邦文堂ブログ

よろしくお願いします。

全体表示

[ リスト | 詳細 ]

記事検索
検索

全36ページ

[1] [2] [3] [4] [5] [6] [7] [8] [9] [10] [11]

[ 次のページ ]

イメージ 1

「身延山という霊場」 
身延山大学 望月真澄先生
 6月20日に市川三郷町国際交流協会(会長一瀬茂)の基調講演会で「身延山という霊場」と題して、身延山大学仏教学部長 望月真澄先生が講演されました。国際交流協会では隔年マスカティーンからのホームスティに来たゲストをホストの方も同行し身延山に見学に連れて行っていることから身延山について学び、理解しようと企画されました。
 先生はまず日蓮さんは何年身延に住まわれていたのかと参加者の皆さんに質問しました。残念ながら会場の皆さんの答えはまちまちです、答えは約9年だったようです。
 日本仏教の各宗派に存在する聖地は、天台宗では比叡山延暦寺。真言宗では高野山金剛峯寺。日蓮宗では身延山久遠寺ですと紹介されました。それを聞いて日蓮宗の聖地が山梨の峡南地域にあるのだと改めて認識しました。身延山の霊地は、棲神開祖師堂・日蓮聖人廟所です。私はまずは本堂をと、お詣りしていましたが、これからは祖師堂にも時間をかけお詣りしなくてはと思いました。身延山の代表的な行事は、お正月に新年祝祷会、御年頭会。お相撲さんが来る節分。6月17日に日蓮さんが身延に入られたことを祝う御入山会。10月11〜13日たくさんの花で飾られたお万灯やまといが威勢よく飛び交うお会式。10月25日円師会(開基檀越南部実長命日)だそうです。
 多くの信者さんや見物客でにぎわいます。また、霊場身延山の区域は9つあり、総門域・三門域・御廟所域・本堂域・東谷域・西谷域・上の山域・奥の院域・七面山に分けられています。七面山は早川町ですが、頂上部分は身延山の飛び地になっているそうです。東谷域・西谷域は多くの坊があり白装束の方の姿がよく見受けられ、霊山であることが実感できます。本堂の下にある宝物館に江戸時代の屏風絵がありますが、上の山域には多くのお堂があったようで五重の塔も建っています。現在の久遠寺も立派ですが、江戸時代の信仰の篤さがうかがわれるものになっています。今は整備され、奥の院にはロープウェイで行けますし、三門から、長い急な石段を登らなくても、西谷から本堂や五重の塔に行けるエレベーターがあり、お年寄りでも苦労なくお詣りできるのはありがたいことです。尚、身延山病院。身延山大学も久遠寺が経営母体となっているそうです。
 身延山のしだれ桜の時のにぎわいが有名ですが、私も何回も訪ねていますが、主な行事の中で節分と円師会をお詣りしていないのに気づきました。今度は忘れずに訪れたいと思いました。

開く コメント(0)

イメージ 1


「雨端硯本舗」 13代目雨宮弥兵衛

 5月24日に下部ホテルにて鰍沢法人会の総会後に「硯がおしえてくれたこと」と題して雨端硯本舗の13代目雨宮弥兵衛さんが講演しました。
雨畑硯は雨畑地域と富士川町の鬼島の2か所で造られて、雨宮先生は鬼島の方で制作されています。「雨端’」は商標だそうです。先生のご先祖が、身延山参詣の帰り早川の河原で黒一色の流石を拾い、それを硯にしたことから始まったと伝えられており、325年間続いているそうです。
雨畑で取れる石は、太古の時代、そこは海の底で堆積された地層に圧力がかかってできた粘板岩・ケツ岩です。硯に最適なのは、硬い石が万遍なく散らばっていることだそうです。
雨畑は江戸時代。金山がで栄え発掘作業が禁じられ、硯の原石を掘れない時期があり、川原で拾って造る時代もありました。
硯は手彫り、そして磨き、漆仕上げなどの工程でできるそうです。ツルツルでなく#400前後の万遍なく硬い流石が立っている状態にするそうで、長い間シンプルな形だったようです。そのため硯箱の方が贅を尽くしたものになったそうです。12代目の時にパリ万博など日本の工芸が注目を浴びオリジナルのものが創られたようです。先代は自然を題材とし、空白・間を取り込んだデザインが多かったようです。中国の硯には物語などの彫刻がいっぱいあるものが多く、どんどんプラスされていく傾向があるようです。先代は、中国のものとは違い、墨をする時には心を落ち着かせてできるようにと、余分なものをマイナス・引くようなデザインを心がけ、深みを出ることを目指したそうです。硯の中にその人の人柄が出るとも話されました。
 先生は、東京芸大の学生の時。個展を開いたそうですが、工芸よりファインアートに憧れた時期だったそうで、見た目は変わっているが、全体的にみるとみっともないものだったと回想されていました。今は、硯の持つ歴史を消化して、品格をもたせ、時代の新しい価値観をだし、精神的な深みをのせていくものを目指されているそうです。工芸=ファインアートだと感じているそうです。
 すごいことに先生は羽生善治・井上裕太氏が国民栄誉賞に輝いた記念品の七宝の硯箱に納めた硯を創られたそうです。
 講演後、先生の作品を持ってきてくださり見せてもらいましたが、横20㎝位、縦に15㎝の長方形で。中央部分に向けて指でなぞらなくては分からないようなゆるいカーブとなっていました。中央の上の部分だけに横5㎝位縦2㎝の深さ1㎝の溝が彫られていました。その溝だけに漆の黒が鮮やかに塗られていました。

