浪人浄瑠璃

長い休眠期間を終え、新年より再開したいと思います!

読書記録

[ リスト | 詳細 ]

記事検索
検索

全4ページ

[1] [2] [3] [4]

[ 前のページ | 次のページ ]

イメージ 1

?H1>宮本 常一著 『忘れられた日本人』 岩波文庫

本書は日本を代表する民俗学者の宮本 常一が日本各地(辺境の地)に住む人々対して、聞き取り調査をおこなっている。聞き取りを行なうことで現在の文化を築き上げ、継承している人々がどのような生活・社会環境の中で生活しているのか活き活きと描いているものである。

 知っているようで知らない「昔の日本人の姿」。昔の記録は数多くあれども、昔の文化の痕跡はまだ残っていようとも、それらはどのような人々によって生産されているのか?そして、そのエネルギーはどこから生まれてくるのか?
 それらはごく普通の生活の営みの中で繰り返し続けられてきたものであり、当人らにとっては「当たり前」のものであるが、なかなかそれを見ることはできない。
 彼らは日本の文化を支えてきた重要な存在でありながらも焦点が当てられてこなかった。そんな彼らに対し、宮本は辺境の地で出会う古老の話を克明に記録し、そこから立ち上がってくるなかなか見ることのできない人々の姿を描き出そうとしたのではないか?

 「村でとりきめをおこなう場合には、みんなの納得のいくまで何日もはなしあう」「みんなが納得のいく結論を出すことを重視する」村落の決定システム「合議制」について書かれている「村の寄り合い」から、盲目のばくろうの語りの中から男女の関係について考えさせられる「土佐源氏」。「女の世間」「世間師」とどれも面白い。

 その中で、個人的に気になったものとしては同書に収録されている「子供をさがす」という短い文章。
母親に叱られた子供が、家の者を少し困らせてやろうと外へ出て行きってしまう。夕飯時になっても帰らない子供を心配して、家族・村の人々が子供を捜しに出ていく時のお話・・・
 
 以下引用文は子供が見つかった後の様子を記したもの・・・

「 ・・・Aは山畑の小屋へ、Bは池や川のほとりを、Cは子どもの友達の家を、Dは隣部落へという風に、子どもの行きはしないかと思われるところへ、それぞれ探しにいってくれている。これは指揮者があって、手分けしてそうしてもらってのでもなければ申しあわせてそうなったものでもない。それぞれ放送をきいて、かってにさがしにいってくれたのである。警防団員以外の人々はそれぞその心当たりをさがしてくれたのであるが、あとで気がついてみると実に計画的に捜査がなされている。
 ということは村の人たちが、子どもの家の事情やその暮らし方をすっかり知りつくしているということであろう。もう村落共同体的なものはすっかりこわれ去ったと思っていた。それほど近代化し、選挙のときは親子夫婦の間でも票のわれるようなところであるが、そういうところにも目に見えぬ村の意思のようなものが動いていて、誰に命令せられると言うことでなしに、ひとりひとりの行動におのずから統一ができているようである。
 ところがそうして村人が真剣にさがしまわっている最中、道にたむろして、子のいなくなったことを中心にうわさ話に熱中している人たちがいた。子どもの家の批評をしたり、海へでもはまって、もう死んでしまっただろうなどと言っている。村人ではあるが、近頃よそから来てこの土地に住みついた人々である。日ごろの交際は、古くからの村人と何のこだわりもなしにおこなわれており、通婚もなされている。しかし、こういうときには決して捜査に参加しようともしなければ、まったくの他人ごとで、しようのないことをしでかしたものだとうわさだけしている。ある意味で村の意思以外の人々であった。いざというときには村人にとっては役に立たない人であるともいえる。 ・・・略・・・ 」

 昨今、奈良の少女殺人事件・町田の女子高生殺人事件・そして広島の女児殺害事件と痛ましい事件があったからだろうか、心に引っかかった。どう思われますか?

