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サン・ピエトロ大聖堂は、324年に コンスタンチヌス帝が聖ペテロの墓の上に
25年をかけてバロック様式で建てたカトリックの総本山で、
ユリウス2世が1506年から120年をかけて再建したキリスト教最大の教会です。
この間 ラファエロやミケランジェロも設計や監督に参加したそうです。
サン・ピエトロ大聖堂には、年間数百万人の巡礼者や観光客が訪れるそうですよ。
私達が行った11月下旬はあまり観光客がいない時期だったようで、
いつもより人が少なかったそうです。
いつもなら、大聖堂の中の大理石の床さえ見えない位並び、人でいっぱいだそうですよ。
そんな好条件の中で、私達は、豪華絢爛な内部装飾もゆっくりと見ることができました。
規模、装飾ともに壮大できらきらと眩いばかりの内部装飾に
私はずっと見とれてしまいました。すばらしかったあ〜〜〜。
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イタリア旅行の部屋
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面積が0.44k㎡で、日比谷公園の3倍程のヴァチカン市国は、
人口がローマ法皇と聖職者や衛兵などたったの832人(2011年7月推定値)という世界最小の独立国です。
彼らはバチカンの城壁内で生活しています。
教皇庁で働く、修道者以外の一般職員は3000人にものぼりますが、
彼らのほとんどは市国外に居住し、そこから通勤しているようです。
また100人程いるスイス衛兵もバチカン市民だそうです。
その狭い領土の中に、サン・ピエトロ大聖堂、バチカン宮殿、バチカン美術館、サンピエトロ広場などが
肩を並べていました。
ヴァチカン市国は約10億人の信者をもつカトリックの総本山で、15世紀からローマ法皇の御座所となっています。
64年にイエスの1番弟子・ペテロがネロの迫害を受けて、
逆十字架で処刑され、埋葬された墓の上に、326年にコンスタンティヌス1世によって、
最初の教会堂が建てられたのがはじまりのようです。
1029年、ローマ法皇庁とイタリア政府間で法皇の領土権を認める「ラテラノ条約」を結んで市国が独立したもので、
スイス衛兵の制服はミケランジェロのデザインと言われています。
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イタリアへの旅行が決まって、私が一番行きたかった場所が、“ポンペイ遺跡”でした。
紀元前8世紀に建設された商業都市ポンペイは、ナポリの南東23キロに位置する港町で、
紀元前4世紀に古代ローマの支配下となりましたが、その後も発展を続けていました。
それが紀元79年8月24日に、ヴェスヴィオ山が突如爆発して、街は一瞬のうちに埋もれてしまったのでした。
そのまま忘れ去られていたのですが、1748年にナポリ王のカルロ7世が発掘して当時の街が遺跡として蘇ったのでした。
昔、ポンペイ遺跡のこの話を聞き、ずっと一度行ってみたいと思っていました。
1900年も前の街なのに、街の中には馬車が通る石畳の道が整備され、
円形闘技場やアポロン神殿、野外劇場、音楽堂、公衆浴場や大邸宅がそのまま残っていました。
他には、洗濯やさん、パン屋さん、魚や肉、野菜を売る市場などもあり、
なんら今の私達の生活と基本的には変わらずのポンペイの人々の生活が見えてきました。
又、遺跡の中では、犠牲者の姿も再現されていて、
その方達の無念さが、1900年の時を越えても伝わってくるようでした。
1900年も前の街全体がこんなにリアルな形のままで再現されているのには、驚きました。
この場所にいた時には、まるで自分がこの時代にタイムスリップしたかのような気分にもなれましたよ。
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お久しぶりです。
今日はこれから益々寒くなるようですね。
日本海側の地域は大雪の予報です。
クリスマスの日に真っ白な雪。。。というのも見てみたい気はしますが・・・
やはり寒さは苦手です。
皆さまも温かくお過ごしくださいね。
実は先月末に、チャイムぱぱさんとイタリア旅行に行って来ました。
ナポリ、ローマ、フィレンツェ、ヴェネツィア、ミラノを観光する6泊8日、添乗員さん付きの旅のコースでした。
旅の中で一番心に残っている風景がヴェネツィアの夕景です。
今私は、“この風景を見に、いつかきっと、お金を貯めて、もう一度、イタリアに行くぞぉ〜〜〜!!”と思っています。
それがこの夕景です。
遠くに“サンタ・マリア・デッラ・サル-テ教会”が見えますね。
海に浮かぶゴンドラがまるで影絵のようでしょ?!
とってもロマンティックな風景でしたよ。
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