開く コメント(0)

イメージ 1

富士講・大我講 「大寄友右衛門」  
講演会 大寄赳彦 先生

 4月17日(水)「旧二葉屋酒造・酒蔵」において元日本工業大学・工学部講師 大寄赳彦先生に市川大門村の江戸時代の名主で先生のご先祖である大寄友右衛門(おおより ともえもん)の足跡をお話しいただきました。大寄友右衛門は本名・大寄兌考(よしたか)といい、富士山信仰の熱心な信者で江戸時代に成立した民間信仰「富士講」の一派、「大我講」の開祖であります。信心深く、歌道に通じ市川大門村に尽くした人です。江戸時代末期の天保10年(1839)徳川幕府直轄領であった甲州西八代郡市川大門村(市川三郷町)を中心に「大我講」を熱心に新興し、やがて富士川をはさむ東西河内領の西嶋村や山間部に点在する古関村、北川村、三沢村や駿州内野村、小泉村などにも広がり、その信者数は短期間で1000人を超える一大講になったといわれています。 天保6年から10年天保に日本中がの飢饉に見舞われます、忍野村でも疫病が流行しこの地域で餓死者と合わせて390余名が死亡したそうです。この窮状の中、忍野の村人が市川大門村の代官所に窮状を訴えます。当時、名主(江戸時代に郡代・代官・町奉行所の支配を受けて公務に携わった町村の長)であった大寄友右衛門はその話を聞き忍野の救助活動をします。支援のみならず、地域振興を東圓寺(忍野八海に隣接する天台宗寺)の協力をえて元八湖の復興を計
画します。忍野村の生活を少しでも豊かにしようと知恵を絞り、村内にある八っの池に八大竜王を祀り、(一番霊場・出口池 二番霊場・お釜池 三番番霊場・底抜池 四番霊場・銚子池 五番霊場・湧池 六番霊場・濁池 七番霊場・鏡池 八番霊場・菖蒲池) 富士講の行者がこの池を巡り身を清めて富士に登るようにしました。大寄友右衛門や村人は寄付を募り、また自らも私財を投じ、今日の富士山世界文化遺産の構成資産となる基礎を築きました。市川大門村の名主・大寄友右衛門が歴史に残る種を育て大きな業績をつくったと思います。人々の災難を自分の事のように考え、活動した偉人が市川大門村にいたことを誇りに思います。今回の講演会がより市川三郷町の好きになるきっかけとなればと思います。

開く コメント(0)


