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桜井よし子 |

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原節子
本名「会田昌江」 映画の中の題名で使った原節子をそのまま後・芸名に使用した。 存在自体が才能である。たぐいまれな映画女優であった。 ようするに突っ立てるだけで絵になっていた。 彼女は1920年大正9年横浜で7人きょうだいの末っ子として生まれた。 小さい頃はお転婆で成績はよく数学と体操の好きな女の子であった。 子供の頃から映画には関係があった。義理の兄が映画の仕事をしていた。 関係でこの世界に入ったらしい、 彼女14歳で「ためらふ勿れ若人よ」でデビューウする。 この時の主人公が原節子であった。その約名をのち使用した。 原節子誕生である。 後に原節子さんは切っても切れない関係の小津安二郎監督と出会う。 映画題名「晩春」である。その時原節子29歳であった。 この映画で婚期を逃がした娘役を演じた。 彼女のいままでの役柄はお嬢様やくだった。人気をいやがうえにも 高めたのはお嬢様役であった。 これとまったく違う役を演じさせたのが小津監督であった。 小津は後にも「東京物語」に戦争で失った寡婦役を原節子に演じさせた、(未亡人)である。 東京物語では東山千栄子と笠智衆が、私も覚えているが、熱海の海岸の土手で語り合う二人 今でも印象に残るシーンである。 小津安二郎は1963年12月12日自分の誕生日60歳で亡くなった。 原節子は遺体にとりすがって号泣したそうです。 それ以後原節子も映画に出る事はなかった。 世間からも姿を隠し一人の女性として会田昌江と生きた。 *完* |
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原節子
本名「会田昌江」 |
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