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< 人間の土地 > 小野 十三郎
夕もやの中に
灯がついた。
むさし野のぼうばくたる海の。
それはわれらに
生きることの希望をもたせるに充分だ。
十何年か前、やはりこんな夕暮。
同じ旅装で
俺は池袋東上線のホームに立っていた。
死と暗黒の年。
周囲をみまわしてもだれもいない。
大声でよんでもだれもこたえない。
東京はしんとして
なかまというなかま。
ともだちというともだちが
みな消息をたって
生死も不明になったときだ。
あの時も俺はここから
夕もやの中に ぱっとついたこの灯を
見たような気がする。
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小野十三郎は1903年(明治36年) 大阪市浪速区新川町に生まれました。
父親は寺町筋にて大きな老舗花屋を営む裕福な家庭だったそうです。
幼年期の3歳から小学5年生(10歳)まで、大和郡山在の親戚の家に預けられて養育されたそうです。
大正5年(14歳)の時、天王寺中学校に入学して、中学四年生の頃より詩作を始めたそうです。
大正10年(19歳)の時 単身上京され、東洋大学に入学しましたが わずか8ケ月にて中退しました。
中退後も父親からの仕送りを受けながら詩作を続けたそうです。
大正12年(21歳)の時 アナキスト詩人の拠点となった詩誌「赤と黒」に参加。
以後 アナーキシズム詩の運動をつづけました。
昭和8年(31歳)の時 妻子とともに大阪に戻り、大阪の重工業地帯に詩集「大阪」を発表され、
独自の詩風を確立されたそうです。また吉本興業の文芸部に所属して漫才の台本を執筆された
こともあったそうです。
戦後は 大阪文学学校を創設して30年以上も校長として、小説や詩・児童文学の講座を開設。
大阪における文学の大衆化や市民平和運動に指導的役割を果たされたそうです。
<人間の土地>は昭和27年に刊行された小野十三郎の第七詩集「火呑む欅(ケヤキ)」に収録
された作品です。作者は戦時中に造船所に徴用され、暗い戦争の絶望的な状況のなかでも詩を
書き続け 強靭な精神を培っていったそうです。
戦争が詩の世界にも暗い大きな翳りを投げかけたことから、それ以降の詩のテーマに戦中・戦後の
世相をあつかった作品を多数つくられました。
<人間の土地>からは、戦争によって無残に焼野原になってしまった都会の状況をみつめる作者の
鋭い眼差しと、平和を希求するつよいメッセージが伝わってきます。・・・
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そうですね。
「パッと付いた灯」が象徴的です。
名前は存じあげておりましたが、詳しいことは知りませんでした。
なるほど、の思いです。
ポチン☆彡
2011/5/5(木) 午後 0:03
文学がお好きなんですね。 旧制の天王寺中学は、今の天王寺高校ですね。 大阪では有名な進学校ですね。 私も天王寺区の公立の進学校に通学してました。
2011/5/7(土) 午前 0:29
私のお休み中の記事だったんですね。
小野十三郎先生には、大阪時代、お世話になりました♪
あ、25歳だった@@;(爆)
懐かしいお名前に、ついコメントしてしまいました。
今頃ごめんなさい。
2011/5/14(土) 午前 9:41