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『だれがほんとを』 金子みすゞ
だれがほんとをいうでしょう、
わたしのことを、わたしに。
よそのおばさんは ほめたけど、
なんだかすこうし わらってた。
だれがほんとをいうでしょう、
花にきいたら首ふった。
それもそのはず、花たちは、
みんな、あんなにきれいだもの。
だれがほんとをいうでしょう、
小鳥にきいたら にげちゃった。
きっといけないことなのよ、
だから、いわずにとんだのよ。
だれがほんとをいうでしょう、
かあさんにきくのは、おかしいし、
(わたしは、かわいい、いい子なの、
それとも、おかしなおかおなの。)
だれがほんとをいうでしょう、
わたしのことを わたしに。
金子みすゞ 「わたしと 小鳥と すずと」 より
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詩と想い出
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『身過ぎ』 中原 中也
面白半分や、企略(たくらみ)で、
世の中は瀬戸物(せともの)の音をたてては喜ぶ。
躁(はしゃ)ぎすぎたり、悄気(しょげ)すぎたり、
さても世の中は骨の折れることだ。
誰も彼もが不幸で、
ただ澄ましているのと騒いでいるのとの違いだ。
その辛さ加減はおんなしで、
羨(うらや)みあうがものはないのだ。
さてそこで 私は瞑想(めいそう)や籠居(ろうきょ)や信義を発明したが、
瞑想は いつでも続いているものではなし、
籠居は空っぽだし、私は信義するのだが
相手の方が不信義で、やっぱりそれも駄目なんだ。
かくて無抵抗となり、ただ真実を愛し、
浮世のことを恐れなければよいのだが、
あだな女をまだ忘れ得ず、えェいっそ死のうかなぞと
思ったりするーーそれもふざけだ。辛い辛い。
*籠居・・・謹慎などして、家の中にとじこもっていること。
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詩人・中原中也は 1937年(昭和12年)に 満30歳の若さで夭逝されましたが、代表作の『山羊の歌』や『在りし日の歌』等に収録された作品も含めると 350篇以上もの詩を残されました。
作品『身過ぎ』は 1929年(昭和4年)、中也 22歳の時につくられた詩ですが、ノートに書き残された未発表詩篇のなかの一篇です。
『身過ぎ』とは、「身過ぎ世過ぎ」の身過ぎのことで、一般には生活とか生計の意味ですが、中也のこの作品の場合には 詩人としてのあるべき生計といった意味合いかとおもわれます。
さてさて 中也は作品 『身過ぎ』のなかで 当時の真っ直ぐな心情を吐露されているようにおもわれますが、それだけに発表に躊躇されたのではないかとも推測されます。・・・・
それにしても <・・・ あだな女をまだ忘れ得ず、・・・・辛い辛い。>
・・・・いつの世も 世のオトコたちは いつまでも かって恋した女性を忘れられないのでしょうか、・・・・・。
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『秋の消息』 中原 中也
麻(あさ)は朝、人の肌(はだへ)に追い縋(すが)り
雀(すずめ)らの、声も硬(かと)うなりました
煙突の、煙は風に乱れ散り
火山灰(かざんばい)掘れば氷のある如(ごと)く
けざやけきこう気の底に青空は
冷たく沈み、しみじみと
教会堂の石段に
日向(ひなた)ぼっこをしてあれば
陽光(ひかり)に廻(めぐ)る花々や
物陰(ものかげ)に、すずろすだける蟲(むし)の音(ね)や
秋の日は、からだに暖(あたた)か
手や足に、ひえびえとして
此の日頃(ひごろ)、広告気球は新宿の
空に揚(あが)りて漂(ただよ)へり
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秋が深まり、枯葉が舞う季節になると、やわらかな陽ざしのなかに
中原中也の詩がおもいだされます。
中原中也の『秋の消息』の作品は、闘病中の中也が友人・小林秀雄に託した『在りし日の歌』に収録された詩です。
