邦文堂ブログ

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つみ木って楽しい「楽つみ木」

十一月七日(水)に富士屋ホテルで山梨総合研究所の十周年式典が行われました。
 そのメッセ会場で木楽舎(荻野雅之)さんが中央に赤いジュータンをひき二万個のつみ木を置いた楽つみ木広場をやっていました。二十人ほどのこどもと大人が塔を熱心に積んでいました。
 楽つみ木は木楽舎のオリジナルなもので、ヒノキの間伐材を使って木目をいかした香りが素敵なものです。三種類あり、長方形の板状(三×十二)と台形(三.六×三×三僉砲販方形(三僉砲塙夫されています。素材を生かしたつみ木は丁寧な仕上げがされていますので、大人の感性を持って緻密でかつ芸術的に積みたてることもでき、特に、荻野さんの手にかかると、こんな形にどうしたらこうなるのと驚くようなとても素敵なオブジェとなります。
 また、楽つみ木は間伐材を使うので日本の森林の再生を図り、地球温暖化にも貢献できます。また、広い空間で無数といえる数のつみ木があることや、時間をたっぷりとって積むので、大作に挑戦でき、崩れたら何回もやり直すため、集中力が養えます。仲間でやれば連帯感も生まれ情操教育にも役立ちます。
 参加者は、思い思いのグループになり、慎重に積んでいます。かわいい女の子と優しそうなおかあさんとが四段までの円柱の塔を注意深くのつみ木を組み合わせています。どちらかといえばお母さんのほうがノリノリです。思わず童心に返るのかも入れません。崩れかけてしまってもすぐに修復して、もくもくと大作に挑んでいる方がいて、思わず「うーん」とうならせる見事な物もあります。
 たくさん作品ができるとそれらをつみ木の帯でつなぎます。一体感ができてまた雰囲気がかわります。
 全員で遠くから眺め、満足感に浸りきると、最後におもむろに荻野さんが、全員にそれぞれの力作のまえに正座するように呼びかけます。「つみ木さんありがとう」「あなたの今までの中で一番のやさしさで包んで崩してください。」と掛け声をかけますと、会場はサラサラというやさしい音が響き、元の姿にもどりました。
 何時までも耳元でサラサラとさわやかな音が響いているようでした。
 










