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富士講・大我講 「大寄友右衛門」  
講演会 大寄赳彦 先生

 4月17日(水)「旧二葉屋酒造・酒蔵」において元日本工業大学・工学部講師 大寄赳彦先生に市川大門村の江戸時代の名主で先生のご先祖である大寄友右衛門(おおより ともえもん)の足跡をお話しいただきました。大寄友右衛門は本名・大寄兌考(よしたか)といい、富士山信仰の熱心な信者で江戸時代に成立した民間信仰「富士講」の一派、「大我講」の開祖であります。信心深く、歌道に通じ市川大門村に尽くした人です。江戸時代末期の天保10年(1839)徳川幕府直轄領であった甲州西八代郡市川大門村(市川三郷町)を中心に「大我講」を熱心に新興し、やがて富士川をはさむ東西河内領の西嶋村や山間部に点在する古関村、北川村、三沢村や駿州内野村、小泉村などにも広がり、その信者数は短期間で1000人を超える一大講になったといわれています。 天保6年から10年天保に日本中がの飢饉に見舞われます、忍野村でも疫病が流行しこの地域で餓死者と合わせて390余名が死亡したそうです。この窮状の中、忍野の村人が市川大門村の代官所に窮状を訴えます。当時、名主(江戸時代に郡代・代官・町奉行所の支配を受けて公務に携わった町村の長)であった大寄友右衛門はその話を聞き忍野の救助活動をします。支援のみならず、地域振興を東圓寺(忍野八海に隣接する天台宗寺)の協力をえて元八湖の復興を計
画します。忍野村の生活を少しでも豊かにしようと知恵を絞り、村内にある八っの池に八大竜王を祀り、(一番霊場・出口池 二番霊場・お釜池 三番番霊場・底抜池 四番霊場・銚子池 五番霊場・湧池 六番霊場・濁池 七番霊場・鏡池 八番霊場・菖蒲池) 富士講の行者がこの池を巡り身を清めて富士に登るようにしました。大寄友右衛門や村人は寄付を募り、また自らも私財を投じ、今日の富士山世界文化遺産の構成資産となる基礎を築きました。市川大門村の名主・大寄友右衛門が歴史に残る種を育て大きな業績をつくったと思います。人々の災難を自分の事のように考え、活動した偉人が市川大門村にいたことを誇りに思います。今回の講演会がより市川三郷町の好きになるきっかけとなればと思います。


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