邦文堂ブログ

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木喰の里を歩く
身延山大学・公開講座

 6月24日に身延山大学公開講座で木喰の里を訪ねました。身延町古関の丸畑で、下部の道の駅から急な山道を登り微笑館に着きました。展示室とビデオ上映室があり、木喰上人の生涯が分かり易くなっていました。身延山大学学部長の望月真澄先生や身延町の教育委員会の塩谷さん二宮学芸員さんが丁寧に解説してくれました。その後、木喰さんの生家を訪ね、さらに四国堂にもお参りして、木喰さんのオリジナルな仏像を見ることができました。今までは満面の笑みのような印象がありましたが、今回見た仏像は、縦に割れ目もあり凹凸が少し摩耗しており、微笑を湛えていました。
 木喰さんは、享保3年(1718)名主の次男として生まれました。14歳の時家を出、江戸で出世をしたいと努力をしますが、浮き沈みがあり、22歳、神奈川県の火山不動尊にお参りした折、古義真言宗の大徳に道を説かれ出家しました。その後22年間修行をされます。45歳「日本廻国修行」を志し、茨城県羅漢寺住職の木食観海上人より「木食戒」を受け「三界無庵無佛 木食行道」と名を改めます。60歳で生家に帰郷し、61歳で弟子白道と北海道に渡り仏像を彫り始めました。63歳、江差を去り、「南無阿弥陀仏国々宿帳」を書き始めます。栃木県栃窪に薬師堂を建立し、本尊・二脇士・十二神を彫刻し、弟子白道の署名もあります。64歳白道と別れ佐渡に4年逗留。65歳歌集「集堂将像帳」を、68歳帰郷。70歳四国八十八霊場の札所を巡り、71歳九州日向国分寺に求められ住職となります。74歳お寺が火事となり再建のため浄財の托鉢をします。77歳再興し本尊五智如来完成し、名を「天一自在法門 木喰五行菩薩」と改めます。78歳日向国分寺を立ち翌年帰り、79歳歌集「青表紙和歌集」を編み、80歳再び日向国分寺を立ち83歳歌集「心願」を編み、帰郷。84歳「日本廻国修行」を果たし村人から四国に行かなくともお参りできるようにと四国堂建立を頼まれます。四国八十八霊場の本尊を彫刻し、85歳に完成。自叙伝ともいえる「四国堂心願鏡」を書き、86歳一千体仏像達成。歌集「木喰浮世風流和讃」を編む。89歳「神通光明明満仙人」と名を改め、93歳寂滅。甥が笈箱を生家に持ち帰り、亡くなった場所は口止めされたと伝えられています。その笈箱に「南無阿弥陀仏国々宿帳」「四国堂心願鏡」や歌集が入っていて、木喰さんの足跡がわかりました。これらが微笑館にすべて展示されています。僧侶の品格のある字で事細かく記録されていました。
 木喰仏は、柳宗悦氏が大正13年に小宮山家にあったのを高く評価して、すぐに生家を訪れ調査、そして全国より見つけ出しました。 生誕三百年を記念した木喰展がなかとみ現代工芸美術間で、7月14日〜10月21日間、甲信越静の木喰70体が展示されます。あの満面の笑顔と、微笑みの仏像が一堂に会します。是非見に行きたいものです。




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