市川大門散歩マップ

http://www.hobundo-c.com/map/map-1.htm

よみがえるか甲府中心街



十月十三日(土)に甲府の桜座において山梨県立大学の学生が中心で構成している「よつびし総研」(田中裕代表)で「ガチンコジュウム供々檀椶泙舛鼎りフォーラム2007」が行われました。
 午前の部は、法政大学名誉教授の田村明先生の基調講演で始まりました。先生は、日本全国どこでも同じにならない「まちづくり」を提唱した方で、市民がその気になり、それぞれの地域にあった個性のあることを目指し、歴史をたどり・自然・景観を大切したしくみ「市民の政府」を自分たちのために作らなければならないと話されました。
 その後、蟾壁の笹原司朗前代表の事例紹介で、秀吉が造った楽市楽座を基点とした長浜の商店街の賑わいが郊外型の大型店舗に取られたのを、ヨーロッパ型のガラス文化を事業化して成功した話でした。「固定観念をはずそう」や西田天香の思想の「無一物無所有無尽蔵・一銭も持たない者こそ最も大きな考え方が開ける」を信念としたそうです。パンフレットはこだわりのものをつくり、宣伝用にばら撒かず「来て下さったらお渡しする」方法を取ったそうです。
 犬山市の石田芳弘前市長事例紹介では、賢い住民を作るため小中教育に特化し、少人数学級にしたこと。国宝のお城を中心とした城下町再生を目指したこと。全市博物館構想を持ち、横糸を山川草木、縦糸は歴史だと話されました。町の潜在能力を見つけること。歩いてめぐるまちづくり。イメージが大切でポイントを決めてやらなくてはなどと力説しました。「分かりやすくいえば、野球のバッター順は、まず四番を決めてからでしょ。」が印象的でした
 最後は甲州市の三森哲也観光課主幹で、イギリスが発祥のフットパスという散策ガイドツアーの紹介で、ワイナリーめぐりや朝市、大正期に作られた旧中央線のトンネルを石室や線路を歩道に活用した近代化遺産の保存活動などの紹介がありました。
 午後の部は田村先生がコーディネイターとなり、学生のパネリストと事例紹介の三人と甲府の宮島雅展市長がコメンテーターとして加わり「よみがえれ!甲府中心街」をテーマにガチンコジウムが行われました。
 コメンテーターの方々が、拠点作り・市民の方向性を一つに・教会を中心に・映画館・城下町など出されました。宮島市長が無料の駐車場がないため郊外型の大型店舗にお客が取られてしまうという意見に、笹原さんや石田さんはかえって車を拒む方向を取って、歩くことの楽しみやほっとする懐かしい町を強調し違いを際立たせることが大切だと話されました。
 学生からは今回のイベントで甲府市役所の駐車場を無料提供してくれなかったことを訴えたり、ネットカフェをやり、女学生を対象としたのに小学生が集まり客単価が減少し商売の難しさを学んだこと。この会に商店街の方の参加がないことへの反省。行政・市民・商店主・学生などが一同に集い話せる場作りが急務などの意見が出ました。
 会場からは、甲府は昔憧れの町だとか、県外から来たが甲府の人は温かく迎えてくれたこととか、学生の店で独自の商品開発をしたらどうかなどの意見が出ました。
 坂本裕樹実行委員長が終わりの言葉の中で、大勢の方たちが真剣に参加してくれたことへの感謝を述べた際、感極まり言葉に詰まる姿がさわやかでした。
 市川マップの会は平成五年八月十四日から、町並みウォッチィングをしていますが、甲府市はその以前から「北山野道」という散歩マップを作っていました。その冊子に町家・民家・歴史的遺物・今回学生があるもの探しで発見したものなどを加えて、町を歩き楽しむ城下町を打ち出して欲しいものです。

まぼろしの平塩寺



市川大門の平塩の丘に行基が開基したと伝わる平塩寺がありました。天台百坊といわれた巨寺でしたが、今はなく、また、いつ廃寺になったのか定かでなく、まぼろしの平塩寺ともいわれています。この平塩寺は夢窓国師が弘安六年(一二八三)父に従って空阿上人について出家を志した所であり、大月の花井寺の大般若経四〇五巻の末尾に筆師幸明平塩在八代郡市川とあり、若草の法善寺のものは五五〇巻の奥義に畢阿遮梨平塩寺降舜とあります。また、花園院に四軸の平塩寺過去帳があります。
 長い間、市川に住む人々に愛され郷土の誇りとされていましたが、残念なことに現在は、多くの人がその存在を知らない状態になっています。私なりに平塩寺のことを調べ、気軽に読める物語風にし、地元の皆さんに少しでも平塩寺を知っていただければと、細々ですが調べ始めました。幸いなことに、中倉茂先生が『武家政権鎮護の寺があったー北条時頼が造った平塩寺ー』(一九九七年出版)を書かれていますので、いろいろご指導を頂いております。
 今回は、「平塩寺が何時まで存在したか?」の諸説を紹介します。
☆一五八二年説。浅間社古文書の巻物明治二六年に書かれたものに「天正壬年三月武田家御没落の刻郷礼におよび、敵将織田信長良臣川尻肥後守信胤のためらん平塩山諸堂並びに末社に至るまで悉く波布せり」とある。
☆一六八六年説。貞亨三年の附文書に平塩寺の諸堂が『武家政権鎮護の寺があった』に書かれている。
☆一八〇六〜一八一四年説。甲斐国志巻之八十六に仏寺部第十四 八代郡西郡の一. 平塩山薬師院 同村 同宗同末本尊薬師 を平塩寺の一部が残っているとする。しかし、甲斐国志巻之五十の古跡部第十三と絵地図で、平塩寺廃跡としているので一八〇六〜一八一四年にはもうすでになかったとするとも言える。
 平塩寺が滅びた説に、市川では「織田信長に焼かれた。」の説が根強くあります。私が教えを戴いてる先生方は織田信長は韮崎から甲斐に入ってきており、徳川家康が先に市川に来ているのでこの説はないと言われています。
 焼かれた説の一つに一九九〇年の市川大門文化審議委員の記事、毎月の広報の「平塩山平塩寺 赤池忠則」があります。
抜粋ー一体は古い巻物であり、今の庄の木稲荷の岡にある浅間社のものである。
「そもそも当社開闢は天平年中平塩山平塩寺と号し行基菩薩の開基にて、則ち境内に富士浅間社建立がある。然し変化難避天正壬年三月武田家没落の時、敵将織田信長家臣川尻肥後守信胤の為平塩山諸堂並びに末寺に至るまで悉く焼失せり」 
この原本はどこにあるかと調べましたら、市川三郷町市川大門町民会館二階の古文書資料室のロッカー下段引き戸にありました。五〇センチぐらいのかなり傷んでいる巻物でした。赤池先生の文と少し違いがありますので抜粋します。「そもそも当社開闢は天平年中平塩山平塩寺と号し(中略)武田家御没落の刻郷礼におよび、敵将織田信長良臣川尻肥後守信胤のためらん平塩山諸堂並びに末社に至るまで悉く波布せり・(中略)・明治二十六巳四月十八日 扶桑教会 今社長 元行真」
 明治に書かれた富士講の巻物の書き出しでした。庄の木神社の西側に富士講の石碑が並んでおり、その奥に浅間社の建物がありその中に保存されたのだと思われます。この書き物では「焼失」ではなく「破布」でした。波布を調べたのですが正確には分かりませんでした。ご教授いただければありがたいのですが平塩寺のことも情報があればお願いします。

