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Pope John Paul and Mother Teresa - Message to Seminarians and Priests 故・ヨハネパウロII世教皇はわたしの霊父です☆ わたしが最も敬愛するローマ教皇でもあります。 マザー・テレサ、無償の愛の聖人ですよね。
みなさん、この聖動画を十分堪能なさってください☆♪ 信仰の養成にもGood
最後に素晴らしいお祈りがあります。聖母マリアさまの聖なる聖心☆(御心)の光の素晴らしさがイラストで示されています。ガブリエルは毎朝、自らの身体をお捧げしています。神に感謝☆
キリストに賛美!!!☆☆☆♪♪♪
☆☆☆主の平和教会☆☆☆
司祭 ガブリエル☆☆☆♪
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聖人、福者、教会の教父たち☆
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フランシスコ・サレジオ
以下、フリー百科事典からの引用です。
フランシスコ・サレジオ出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
フランシスコ・サレジオ(イタリア語 Francesco di Sales (Salesio), フランス語 François de Sales, 1567年8月21日 現フランス・アヌシー近郊・トラン=グリエール Thorens-Glières サール城 château de Sales - 1622年12月28日)はカトリック教会・聖公会の聖人。ジュネーヴ(現スイス)の司教。 17世紀の宗教改革の困難な時代にあって、カトリック教会の司牧者として大きな働きをした。
生涯 [編集]サレジオはイタリア語で「サール(地名) Sales の」という意味。現代イタリア語ではフランチェスコ・ディ・サレスとするのが一般的で、フランス語読みではフランソワ・ド・サールとなる。当時の南フランスからスイス、北イタリアはサヴォイア家の領土であった。彼はサヴォイア地方の貴族の家に生まれ、自由学芸を修めたあとでアヌシーや名門パリ大学で法学を学んでいたが、周囲の期待を裏切り、世俗の栄達を捨ててカトリック司祭になる道を選んだ。
宗教改革期、ジュネーヴはカルヴァン派の拠点となっていたため、カトリックのジュネーブ司教は(現南フランスの)アヌシー滞在を余儀なくされていた。この時代にジュネーブ司教となったフランシスコは、困難な状況にあっても熱心な説教やわかりやすく書かれた著作によって活躍し、優れた精神的指導者として名声を得た。1610年には霊的指導者をしていたシャンタルの聖フラシスカと共に女子修道会「聖母訪問会」を設立した。
1622年12月28日、サヴォイア公の随員として訪れたパリで客死。長く活躍したアヌシーに葬られ、今でもその墓がアヌシーにある。1661年、列福。1665年、列聖。1877年にはピウス9世によって「教会博士」とされた。
サレジオ会 [編集]19世紀、北イタリアのトリノで活躍した司祭ヨハネ・ボスコは自らの修道会の名前をフランシスコ・サレジオにちなんでサレジオ会とした。これはフランシスコがサヴォイアゆかりの聖人であるだけでなく、彼の柔和な人柄、著作による宣教活動、貧しい人々への共感などにヨハネ・ボスコが大きな影響を受けていたからであった。
(転載させて頂きありがとうございます)
さて、
このサレジオの「信心生活入門」をサレジオ会の浦田慎二郎さんが翻訳され、一部引用して「カトリック生活」2010年4月号に書かれた”フランシスコ・サレジオと共に歩む神への道〜第35回道のり32焦らず、落ち着いて、仕事を行うこと〜)に書かれた中から、サレジオの美しいたとえを紹介します。
「小さな子供が片手でお父さんの手をしっかりつかみ、もう一方の手で生垣のイチゴや桑の実を摘む、あなたも同じようにふるまいなさい。一方の手ではこの世の財を集めながらも、もう一方の手は天の御父の手をつかみ、時々彼のほうを向き、自分の仕事や用事が彼に喜ばれているか様子をうかがうのです」
(神に感謝!!!☆☆☆)
(転載させて頂きありがとうございます)
なお、「信心生活入門」について以下のブログも
ご参照ください。
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