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< 加賀藩 寺島蔵人宅のドウダンツツジ >
寺島蔵人は江戸時代中期に加賀藩に仕え、改作奉行など主に
藩の農政・財政面の実務を歴任されたそうです。
12代藩主前田斉広に認められ、藩政改革の一員として正義感
強く手腕を発揮されたそうですが、改革の途上に藩主が急死さ
れてからは藩の重臣たちから疎まれて能登島流刑となり、その
地にて波乱に満ちた生涯を閉じられたそうです。
それでも寺島蔵人の家族にはそれほどのお咎めもなく、遺族は
幕末まで加賀藩に仕えたそうです。武家屋敷・寺島蔵人宅の庭
には樹齢300年近くの見事なドウダンツツジがあります。
今年の秋も黄金色のドウダンツツジが鮮やかに色づいて、改革
途上に流刑となった寺島蔵人のおもいが偲ばれます。
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金沢慕情
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< 犀川沿いの しぼんだ葉 >
金沢の中心市街地近くを流れる犀川の両岸は格好の遊歩道と
なっていて 朝早くから夕暮れまで地元の多くの人々が 散歩をし
たり 子犬連れでたのしくあるいています。
犀川沿いには サクラの木や柳の木が植樹されていて 四季折々
うつくしく 風にそよぎ やわらかな潤いがかんじられます。
晩秋のひととき 紅や黄色の しぼんだ葉っぱが 一葉 また 一葉と
しずかに枝から離れ 風に戯れながら地上に舞い降りていました。
地上に落下したばかりの しぼんだ葉っぱは しばらくは やわらか
な陽ざしを浴びて あざやかな色彩を放っていました。・・・・
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<近江町市場の夏模様>
東京の築地市場・大阪の黒門市場・京都の錦市場・札幌の中央
市場・・・・主要な都市には 昔からその町の市民の台所として親
しまれている市場があります。
近年、それらの有名な市場には地元の人々以上に内外の観光
の方々も大勢が訪れるようなっているそうです。食文化の普及
により、本来は地元市民の台所であった市場が次第に その地
を代表する観光スポットのひとつになっているとか・・・・。
金沢市民の台所として 約290年の歴史がある近江町市場にも
年々大勢の観光客の方々が訪れるようになりました。特に本年
は北陸新幹線が開業したこともあって、近江町市場のなかはか
なり混雑するようになっています。このため元々の地元民にとっ
ては やや買い物に難儀する困った状況になってしまいました。
さて、近江町市場がもっとも活況を呈する季節は 日本海の冬の
味覚の王者のズワイカニが豪勢に並ぶ年末年始の寒い季節で
すが、でも 猛暑の夏には 夏バテに恰好のうなぎや岩カキ・・・・
それから金沢ならでの ドジョウがあります。
四季折々 金沢の中心部にて 約130店舗がひしめいている近江
町市場では、とびきり新鮮な魚介類や青果や惣菜が連日店頭を
飾っていて、全国各地からみえられるおおぜいの食通の方々の
頬もゆるみっぱなしのようです。・・・・
さてと、今夜の我が家の食卓にはどんな魚介料理が賑わって
いることでしょうかねぇ。???・・・・
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< 梅雨の季節の散策路 w坂界隈 >
金沢の市街地を流れる犀川の中ほどに架かる桜橋から寺町台
にのぼる散策路に w坂という通り道があります。
<w坂>なんて名称は、江戸川乱歩か横溝正史の推理小説に
でてくる奇怪な坂道を連想してしまいますが、この急坂の通り道
は 城下町金沢の街に馴染んでいて とても趣があります。
w坂の正式な名所は石伐坂(いしきりざか)というそうですが、
この坂がwの字を横にした形になっていたため 明治期の旧制
第四高等学校(現・金沢大学)の学生たちによって w坂と呼ば
れるようになったそうです。
文豪井上靖も四高時代によく このw坂を歩いていたようで、彼
の自伝的小説 「北の海」 のなかにも w坂を舞台とした箇所が
あります。
梅雨の季節に ちょっと勾配のある w坂をのぼりきると、寺町台
の高台から 犀川沿いにひろがる黒い瓦屋根のつらなる金沢の
中心市街地が一望できます。
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<金沢城壁沿いの名残りのサクラ・・・>
古都金沢のサクラの名所は名勝兼六園や街中の男川の
犀川沿いや女川の浅野川沿いのサクラ並木、そして金沢
の街を見下ろす卯辰山のサクラ並木等々街の四方に数々
の名所があります。
なかでも もっとも古都金沢らしい金沢城壁沿いのサクラは
江戸時代初期から何代にもわたって黙々と受け継がれて
きた武家の街ならではの華麗に開花するサクラの木々は
毎春やさしく金沢の街を見守ってきました。
春先に金沢城跡の城壁からこぼれるサクラ吹雪は いつま
でも名残り惜しく おもわれます。・・・・
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