浪人浄瑠璃

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社会学とか

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 フランスの有名な人類学者・思想家のクロード・レヴィストロース氏が100歳で亡くなられたそうですね・・・

 「悲しき熱帯」「野生の思考」などの著作が有名で、西洋中心型の近代的思考法を内側から批判する「構造主義」を発展させ、人類学のみならず、人文社会科学全般に大きな影響を与えた人物です。

 あまりにも有名な学者でもはや「古典化」(過去の偉人)といった印象だったのですが、いまだに健在であったとは・・・亡くなられたこととあわせて、二度驚きです・・・

 学生時代に読みましたが、当時は正直内容がよくわかりませんでしたが・・・

 ・・・もう一度読んでみようかしら・・・


 クロード・レヴィストロース氏の訃報を聞いて、そんなことを思った一日でした(-ω- )

学会への入会について

 先日、新しくできる学会の入会案内が届きました!
 
 ほうほう、関東でもなく、関西でもなく新しくこの地域に学会を作るんですね〜

 声をかけていただけたのはとってもうれしいことです(ノ´д`)♪

 しばらく、勉強を凍結させていたのですが、最近再び学問意欲が沸いてきていい感じ!♪

 社会人生活でバタバタバタバタしている毎日ですが、学生時代のテーマもまだまだいろいろ気になることあるし、名古屋の街の使い勝手も大体分かってきた、しっかり勉強していきいなぁと再認識している今日この頃d(ゝc_,・*)

 

東海3県


学生時代も、今もこの地方に住んでいます!

経済の好調な地域として注目を集めているこの地方!!住みだしてから時間も経ったので、「慣れ」てきたこともあるのか、結構気に入っています♪

そんな、東海3県を構成する県は・・・


愛知県、岐阜県、三重県



名古屋を中心とする中京圏を含むような県が該当するようなんですが、ここで一つ疑問・・・


東海3県と言えば、愛知、岐阜、三重・・・


東海3県と言えば、愛知、岐阜、三重・・・



東海3県の県名を上げるときの順場は


愛知、岐阜、三重の順番が多いんです!!



「三重、岐阜、愛知」とはあまり聞かないし、「三重、愛知、岐阜」とも聞かない・・・

何故か、決まって「愛知、岐阜、三重」・・・

何故この順番なんでしょうか??


「あいうえお順」??それとも、人口の多い順??


何らかの法律、国語辞典、政府の何らかの報告書に掲載されているのがこの順番だから??


「どうして、東海3件が愛知、岐阜、三重の順番なのか?」


そんなどうでもいいことの裏にも、もしかしたら面白い秘密があるかもしれないと考える秋の夜長・・・
「社会学とか」・・・この書庫久しく書いてませんでしたねぇ・・・(@^_^)ゞ

久しぶりに、データを整理していたら、学生時代に書いた文書を発見!!

きっと、いろいろ本読みながら思ったことを書いたメモなんでしょうね!

と言うことで、以下・・・


ミュージアム(博物館)に流れている時間というものはどのようなものなのか?


 通常、博物館の展示空間の中で流れているのは単線的な時間であり、そこには過去から未来へ向かって伸びる直線的な時間や物語の流れの存在が疑いもない前提として存在し、それを来館者に納得してもらうような建物が設計され、展示内容が組み立てられているのだろう。

 一般的に、昔の様子から現代の様子へ、年代の古い順番に入り口に近い方から遠いほう(出口)へ向かってモノの配置は決定されていく。

 そして、来館者はそうして配置された展示空間の中を歩くという行為を通じて、過去から未来へ、古いものから新しいものへの移り変わりのメカニズムを体で感じ取っていくこととなる。

 人間社会にとってリニアで単線的ではない時間構造というもの、それは多様な、しかも複数の時間が交錯するような時間である。

 では、多様で、しかも複数の時間というものはどのようなものなのか?

 本来、人間にとって時間というものは入れ子構造的なものになっており、通常社会の中ではそれが働いている。博物館で展開されるような、リニアで単線的な時間や物語というものは本来、時間や物語の表現方法としてそのひとつを表しているのに過ぎないのである。

 その一方で、博物館の役割とは、博物館が扱うテーマ・事象について説明するということが、大きな目的であり、当然の常識として認識されているため、館のテーマを主張するために時間軸による展示配列とは異なるのかもしれない。

 もちろん、そうした部分は博物館の役割の根幹をなすことなので、正しいことではあるが、博物館にはもうひとつ大きな役割が存在することが見て取れるのではないか。

それは、

博物館は存在するというだけで、本来は「見えないもの」を可視化するとこと

「時間」や「歴史」、「平和」といった抽象的なものはもともと見ることができないが、博物館は自らの機能を通じて、人々に対し、それらが存在すると思わせてくれるような機能があるのである。

 つまり、博物館は扱うテーマ・事象について解説する働きがある一方で、建物の実在の空間を歩くことによって、モノが表象する抽象的な意味が確実に存在することを思わせるような役割をも担っているのである。
 
 出来事は時々刻々として過去の中に組み込まれていき、そしてそれが歴史として名づけられることによって「歴史」として存在するようになっていく。

 そうして、歴史として語られている出来事も部分的に分解していく作業をおこなっていくと、それはひとつひとつの何らかの出来事が集合したものであることがわかり、またそれの出来事も最終的にはそれぞれの人々の行為に還元されることとなる。

 しかしながら、そのメカニズムは通常注目されることも少なく、また、仮にその部分へ注意が向けられたとしても、大きな意味をこめられることはない。
 その際、戦争もしくは暴力に対する考えが、それが巨大な規模のものとして我々の目の前に押し寄せ、てくるとき、人々個々のリアルさを感じる余裕は果たして存在するのであろうか?

博物館の展示に「個」を感じることは出来るのか??

う〜ん、わからん・・・(ー’`ー;)

柳田国男とか

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 最近、柳田国男先生についての論文とか資料とかに触れる機会があって、感じること・・・

 なんて、でかい人なんだろう・・・
 
 単なる日本民俗学の先駆者というだけでなく(もちろんそれだけでもすごいんですが)
 
 なんというか、学問を行うにあたっての目的意識というか、志しというものがものすごい・・・

 「蝸牛考」とか「遠野物語」とかいろいろ一般的に有名な業績があるけれども、少しマニアックな「南海小記」とか「巫女考」とかその他いろいろ、なんでこの作品があるのか??何でこの調査をこのようにまとめる必要があったのか?裏の裏まで考え、柳田先生のお心を想像すると鳥肌がたちそうです (((( ;゜Д゜)))!

 自分は柳田先生のようにしっかりと考えて、何かの目的意識のために全力で学問に取り組んでいるか?自問自答してみると甚だ怪しいですねぇ・・・ヽ(〜〜。) 

 今までは柳田先生の著作を見ても「「資料」ばっかりで面白くないなぁ〜」という感想でしたが、自分の解釈で少しその面白さに触れることができたような気がします!

 「じゃあ、どう面白いのか?」 う〜ん、あまりうまく説明できませんので興味がある方はぜひいろいろ手にとってみて、ご自分なりに感じてくださいませヽ(´▽`)/!


 ・・・興味がない人にはまったく面白くない話でしたが、以上独り言でした♪ チャンチャン♪

 

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