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トヨタの未来車「i−unit」



八月六日に愛知県のトヨタ自動車蟾場見学に行って来ました。
 山梨県立大学の黒羽雅子教授の経営学の授業に関連したものでした。事前勉強会でトヨタ生産方式の特徴であるムダの徹底的排除の思想と造り方の合理性、不良品を作らないために異常が発生したら機械を停止する「自働化」や各工程で必要なものを必要な時に必要な量だけを流れるように停滞なく生産・運搬する「ジャスト・イン・タイム」を学びました。
 「かんばん方式」や「ジャスト・イン・タイム」はよく耳にしましたが、「自働化」は、今回の勉強会で知りました。自働化とは機械に人間の知恵を与える。という意味の命名だそうです。ラインの所定の距離内で機械設備の異常や、品質の異常、作業遅れなど何らかの異常が生じたら、作業者や班長がラインを止めて原因を取り除き平常の作業に戻すやり方です。技術力のある班長の果たす役割は重要です。どんな感じで作業されるのか興味がわいてきました。
 集合場所はトヨタ会館でした。会館内の展示はハイブリット車を詳しく展示してあり、目を引いたのは未来の乗り物『i-unit』でした。椅子が乗り物というか、ロボットの内部に入るという感覚のものです。ホールでインストラクターの女性が『i-unit』に乗って運転しました。右の手でドアノブのようなものを軽く回すだけで操縦し、三六〇度の回転も、ほとんど同位置でできます。椅子に座った状態の低速モードでは四キロ程度の早さで、F1カーのように変形した高速モードでは四五キロほど出るそうです。その変形もアッという間の出来事でした。動力は電気で、充電に一時間かかり、一時間動くことができるそうです。まだまだ実用には遠いものですが、これは見ものでした。トヨタ・パートナーロボットのトランペット演奏も有名でこの次はぜひ見たいと思います。
 目的の工場見学は、ここからバスに乗って元町工場まで行きました。ガイドさんの話では、車はプレスから組み立てまでは二十時間かかり、部品は三万個あるそうです。組み立てと溶接を見ました。溶接は総て機械化され、機械ロボットが恐竜のように首を動かし、スピーディに動いて火花を散らして溶接し終わるとじっと静止しているさまはSF映画のロボットのようでした。組み立ては、ドアを取り外したいろいろな車種がライン上に整然と並んでいました。担当者がその機種にあわせた部品をライン脇にワゴンを置き滞りなく取り付けていきます。「自働化」の様子は作業者がラインに添って頭の上に紐が張られているのを引くと異常を知らせる黄色のアンドンが点灯します。班長が来て異常を解決し、アンドンを消灯します。異常を解決できないときには、赤のアンドンを点灯し、ラインを止めて異常を解決します。班長は、制服を着てヘルメットを付けていました。
 各車の屋根にIDナビをつけて管理され、エンジンは車の心臓部にふさわしい姿で五五〇点の部品で組み立てられ、検査は千項目あるなどいろいろな驚きがありました。

