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11月4日
北谷のホテルのベランダで、
ぶんぶんうるさい戦闘機2機と大きいの2機を見てたら、
午前中が過ぎてしまい、あわてて出かけました。
今回は嘉手納はスルー。
行かなくてもぶんぶんやってるのは十分見たし、なんたって時間がない。
向かった先は、高江です。
高江は遠かった〜!
高速をひたすら北上、許田から名護市内を北に抜けて、
屋我地島を左に見ながら、先日セスナが落ちたところを通り過ぎて、
まだまだ北上、そして大塩湾で右折しました。
やんばるの森に近いですね。
今もまだ恐怖の中で隠れている人がいるのではないか・・・という錯覚にとらわれました。
東海岸にでてさらに北上。
米軍北部訓練場の中を走るような感じで70号線を走っていたら、
途中から道端に手書きのいろんな看板が・・・。
それを見て「おお近いぞ!」てなもんで。
***
N4テントで受付をして、その先のテント(N1かな?)に行って、
話を伺いました。
高江の森は、戦争でやられたものも多いけど、その植樹したわけではなく
自然に育った木々であること。
ヤンバルクイナ、ノグチゲラがいることはご存知の通り。
平らなヘリパッドは今もある。
なのに、もっと背の高いいいものを作ろうとしているのです。
反対運動は、辺野古と同じで非暴力です。
それがおきなわのやり方。
やられてもやられても、何度も何度もやる。
今日負けても、明日勝つ。
今日やられたら、明日はもっと人が来る。
什器や機材を搬入できる道のある、いくつかのゲート前で座り込みが続いています。
すでに1年が過ぎました。
N4テントに戻ると、人が増えていました。
話をしたら、8月に国会前で伝言を預かったのだけど、辺野古でお目にかかれなかった方でした。
なんという偶然。
「また、来ます。でも本当は、その時はこのテントがなくなっているといいですね。」
「そうね、でもそうしたらきれいな海を見に来てちょうだい。」
「もちろん基地がなくなっても来ます。高江も辺野古もまた来ます。」
「ぜったいよ。」
「はい。いつか大浦湾に潜りましょう。」
・・・そして今度は一目散に南下。南下。いそげ、いそげ。
***
辺野古に着いたら16:10。
ちょうど片づけの最中でした。
しかしラッキーなことに、この後長野県の航行の修学旅行がやってくるので、
2人の人が残って待っているとのこと。
修学旅行生が来るまで話をしました。
「ハマで礼拝したのは初めてだったなー」とおっしゃっていました。
青年たちの報告会などの話もしました。
私が傍聴に行っている外交防衛委員会の審議、特に山内徳信議員(元読谷村長)の質疑を、
おじいたちもテレビで見たそうです。
それから数日前まで来ていた妙法寺の上人の話も。
「タケダ(妙法寺の武田上人)さんたちは、
私たちが大切にしているものを知っていて、それを大事にしてくれる。」
イエスさまも、きっとそうだった。
・・・
5時に修学旅行生がバス4台でやってきました。
少しだけ一緒に辺野古の活動の話を聞きました。
私たちの活動は非暴力です。
木を切らないで、と切ろうとしている木に抱きつくのと同じ。
やぐら(とおっしゃったと思います)と自分の身体を鎖でつないで、
それに鍵をするんです。
そうして、やめてくださいと・・・、そういう活動をしてきました。
「非暴力」ということを考える旅でした。
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