中原中也は夭逝された長男を追うようにして、1937年に満30歳の若さで逝去されたのですが、中原中也の代表作品『在りし日の歌』は翌1938年に刊行されました。
中原中也の数多くの作品からは、人生の機微に触れた哀惜や憂鬱・喪失感がつたわってくるのですが、それでいて秋の陽光のように心の深いところに響きます。
秋の日のやわらかな陽ざしにつつまれながら 『在りし日の歌』の本をひらくと、教会堂の石段にて日向ぼっこしている ちょっとさびしげな
若い天才詩人の横顔がおもいうかんできます。・・・・
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『無色透明』 白河 左江子
無色に生まれて
色づいていく
赤く
青く
黄に
いつか混り合い
一つの色が出きあがる
透明に生まれた
そのときから
透明度は薄れていく
隅から
底から
真ん中から
犯されて犯されて
何も見えなくなるまで
止まることなく
無色になるまで
皆 同じように
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白河左江子さんは岡山市在住にて日本現代詩人会会員の方です。
作品 『無色透明』 は、2013年1月に刊行された 白河左江子詩集/
『地球に』 に収録された第一章の巻頭作品です。
『地球に』 の帯文には 同名の作品の冒頭の詩文が綴られています。
地球に生まれて
地球で死ぬ
人間の命をつないで線にして
太く長くと暖めて
子孫を絶やさないために
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『無色透明』 の作者は <人間は透明に生まれて、そのときから 透明度は薄れてゆき、・・・ 何も見えなくなるまで 止まることなく ・・・ 無色になるまで 皆 同じように >と記述されています。
人間の一生は だれもが裸で生まれて、最後はまただれもが裸で死んでゆくのですから、たしかにそうした一面もあるのでしょう。
だからこそ その過程において ひとそれぞれに ひとりひとりの 豊かな個性があるようにおもいます。
白河左江子さんの最新詩集である 『地球に』 に収録された作品は
<地球に生まれて 地球に死ぬ> の冒頭の詩文に集約されている
ように ひとの生きることの尊さと 大切がしみじみとつづられていて 作者のあついおもいがつたわってきます。・・・・
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『六 月』 北原 白秋
白い静かな食卓布、(テエブルクロス)
その上のフラスコ、
フラスコの水に
ちらつく花、釣鐘草。(つりがねそう)
光沢(つや)のある粋(いき)な小鉢の
釣鐘草、
汗ばんだ釣鐘草、
紫の、かゆい、やさしい釣鐘草、
そうして噎(むせ)びあがる
苦い珈琲(コーヒー)よ、
熱い夏のこころに
私は匙(さじ)を廻す。
高窓の日被(マルキイズ)
その白い斜面の光から
六月が来た。
その下の都会の鳥瞰景。(ちょうかんけい)
幽かな響きがきこえる、
やわらかい乳房の 男の胸を抑えつけるような・・・・・
苦い珈琲よ、
かきまわしながら
静かに私のこころは泣く ・・・・・
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初夏のとある日、ものうげなひるさがりのひととき、庭のうしろの鬱蒼とした木々をみていると、青葉がかすかに風にゆれながら ひそひそと 遠い日のなつかしいおもいでを語っているようです。・・・・
北原白秋は 熊本にて生まれたのですが ほどなく福岡・柳川の本家に移り住み、若いころから瀟洒(しょうしゃ)な洋書や欧米から輸入された家具や食器に親しみ、とても洗練された詩や歌を綴られました。
でも 北原白秋はけっして西洋かぶれしていたわけではありません。
むしろ明治のあらたな気風を冷徹にみつめながら、いにしえからの
にほんのこころをたいせつになさっていたのです。
作品 『六月』 は明治四十三年六月に発表されたのですが、白秋は この作品の最終章においても、自身のふかいおもいをしずかに語っているのです。・・・・
<苦い珈琲よ、かきまわしながら 静かに私のこころは泣く ・・・・・>
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