 もちろん、これら事件および「子供をさがす」の内容をすべて同一視してはならないし、現代の生活と昔の生活を比較して、どちらがいいと言うつもりもない。
 しかしながら、ここで宮本先生が調査し、浮かび上がらせた「忘れられた」姿は今読んでも大変興味深いし、同時にそこに含まれているとてつもなく重いものを感じさせてくれるのではないか?

 社会問題が生じた時に何らかの対策として、防止策、社会整備など様々なかたちでなされ、ある方向へ方向付けられていく。それらは本当に「正しい」のか?的外れのことを、「正しい」ようなふりして行なっていないのか? 蛇足ですが、そんなことも考えたりしました。 チャンチャン♪
 

イメージ 1

?H1>『勝つための論文の書き方』 鹿島茂(著)文藝新書

 文章をまとめるのが下手なので、問題設定が甘いので、きちんと論理だって説明することができないので読んでいます・・・

 ある先生に「文章の書き方の本はいくつかあるけれど、この本はなかなかよい!君も読んでみたまえ」

 と薦められて、書店の棚を探していたのですが見つからず、先日手にすることができました

 また、近いうちに感想を掲載したいと思います。

 決して「論文」という堅苦しいものに限らず、「うまい文章」「納得させる文章」を書くための訓練にもなるのではないでしょうか?
 この能力って結構重要ですよね!!

『蛇にピアス』

イメージ 1

 図書館で本を探していたら「ふっ」と目にとまる・・・

 ・・・『蛇にピアス』金原ひとみ著  ・・・研究とは関係ない本なんて、なんだか久しぶり・・・

 で、早速読み始める・・・

 「埋め込んだピアスのサイズを大きくしていきながら、徐々に舌を裂いていくスプリットタン・・・」

 ・・・ごめんなさい・・・

 あまりに痛々しくて、導入の2ページで断念・・・

 書評を書こうと思ったのに、2ページじゃ何も書けましぇん(>_<)

開く トラックバック(1)

イメージ 1

 諸国の(特に田舎の)伝承・伝説に準じた「京極堂サイドストーリーズ」として展開されている本作品。

 本編は民俗学者、もとい日本でただ一人妖怪研究家の肩書きをもつ、多々良勝五郎先生とその相棒である沼上が諸国の伝説・伝承をめぐる旅で遭遇する怪奇4編から構成されている。

 昭和初期、地方と都市の格差が拡大していく中で、また戦後の占領期の「近代生活様式」が社会で求められるにしたがって、日本にあった、地域にあった伝説・伝承・信仰・生活様式が失われつつあることを、強烈に皮肉った作品のようにも感じられる。
 
 地方・山間部に都会からもたらされる大規模開発の話、そこで揺れ動く地域共同体、そして繰り広げられ、垣間見える人間の「暗部」・・・。
 近代的な価値観が繰り広げられる中で、前近代的な「妖怪」「化け物」を創造し難くなる状況・・・本編で引き起こされる事件にもそうした意味が想起されないわけではない・・・。

 しかしながら、本作品の主眼に置かれているのは江戸時代の妖怪絵師鳥山石燕の『画図百鬼夜行』を中心とした妖怪画の謎解きである。

 それを象徴するかのような次の台詞・・・
 
 「鳥山石燕は、隠喩、暗喩、直喩、諧謔、洒脱、漢詩に古典と、なんでもござれで妖怪を画像に編み込む天才絵師ですよ。『画図百鬼夜行』は、物凄く巧妙な二重構造―いいわ、三重構造になっているんだ。そうなんだよ。・・・略・・・・『画図百鬼夜行』はね、そうした民俗や、伝承、信仰と云った次元でも解釈出来るように精密に設計されてはいるが、そうしたものを下敷きにした教訓にもなっている。しかし勤勉を奨励し、遊興に耽ることを戒める教訓話の体裁をそのままにして、石燕は下品な艶笑驔をも織り込んでいるに違いないんだ」

