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私は、実はあまり山口県が好きでなく、活気がある大都会の方が好きでした。
だけど、山口県出身の方で今は県外にお住まいで、ブログをされているトントンさんが
この間山口県に帰られ、「地元はやはりいいなあ。山口は好きだ」と書いておられました。
私のブログはトントンさんにとっては故里みたいだと言うコメントもくださったのです。
それなのに、山口県を好きじゃないと言って、あまり地元を紹介していなかった自分を反省しました。
私自身山口県をどれだけ知っているか。
考えてみれば、ほとんどよく知らないことに気付きました。
知らずに好きじゃないなんて言っていた自分を本当に恥ずかしく思いました。
山口県のいい所を地元に住んでいる私たちが生き生きと紹介しなくて、誰が山口県に魅力を感じるでしょう。
宮崎県は東国原知事が宮崎県を活気のある県にしています。
そんな知事が山口県からも出ないかしらと思っていましたが、県民一人一人がどれだけのことが出来るのか、それが大事なのですね。
これからは、私が住んでいる山口市を中心に、県内のいい所を皆さんい紹介し、山口県が少しでも魅力のある県だと感じていただければと思っています。
と言うことで早速山口市の「菜香亭」へ行ってきました。
菜香亭は今から128年前に料亭として開業されました。
菜香亭と言う名前はここをひいきにしていた井上馨が命名したのです。
増改築を繰り返しながら、時代時代の主役を迎え、山口市の歴史の舞台に登場します。
明治期には伊藤博文を迎えて毛利敬親の法要や、井上馨の還暦祝賀会が催されています。
料亭としての菜香亭は政治の場としての顔も持っていて、政治家らが数多く出入りし、とりわけ「佐藤派の根城」として有名でした。
佐藤栄作元首相のノーベル平和賞祝賀会が開かれたのも、ここ菜香亭でした。
時代とともに、利用形態も変わってきた菜香亭ですが、平成8年料亭としての歴史に幕を閉じた後は多くの市民活動の場として利用されています。
この桜は菜香亭の桜ではありません。
山口市のS邸宅の桜です。見事な枝垂桜でS氏の計らいで桜の季節には見物できるように開放されています。
菜香亭です。
152畳の大広間があり、そこには初代総理大臣伊藤博文、木戸孝允、山縣有朋、田中義一、岸信介、佐藤栄作と山口県出身者の扁額が並べられています。
県外の元総理としては、田中角栄、竹下登の扁額もあります。
木戸孝允
攘夷派のリーダー
西郷隆盛らと薩長同盟を結ぶ
西郷隆盛、大久保利通とともに明治維新三傑の一人と呼ばれた
きよきことみずのごとく
たいらかなることはかりのごとし
書は、宋史の清廉で公平な役人を褒めた言葉を引用
伊藤博文
松下村塾に学び、桂小五郎(木戸孝允)に従い尊皇攘夷派運動に加わる
明治18年内閣制度を創設し初代内閣総理大臣になる
いっかのてんち
おのずからしゅんぷう
書は、菜香亭に居ると、春風に吹かれたような心地良い気持ちになるというような意
山縣有朋
明治22年、3代目内閣総理大臣
こうざんかつじょ
書は、山野が広くひらけているさま。
転じて、心が寛ぐという意
地元新聞に取り上げられたほどの評判の書
佐藤栄作
昭和49年ノーベル平和賞受賞
昭和39年、首相に就任、派閥均衡人事で指導力を発揮、7年8ヶ月の長期政権を担う。
どくざだいゆうほう
(今此処に独り在ることが最も不可思議)
田中角栄
新潟県出身
1972年〜1974年総理大臣
竹下登
島根県出身
1987年〜1989年総理大臣
菜香亭に展示されている書の中では最も新しい
山口県は多くの総理大臣が出ています。
佐藤栄作元総理大臣のように7年8ヶ月の長期政権を担った大臣もいれば、あっという間に突然総理を辞任した安倍元首相もいます。
しかし、佐藤栄作がノーベル平和賞をとった時は子供心に驚きました。
未だに、なぜ佐藤栄作が平和賞をとったのかよく分かりません。
マザー・テレサもノーベル平和賞をとりましたが、これはよく理解できます。
が、なぜ佐藤栄作なんでしょうか・・・・ともあれ、平和賞をとったことは喜ばしいことです。
菜香亭はとても落ち着ける場所でした。
山口県の歴史、日本の歴史と歩んできたような菜香亭です。
当時使われていた、食器類も保存されていて、何でも鑑定団に持って行けばいい値がつきそうな器も数々ありました。
時々、これから県内の紹介をしていきます。
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