。

・1661〜1672 高野山に薬王寺秀栄が本尊を市川14ケ寺に返還を要求。高野山の回答:天台宗の法事にて14カ寺に任せていい

・1673〜1681   阿弥陀堂も破壊(これまでは確実に平塩の岡にあった)

・1686年  薬王寺の薬師堂に市川の医師高野宗益が薬師如来寄進 丹澤籐右エ門尉外2名及12ケ村が施主となり平塩寺?再興

・1692 元禄五年の検地、平塩山林が薬王寺の朱印地と認める

・1789〜1800  薬師堂再度焼失仏躰も焼失


この記事に

閉じる コメント(0)

コメント投稿

顔アイコン

顔アイコン・表示画像の選択

名前パスワードブログ
絵文字
×
  • オリジナル
  • SoftBank1
  • SoftBank2
  • SoftBank3
  • SoftBank4
  • docomo1
  • docomo2
  • au1
  • au2
  • au3
  • au4
投稿

.


みんなの更新記事