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信じた人々の群れは心も思いも一つにし、
一人として持ち物を自分のものだと言う者はなく、すべてを共有していた。 (使徒言行録 4:32)
このみ言葉は、エルサレムにおける最初のキリスト者共同体でどのようなものえあった、使徒言行録の著者が私たちに示している箇所の一つです。この共同体には、並外れた新鮮さと精神的活力、祈りと証し、そして特に「大きな一致」という特徴が見られました。この一致は、イエスがご自分の教会のはっきりした印、豊かさの源として望まれたものです。
洗礼の時、イエスのみ言葉を受け入れたすべの人に、聖霊が与えられました。愛と一致の霊でおられる聖霊は、復活されたイエスとすべての信者とを一つにして下さいました。
信じた人々の群れは心も思いも一つにし、
一人として持ち物を自分のものだと言う者はなく、すべてを共有していた。 (使徒言行録 4:32)
それでは、この一致について、さらに詳しく見てみましょう。
聖霊は何よりもまず、信者の間に心と考えの一致をもたらし、生き生きとした兄弟的な交わりの内に、一致を困難にしているさまざまなな感情を乗り越えられるよう助けてくださいました。
実際、一致を妨げる大きな要因は、私たちの個人主義です。それは自分の考えやものの見方、やり方に対する執着です。
この自分本位の姿勢から、壁が生まれ、私たちを互いに孤立させ、異なる人々を排斥するようになってしまうのです。
信じた人々の群れは心も思いも一つにし、
一人として持ち物を自分のものだと言う者はなく、すべてを共有していた。 (使徒言行録 4:32)
聖霊の働きによって生まれる一致は、おのずと信者の生活に、具体的に表れていました。貧しい兄弟や姉妹と富を分かち合うことによって、心と考えの一致が具体的名連帯となって表れたのです。その一致は本物だったので、共同体の中では、一方で豊かな生活をする人々がいながら、他方では必要なものにも事欠ける人々がいる、ということは、考えられませんでした。
信じた人々の群れは心も思いも一つにし、
一人として持ち物を自分のものだと言う者はなく、すべてを共有していた。 (使徒言行録 4:32)
では、今月のみ言葉をどのように生きることができるでしょうか。このみ言葉の内には、イエスが心から望まれた、交わりと一致が浮き彫りになっています。その実現のために、イエスはごj分の霊である聖霊を私たちに与えてくださいました。
ですから、聖霊の声を聞きながら、あらゆる面で、この交わりにおいて成長するよう努めましょう。私たちの心の中にある分裂の芽を乗り越えることにより、特に霊的な面で成長しましょう。私たちがイエスに結ばれていることを望む一方で、個人主義的に振舞ったり、各々が身勝手に行動したり、裁きあい、排斥し合ったりして、分裂するなら、それは矛盾していることになります。私たちが一致することを望んでおられる神様に、立ち戻る必要があるでしょう。
また今月のみ言葉は、「キリスト教の信仰」と「自己中心的な富の使い方」の間にある矛盾を理解する助けとなるでしょう。そして、私たちができる範囲で、貧しい人々と真の連帯を生きるよう、助けてくれます。
「キリスト教一致祈祷週間」が行われる今月、私たちはこのみ言葉に促されて祈りを捧げます。そして、諸キリスト教会の兄弟姉妹との「一致の絆」と「分かち合う愛」を強めることができるでしょう。私たちは、唯一の信仰と、洗礼の時に受けた唯一のキリストの霊を、この兄弟たちと共有しているのです。
キアラ・ルービック
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いのちの言葉☆
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カトリック教会によく置いてある毎月出ている「いのちの言葉」を紹介します。イタリアで発祥した運動が世界の教会に広がりました。
故ヨハネ・パウロII世(前教皇)も良く出席され愛されたそうです。
原文のまま、以下に紹介致しますので、ご参考になさってください。
ガブリエル☆♪
隣人を自分のように愛しなさい。
(マタイ22:39)
このみ言葉は、旧約聖書(レビ記19:18)の中にもみられるものです。
イエスを試そうとして質問をした人に対し、イエスは、神の掟を探求してきた旧約の預言者たちとユダヤ教の教師たちの教えを用いて、お答えになりました。実際、当時のユダヤ教の教師、ヒレールは次の言葉を残しています。「自分にしてもらいたくないことは隣人にもしてはならない。これこそ律法を全うする掟である。他のことは、これの説明に過ぎない」と。
ユダヤ教の教師たちは、隣人への愛は、神さまへの愛から生まれるもの、と捉えていました。神さまは人をご自分の似姿に造られたからです。神さまから造られたものを愛さずに、神様ご自身を愛することはできないわけです。これは「なぜ隣人を愛するのか」に対する真の答えであり、「律法の中でも、すべての人にあてはまる偉大な教え」とされていました。
イエスはこの教えを強調しながら、次のようにおっしゃいます。「隣人を愛しなさい」という掟は、「心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くして神を愛しなさい」という最も重要な第一の掟と同じくらい大切だ、と。こうしてイエスは、二つの掟をしっかりとひとつに結ばれ、これはキリスト教の中で変わることなく継承されていきました。使徒ヨハネも次のように簡潔に記しています。「目に見える兄弟を愛さないものは、目に見えない神を愛することができません。」(ヨハネの手紙14:20)
隣人を自分のように愛しなさい。
