浪人浄瑠璃

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読書記録

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京極夏彦先生の小説を再読中にともない、そしてなるべく多くの「妖怪」に出会いたいということで、今回は『塗仏の宴 宴の支度』を読むことにしました。

『塗仏の宴 宴の支度』は次の『塗仏の宴 宴の始末』の前段階。本当に「あぁ〜、「支度」がされていく・・・」って感じで・・・

「ぬっぺっぽう」「うわん」「ひょうすべ」「わいら」「しょうけら」「おとろし」の6種の「妖怪」によって着々と「支度」がなされていきます・・・

一見すると何にもつながりがない「妖怪」たちが、それぞれの場で、そして長い年月をかけて、きちんと「根底」でしっかりと「繋がっている」恐ろしさとその奥の深さ・・・

冒頭の「独白」部分の曖昧さ、ぼんやり加減と気持ちの悪さは、相変わらず。
 
そして、その冒頭の文章・・・

「泣き止むことのない嬰児の群れ。永遠に床から起き上がれない男。箱詰めにされた幾人もの女。無間地獄で苦行を続ける修行者達。御詠歌を唄う市松人形。子牛程もある大鼠。長く伸びる手。真っ黒い異国の神。眼球を好む蜘蛛男。堕天使。両性具有 −これは―こいつらはみんな死人じゃないか。・・・」

 ・・・の部分は今までの奥の深さと、相互の驚くべき関係性を改めて感じました・・・鳥肌が立ちました・・・

そして、一番最後の言葉・・・

(支度の完了)

・・・・やばい・・・身体の底からものすごい嫌悪感と恐怖感、そして高揚感が湧きあがってくる・・・ほんと「オモチロクテたまらない」♪

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 京極夏彦先生の映画「姑獲鳥の夏」が公開され、予習の意味も込めて京極堂シリーズを気分転換がてら読み返しています。

そして、再読していて改めて感じたこと・・・。

 きっと京極先生の小説はミステリィなんだろう。「普通」の人では理解不能なことを「憑き物落とし」で解き明かしていくこと、これは推理小説でトリックを見破っていく探偵さんとかに類するのかもしれない。そう考えると、やはりこれはミステリィ小説なんだと思う。

 でも、(私のつたない経験からの判断でしかないが)ただのミステリィ小説とは違う気がする・・・いったいなんだろう?

 その奥に潜むもの、根底を渦巻いているものを構築するための文献・資料があまりに膨大すぎるように感じる。独白場面などで表現される幻想的かつあのぼんやりさは薄っぺらな背景では表現できないんだろう。やはり、ここは凄いなぁ〜と感じるしかない。

 そして、同時に京極堂シリーズはミステリィであると同時に「妖怪小説」と評されることもある。しかし、作品中に「妖怪」は実際に「実体」を持ったものとして出現しない。そこに描かれる「妖怪」は「普通」の人が理解不能な、怪しい出来事、奇天烈な出来事を「妖怪」の姿を借りて表現している。

 いや・・・「姿を借りる」というのは間違いだろうか?

 そもそも、「妖怪」は「実体」をもった存在なのか?「姿を借りること」は可能なのだろうか?

 京極先生の作品では(他のシリーズも含む)しょうけら、老人火、鳴釜、塗り仏、岸涯小僧、そして再読中の狂骨その他色々、鳥山石燕の画(画図百鬼夜行他)から妖怪を借りている。しかし、彼らには画(え)の中での「かたち」と少しばかりの説明・関連話があるだけで、やはり何者なのかよくわからない・・・しかし、人々の間には認識されている・・・

 なんだろう、よくわからないのに認識されているという矛盾っぽい関係は・・・・?
 
 そういった得体の知れないものを「納得のいく説明」、「現実的解釈」で解き明かしていく形でしか「妖怪」を文章の中で扱い、ひとつのジャンルにまで確立することは不可能ということなのか?

 ・・・やはり、「妖怪」は解釈の問題なんだろうか?

 ここには「解釈」するために「解釈」できるための根底が存在しており、人間の様々な行為が複雑に絡み合ってこそ「解釈」が「解釈」たらしめるということなのだろうか?

 そして、その解釈するのが人間であるからこそ「妖怪」が創り出される。

 それは人間の中にある「ま(間・魔)」というものが「妖怪」を解釈するための根底にあり、同時にそれが「妖怪」を産みだすための必要要素ということにならないか?

 何度読んでも気になるこの言葉・・・
 「世の中には、不思議なことなど何ひとつないのだよ。関口君。」
 
  ・・・などというようなことをふと思ってみました。この小説は一種の哲学だな〜と感じる今日この頃です。
 

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 京極夏彦先生の小説『姑獲鳥の夏』が映画で公開されています。見たい!是非とも見たい0(≧▽≦)0

あの小説の幻想的な、ぼんやりとした、怪奇的な世界がどのように実写で表現されているのか、ものすごい気になる。本屋さんで『姑獲鳥の夏PerfectBook』宝島社なんかをパラパラ見てみたけど、自分が想像している京極ワールドとは違う感じだったので(配役とか舞台とか〈写真で紹介されていたので))なおさら気になるなぁ〜。早いうちに見に行こうと画策中。

 ・・・ということで、今一度京極堂シリーズを読み返してみることにしました。今回は『狂骨の夢』

 再読すると、冒頭の朱美さんの独白による幻想的な世界からなんと気持ち悪いんだろう。その後の展開をある程度知っているから、冒頭からの一言一句に重みと深みが感じられます。

 そして、過去の記憶の曖昧さ、そのぼんやり加減が個人的には好きですし、ユング/フロイトの精神分析手法と憑き物落としという一見するとミスマッチであるものの、その複雑さ、難解さがまたいいですねぇ。

 再読して思うことは、なんと気持ち悪い世界(いやそれは人間の中に潜む「ま(魔・間)」といったものでしょうか)がこうも、その一つ一つの出来事に潜む根底のつながりを経ているのかということ。それが、難解で曖昧かつ幻想的・ぼんやりな表現の中に描かれているのか再認識いたしました。本当に台詞の一つ一つ、言葉の一字一句がおもしろい。

 水木しげる先生風に言えば「オモチロクてたまらない」といったとこでしょうか。
 

 【狂骨】胸骨は井戸の白骨なり。
     世の諺に甚しき事をきやうこつといふも、このうらみのはなはだしきよりいふならん。
                                「今昔百鬼拾遣下之巻−雨」

 そもそも「狂骨」って何者なんだろう?鳥山石燕の画を見て、水木先生の描いた絵を見ているから、「狂骨」と聞いたときひとつのイメージ(姿)として頭に「ぱっ」と出てくるけど、実態とか、出現理由とかその他色々謎だらけ・・・(@〜@)?

 

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