ハックルベリー・フィンの冒険



アメリカのマスカティーン市の使節団が、八月二日に市川三郷町に来訪します。
一年交替で使節団が派遣されています。
 マスカティーン市は、ミシシッピ川の畔にあり市で、「トム・ソーヤの冒険」の舞台になっています。皆さんは、「ハックル・ベリーの冒険」を知っていますか?「トム・ソーヤの冒険」の続編で、ハックル・ベリーの少年とジムという逃亡中の奴隷との冒険漂流記です。
 ハックル・ベリーは、粗野で、乱暴とされていますが、ジムとの逃亡生活でいろいろな経験をして、正義感や思いやりや分別ができてきました。ジムは親切で忍耐強く、用心深く、生きるためのたくさんな知恵を持っていますが、ある時、あふれる激情に襲われて話す言葉「娘が4歳の時ショーコー熱にかかって口も耳も聞けなかったのに気がつかず、いらいらして子どもを張り飛ばしてしまった。おらはワーッと泣き出してしちまい。あの子を両腕でぎゅーっと抱きしめて・・・」との回想は、私の心を振るわせました
 トム・ソーヤも後になって登場します。奴隷解放の前のアメリカの社会通念や自然の雄大さなどを多く学べます。夏休みになりましたので、お子さんと一緒に読み合うのにはとてもよい本です。
 ハックル・ベリー少年は、ミスワトソンおばさんに預けられ、学校へ行き、本を読めるようにななり、行儀のしつけなどされました。トム・ソーヤと一緒に、泥棒たちがかくしたお金を見つけて、6千ドルものお金を手にしますが、サッチャー判事に預かってもらい、毎日1ドルを渡されました。ある時、ハックルは、クモがローソクに飛び込みこげてちりちりになったのを見て、何か悪いことが起こると予感します。果たして呑んだくれてはハックルを叩くお父さんが、6千ドルのうわさを聞きつけ現れたのです。ハックルを強引に川向こうのアジロに連れ帰ります。ハックルは、ある時決心して、自分が誰かに殺されたように見せかけて逃れます。ジョンソン島で、ミスワトソンおばさんの奴隷のジムと偶然会います。ジムは売り飛ばされそうになって逃げたことをハックルにうちわあけます。そこで二人で筏に乗って昼は隠れて、夜だけ筏でミシシッピ川を下ります。ケアロは、奴隷制のないところなのでそこを目指しますが、結局通り過ぎてしまいます。不運にも川を上ってくる蒸気船に筏が壊されてしまいます。流れ着きグレンジョーフォード家に辿り着き、そこに世話になります。そして、そこの奴隷が流れ着いたジムに会わせてくれました。そこの家族は裕福ですが、恨みを持つ家と何十年も争って暮らしていて、ある時、大きな戦いになり一家が殺されてしまいました。必死になって逃げジムを探し、以前のように筏で川を下ります。しばらく穏やかでしたが、ペテン師二人が筏に乗り込んできて、なんとハックルたちは召使のように二人に翻弄されます。愉快なことや、とても許せないことなどがあり、毎日危ない橋を渡るようでした。何とか二人から逃れます。しばらく無事でしたがジムがつかまってしまいます。
 ハックルは、ジムを助けようと、ジムがとらわれている家に入り込み、トム・ソーヤと間違われて成りすまします。そこになんとトム・ソーヤがやってきますが二人は口裏を合わせてそこで暮らします。なんとか二人でジムを助けます。しかし、トラブルになりますが最後にはジムは自由の身になってハッピーエンドで終わります。

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