 つまり、鳥山石燕の妖怪画には何が書き込まれているのか?そこに描かれている妖怪が何をなすのか?個々の妖怪についての言い伝えや、民俗的な解釈のみならず、幅広い知識で石燕の画を読み解いていかねばならないのである。

 それを、多々良先生が「ふっ」としたきっかけで、パズルが組み合わさるように「わかっていく」様がなかなか面白い。本作品は妖怪画の見方の面白さを伝えてくれているのだ。

 私自身、画図百鬼夜行が何故、「木霊(こだま)」からはじまり、「幽霊(ゆうれゐ)」を経て、「逢魔時(あふまがとき)」へと展開されていくのか? また、諸国に伝えられる「音を発する妖怪」と「祭り」の関係を聞いた時のような面白さが身体の底からふつふつと湧き出してくるようだった。
 

 ※ 書斎派の京極堂とは異なり、フィールドワーカーとして飛び回る多々良先生はその対極をなすものであろう。京極堂ストーリ中での多々良先生の言動を思い起こしながら、読み進めると「メインストーリー」に更に深みが感じられる。また、ここで得た視点をもって、京極堂本編を読み直す面白さは言わずもがな・・・
 しかしながら、シリーズ本編で京極先生独特の書き口である「もやもやした」「どことなくすっきりしない」様子を楽しむことは難しいかもしれない・・・

 

イメージ 1

 日常に潜む恐怖を描く10の短篇から成る「京極堂サイドストーリーズ」として刊行されている本作品。
 
 京極堂シリーズの「脇役たち」(中には「川赤子」のように主要人物の話もありますが)が経験した過去をもとに、彼等の行動や思考様式に大きく影響を与えた「怪異」を「妖怪」になぞらえて綴っていくものである。
 
 日常の何でもないことのように思えるものでも、これから始まる事件(本編)への序章であったり、大きな鍵を握るものであったり、そしてそれが各事件を水面下で繋げる出来事だったりと・・・おもしろさはつきない。
 
 本作は、シリーズ本編で京極先生独特の書き口である「もやもやした」「どことなくすっきりしない」様子を幾分か補ってくれる「補完的性格」の強い作品のように感じられる。その分、「姑獲鳥」から「塗仏」に至る過去の作品を再度確認しておかねば、本作品の主役たち(本編での脇役)が「誰で?どこで何をした人物なのか?」全く分からなくなってしまう恐れがあるのもまた事実で・・・
 
 「姑獲鳥」から「塗仏」に至る事件の背後に何があったのか?戦後の貧困と混乱した時期と、不思議なことを「怪異」として「妖怪」として認識させる日本的な風土・特質の相関、そして彼等が「狂っていく」過程と、まだ残るあのもやもや感が私を楽しませてくれました♪       
                             (帰省中の列車の中で一気に読破!!) 

 「小袖の手」「文車妖妃」「煙々羅」「倩兮女」「火間虫入道」といった一般的にあまり知られていない「マニアックな妖怪」が扱われていることも個人的には良かったです♪

  個々の妖怪がどのように文献に記され、どんな言い伝えがあるかを知っていると2倍楽しめますヽ(^◇^*)/ 

開く トラックバック(1)

全4ページ

[1] [2] [3] [4]

[ 前のページ | 次のページ ]


.

ブログバナー

ぼんば〜
ぼんば〜
男性 / A型
人気度
Yahoo!ブログヘルプ - ブログ人気度について
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30

過去の記事一覧

検索 検索

スマートフォンで見る

モバイル版Yahoo!ブログにアクセス!

スマートフォン版Yahoo!ブログにアクセス!

よしもとブログランキング

もっと見る

[PR]お得情報

ふるさと納税サイト『さとふる』
11/30まで5周年記念キャンペーン中!
Amazonギフト券1000円分当たる!
ふるさと納税サイト『さとふる』
お米、お肉などの好きなお礼品を選べる
毎日人気ランキング更新中!
コンタクトレンズで遠近両用?
「2WEEKメニコンプレミオ遠近両用」
無料モニター募集中!

その他のキャンペーン


プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事