イメージ 1


「ゆるキャン△」効果
やまなし観光推進機構 武川 清志朗

 3月19日に山梨大学大村智記念館にて「ゆるキャン△」効果〜地元が舞台となるアニメが地域に与える影響〜と題し、産学官山梨観光シンポジュウムがありました。
 講演者は。フイルムコミッションの武川清志朗氏で、現在県庁でやまなし観光推進機構マネージャーをしています。2015年に「ゆるキャン△」制作の相談を受け、風景画になる写真提供等をして、2015年5月に芳文社きららフォアードに連載開始し、3話からヒットを感じ始めたようです。2016年にフィルムコミッションも支援開始したそうです。2018年1月に放送開始され、その人気はさらに深まりました。山梨県のHPにも載っているそうです。
主人公は女の子たちで本栖高校生です。静岡から山梨に転校してきて、お札に写っている富士山を見たいと本栖湖に自転車で行ったが、帰りに暗くなり、オフシーズンの一人キャンプが好きな女子高校生に助けられます。その経験があり、高校の同好会である「野外活動サークル」に入部します。キャンプ場、キャンプ道具、特に野外での料理などが詳しく描かれています。本栖高校は廃校の下部小中学校を舞台としています。バックは実際の風景が克明に描かれています。漫画はもちろんアニメも人気となり、ファンが聖地巡礼と言われて下部小中学校のグラウンドにテント、そして、飯富のセルバのスーパーで、グッズを売っていて常設のコーナーもあります。
 ここまでヒットしたのは、作品の力もありますが、イオンモールや信玄公まつりなどで、パネル等で紹介し、まずは、地元の人達に知ってもらう努力をしたそうです。人気が出れば、聖地のデジタルスタンプラリーを企画し、7000人も参加したそうです。また、グッズを地元に作ってもらいたいとお願いして回り、なかなか難しかったのですが、諦めずに勧誘し協力を得られ始めたそうです。どうしても小ロットの生産で、現地での販売となるので、地元に来て購入してもらわなくてはならず、それがかえってステイタスになっているそうです。
 下部小中学校がある五条ケ丘活性化推進協議会を始めとする地元の方々が若いファンを積極的また、温かく迎え、とても良い関係ができています。役場には「ゆるキャン△」の聖地マップが置かれており、役場の方々も積極的にかかわっています。
 峡南の活性化に一役買っています。

開く コメント(0)

イメージ 1

能面に魅せられて  佐久間 二郎先生
 2月22日に下部ホテルにおいて一般社団法人山梨県法人会連合会女性部連絡会が行われました。神宮寺会長が昨年の全国女性フォーラムが成功裏に終わったことへのお礼も含めて挨拶され、その後議事が滞りなく終わりました。
 交流会で佐久間二郎先生による能教室が行われました。先生は甲府市に生まれ両親も能に興味がある方ではなく、小学3年生の時に般若の能面に魅入られて、能を学びたいと思ったそうです。中学生で観世流・中森晶三師に弟子になりたいとお願いしたところ、一般家庭出身は能で生活できるのは、まれであるから、もし違う道に進むようになってもいいように高校へ進学するようにと勧められたそうです。高校在学中から中森師に師事し、卒業後、観世喜之師のもとに内弟子となりました。現在は、観世流能楽師として武田神社で「薪能」を開催し能教室を各地や学校大学等で開いています。
 能は650年前に観阿弥・世阿弥により完成し、その後変わらないで伝承されてきているそうです。セリフは謡となり、しかも低い声で謡われ、また、お面を付けていることが多いので、ストーリーがよくわからないという印象です。道中の表し方も「京に参ろう」と言って2、3歩進み、「着いたで候」とセリフで言って、観客が舞台背景を想像するようになっています。扇を広げて、目元に近づけるようにする動作は、悲しみを表し、右手に扇を持ち胸に持ってきて、右の上に挙げると喜び・歓喜を表します。また、お面は、若い女性(18歳頃)と、成人女性(30歳頃)とあり違いは、若い方が鼻に目や口が寄っていて、成人の方は、目も切れ長になっています。鬼の面は角の無いのは男で、角がある般若は女だそうです。髪が中央に左右に分かれています。檜や桐から作られていて、面裏は漆が塗られています。お面を付けると真正面は分かるけど横や下が見えないようです。また、能面は、耳のところしか持ってはいけないそうです。白い布袋に綿が入ったものを内側に添えて、緞子のような布の袋に大切に入れてありました。
 小鼓は、馬の皮でできていて、中央に小さな円が鹿の皮で張られています。小鼓を左手で持ちまして、右肩に乗せ、右手で打ちますと、4つの音が出るようです。芯棒の漆で塗られている所は桜の木を使用しています。
 先生が自ら謡をしながら舞ってくれましたが、朗々と大きな低い声で、すり足で上体が左右に揺れずにスーッと動きます。武士を演ずるときには、大きな動作で、女性を演ずるときは小さめに、鬼は、宙を舞いくるっと一回転するなど無駄な動きがなく圧巻でした。もっと観たいと皆さんが言っていました。

開く コメント(0)

全36ページ

[1] [2] [3] [4] [5] [6] [7] [8] [9] [10] [11]

[ 次のページ ]


.


プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事