さて、福音全体がはっきりと語っているように、『隣人」とは、男性、女性、友人、敵の区別なく、すべての人を指します。私たちはその一人ひとりを尊重し、大切にし、敬う必要があります。隣人への愛は「普遍的」であると同時に「個人的」なものです。この愛は「すべての人」を包み込むものであると同時に、「自分のすぐそばにいる人」に対して、具体的に表されるものだからです。
しかし、これほどの広い心を私たちに与えてくれるのは、誰でしょうか。自分とは全く関係のない人々をも、「隣人」すなわち「自分に近い人」として感じ、自愛心を乗り越えて、相手を自分のように愛することを可能にする慈しみの心を、私たちは誰から受け取ることができるでしょうか。
その愛は、神さまからいただく賜物です。いえ、むしろ、神さまの愛そのものと言えるでしょう。「わたしたちに与えられた聖霊によって、神の愛がわたしたちの心に注がれている」(ローマの信徒への手紙5:5)と記されている通りです。
この愛は、一般的に言われる愛とは異なり、単なる友情や博愛を指すのではありません。これは、洗礼の時以来私たちの心に注がれている愛で、神さまの命、三位一体の命そのものだと言えるものです。私たちは、この愛にあずかって生きることができます。
愛こそ、すべてです。しかし、この愛をよく生きるためには、それがどのような特徴を備えているか、知っておく必要があるでしょう。福音や聖書からその特徴を汲み取ることができ、いくつかの要点にまとめることができます。
第一に、イエスはすべての人のために命を与え、すべての人を愛されました。それによって、真実の愛とは、すべての人に向けられるものであることを教えてくださったのです。この愛は、わたしたちがよく抱くような人間的な愛とは異なります。私たちの愛は、家族や友達、近所の人など、一定の人に限られることが多いのですが、イエスが教えてくださった真の愛は、人を分け隔てしないものです。この人は感じいい、あの人はいやだ、きれいだ、見た目がよくない、大人だ、子供だ、というふうに区別しません。この愛の前では、自国の人、外国の人、自分の教会、他の教会、同じ宗教、違う宗教の人、などという見方はなくなります。皆を愛する愛だからです。私たちもこのように、すべての人を愛してみましょう。
また、真の愛は、自分から先に愛するものです。
普通私たちは、自分を愛してくれる人を愛するものですが、この愛は相手から愛されるのを待つことなく、自分の方から一歩を踏み出します。私たちがまだ罪びとであったとき、つまり、まだ愛することをしていなかった時に、御父は私たちを救うため、御子を送ってくださいました。
ですから「すべての人」を愛し、「自分から先に」愛することです。さらに、真の愛は、隣人一人ひとりの中に「イエスを見る」ものです。イエスは最後の審判のときに、私たちにおっしゃるでしょう。「あなたはそれを私にしてくれた」(マタイ25:40)と。私たちが隣人に対して善いことをしても、悪いことをしても、イエスはこうおっしゃるでしょう。
また、真の愛は、友を愛するだけでなく、敵をも愛します。敵に善を行い、その人のために祈ります。
そしてイエスは、ご自分が地上にもたらされた愛が、「相互のもの」となるよう望んでおられます。私たちが互いに愛し合い、一致に至るように、です。
以上のような愛の特徴は、今月のいのちの言葉を理解し、それを生きるための助けとなるでしょう。
隣人を自分のように愛しなさい。
確かに、真の愛は、他の人を自分と同じように愛するものです。これを文字通り生きてみましょう。隣人を自分と同じように考え、自分に対してするであろうことを、相手にもしてあげることです。真の愛は、苦しむ人と共に苦しみ、喜ぶ人と共に喜び、相手の重荷を共に担うことを知っています。それは、聖パウロの言葉を借りれば、愛する相手と自分を一つにすることです。ただ感情的で言葉だけの愛ではなく、具体的な行いを伴う愛です。
他の宗教を持っておられる方も、このように生きることができるのではないでしょうか。「黄金律」と呼ばれる教えは、あらゆる宗教の中に見られ、「自分にしてもらいたいことを、他の人にもしてあげなさい」と教えているからです。ガンジーも大変シンプルな言葉で分かりやすく、これを説明しています。「私があなたに悪を行うなら、自分自身を傷つけることになる」
では、今月は、隣人への愛を改めてよく生きるよう努めてみましょう。隣人といっても、実にさまざまな人が含まれます。近所の人、クラスメート、友達、親戚の人などもそうですし、世界中で苦しみにさいなまれている人々も入ります。彼らは、戦争や自然災害の地から、テレビを通じて私たちの家に運ばれてくる「隣人」です。一昔前ならば、自分とは関係のない、遠い国の人たち、と思って終わっていたことでしょう。でも今は、彼らも、私たちの隣人となったのです。私たちに何ができるかは、時に応じて、愛が教えてくれるでしょう。こうして、私たちの心は少しづつ、イエスの心の大きさにまで広げられていくでしょう。
キアラ・ルービック
*フォコラーレの創立者キアラ・ルービックが、2008年3月14日に帰天した後、彼女が過去に残した解説を「いのちの言葉」として取り上げます。今月の言葉は、1999年10月に発表されたものです。
*いのちの言葉は聖書の言葉を黙想し、生活の中で実践するための助けとして、書かれたものです。
いのちの言葉の集い
東京近辺の各地でいのちの言葉を読み、生活の中で実践した体験の分かち合いをしています。ご興味のある方は下記までご連絡ください。
連絡先
フォコラーレ:03-3707-4018/03−5370−6424
E-mail:tokyofocfem@ybb.ne.jp
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