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平成25年度の始まりです。
朝は天気が良かったので、いつもより30分早く家を出て、
和歌山城を散歩してから出勤することにしました。
いやあ、やっぱりお城と桜は合いますねえ
新しい仲間と始める平成25年度がいい感じになりそうな気がしてきました。
歩いていたら、なんと向かいから同僚が歩いてきます。
彼も桜を見に来たとのことで、みんな考えることは同じですね。
そして、県庁の横を通ったら、ここにも桜。
これまたいいですねえ
奥に見える銅像は和歌山のヒーロー、濱口梧陵さんで、ヤマサ醤油の7代目ですが、政治家でもあります。
どんな方かと言うと・・・以下が広川町HPからの抜粋です。
濱口梧陵は広村(現在の広川町)で分家濱口七右衛門の長男として生まれ、
12歳の時に本家の養子となり、銚子での家業であるヤマサ醤油の事業を継ぎました。
安政元年(1854)、梧陵が広村に帰郷していた時、突如大地震が発生し、 紀伊半島一帯を大津波が襲いました。
梧陵は、稲むら(稲束を積み重ねたもの)に火を放ち、この火を目印に村人を誘導して、 安全な場所に避難させました。
しかし、津波により村には大きな爪あとが残り、この変わり果てた光景を目にした梧陵は、
故郷の復興のために身を粉にして働き、被災者用の小屋の建設、農機具・漁業道具等の提供をはじめ、
各方面において復旧作業にあたりました。
また、津波から村を守るべく、長さ600m、高さ5mの防波堤の築造にも取り組み、
後の津波による被害を最小限に抑えました。
梧陵は、他の分野においても優れた才能を発揮しました。 教育面では、江戸時代末期に濱口東江、岩崎明岳とともに私塾を開設し、
剣道や学業などの指導にあたりました。
この私塾は後に「耐久社」と呼ばれ、変遷を経て現在の耐久中学校になっています。
明治4年(1871)に梧陵は大久保利通の命を受けて駅逓頭に就任したのをはじめ、 明治12年(1879)には和歌山県議会初代議長に選任されました。
明治18年(1885)梧陵の長年の願いであった欧米への視察途中、ニューヨークにて永眠しました。 ということで、すばらしい方なんです。
村民を津波から守ったということで、東日本大震災の後は特に注目されました。
散歩をして爽やかな気持ちで出勤し、新しい仲間を迎えてわが課もスタートを切りました。
みんなで頑張ります。
夜は歓迎会。
会場まで夕方の和歌山城と桜を楽しみながら歩いて行くことにしました。
夕方もいいです。
一次会を居酒屋で楽しんだあと、二次会は夜桜を見に再び和歌山城へ。
コンビニで缶チューハイとワインとおつまみを買い込んで、GO
いやあ、盛り上がりました。夜桜もいいですねえ。
日本人でよかった。
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2013/4/2(火) 午後 10:54 [ uls**ob3z4*z35 ]