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JAY-Z
ビギー(Notorious B.I.G.)亡き後に残された唯一のBrooklyn's FinestにしてKing of NY。10代でラップを始めると共に、ドラッグディーラー業で資金を稼いではジャズ・Oと共に活動していた初期のころや、ニュースクール時代に在籍していたオリジナル・フレイバー(Original Flavor)での努力に見合わないアンダーレイトさに嫌気が差し、デイモン・ダッシュ(Damon Dash)らと共に自らレーベル"Roc-A-Fella Records"を設立することを決意。Priorityからの配給を確保すると、ソロデビューアルバム"Reasonable Doubt"('96)をリリース。リリース当初のセールスこそはたいした物ではなかったが、ヒップホップクラシックのシングル"Dead Presidents / Ain't No Nigga"のじわりと後効きしてくるヒットや、"Can't Knock the Hustle"、"Feelin' It"などのヒットシングルに後押しされて、結果としてプラチナムアルバムに認定されるまで売り上げた。
続く2ndアルバム"Volume 1... In My Lifetime"('97)は、ビルボードアルバムチャート3位まで駆け上り、rdアルバム"Volume 2... Hard Knock Life"は遂にチャート1位を獲得。タイトルにもなった"Hard Knock Life (Ghetto Anthem)"は、45Kingがプロデュースした大ヒットシングルで、ミュージカル"Annie"のサントラからサンプリングしているという点で、スタイル的にもセンセーショナルな1曲だった。さらに"Can I Get A..."などのヒットが続き、500万枚以上のセールスを記録。この時点でジェイは完全に押しも押されぬトップアーティストとなった。
その後もプレミア(DJ Premier)との"So Ghetto"やティンバランド(Timbaland)プロデュースの"Big Pimpin'"などの大ヒットを生んだ"Volume 3... The Life & Times Of Shawn Carter"('99)、"I Just Wanna Love U (Give It To Me)"でネプチューンズサウンドの更なるブロウアップを引き出した"The Dynasty Rock La Familia 2000"('00)とマルチ・プラチナムセールスを記録し、2001年の"Blueprint"ではカニエ・ウェスト(Kanye West)プロデュースの傑作"Izzo (H.O.V.A.)"やスリック・リック(Slick Rick)等をゲストに迎えた"Girls, Girls, Girls"などの、エポックメイキングなサウンド満載のアルバムをリリース。MTVの名物企画番組"Unplugged"にザ・ルーツ(The Roots)を従えて出演するなど、サウンドもアクションも全て革新的だった。
2002年にはR.ケリーとのプロジェクト"The Best of Both Worlds"をリリース。時の二人の共演とあって、こちらも当然ひっとし、その後にリリースされた"The Blueprint 2: The Gift And The Curse"はなんとCD2枚組みの超大作。直前からゴシップが持ち上がっていたビヨンセ(Beyonce)とのデュエット"'03 Bonnie & Clyde"やネプチューンズの新境地"Excuse Me Miss"などがヒット。Roc-A-Fella Recordsも既にメンフィス・ブリーク(Memphis Bleek)やビーニー・シーゲル(Beanie Sigel)等の若手が成長し、レーベルとしても業界全体に影響を与えるまでに成長していた。
が、『初めから計画していたことさ』と「次のアルバムを最後に引退」を宣言。2003年末にリリースした"The Black Album"をリリースすると、"Change Clothes"や"Encore"、"99 Problems"をシングルカットするが、形上は宣言どおりに引退。ビジネス方面のニュースのほうに頻繁に名前を出すようになった。が、別名義でのソロ活動をするのでは?という噂も常に絶えず、「引退」してもなおシーンの渦中の存在であることは変わらないようだ。
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