キープ・レフト

命どぅ宝:転載はご自由にどうぞ:頂いたコメンへの返事は、ほとんど出来ませんのでご容赦

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    司馬作品(明るく楽しいだけの
         歴史読み物!)を国民文学などと
                ヨイショするマスコミの責任は重い
 
司馬は典型的な「英雄史観」であるから、旅順二百三高地に中国が建てた「国の恥を忘れるな!」という看板の意味など、彼はまったく忖度しないだろう。自分の国内で他国(日本とロシア)が戦争をして領土のぶんどりごっこをしている…家に二人の強盗が侵入して、金(かね)を奪い合っているようなものだ。中国同様そういう被害を最も蒙ったのが朝鮮である。日清・日露の主戦場になったからだ。しかし“明るく前向きで楽天的な”ことにしか関心がない司馬には、中国や朝鮮の人々の屈辱や苦痛など「関係ネエー!」というわけだ。「日本に侵略された」などと告発するのは、「被害者意識」に過ぎないのだろうから。しかし日露戦争とは要するに、「満州でのロシアの権益」と「朝鮮での日本の権益」をどこまで認めるかについての争いであった…これが歴史学の常識、つまり史実である。
 
日本には政府ありて国民なし」と福沢諭吉は嘆いた。明治政府は懸命に近代国家を目指しているのに(鹿鳴館でダンスしたり、洋食食べたり、鉄道を敷いたり、法律をつくったり)、日本人はさっぱりソノ気にならないというのだ。しかし日清戦争で日本人は愛国心に目覚めた。中国が欧米列強の餌食にされそうなのを見て「明日は我が身」と思ったのだ。かくて政府の猛烈な「富国強兵」政策にも徴兵制度にも文句を言わず従い、ほんの少し前迄は見たことも聴いたこともない「天皇」を国父として絶対の忠誠を誓うことにしたのだ。つまり「立憲君主国日本」という国家意識だ。
 
当時の人々の意識が分かる興味深い資料がある。…山形県大郷村の「村会議事録」だ。1892(明治25)年のものだが、議題は天皇の「御真影」(写真)を公金を使って村に受け入れるかどうか、である。村会の議会で討論された結果、「橋を架けたり道路の補修を行なう方が先だろう」ということになり、御真影の件は翌年まで延期と決定した。天皇イデオロギーも、まだ地方農村部ではこんな状態であった。
 
しかし1894年に日清戦争が始まると状況は一変。地方の小学校でも遠足で神社に連れて行き、「戦勝祈願」を行い『教育勅語』(1890年発布)イデオロギーを生徒に注入していく。そしてそれ迄は特別な行事のなかった「紀元節」にも、ハデな祝賀式を行ない生徒に御供物を配ったりするようになった。日清戦争を境にして人々は「皇国(天皇の国)意識」に目覚めたのだ。伝統的なムラ(村落共同体)は国家を支える村へと変身した。天皇の軍隊が国民に身近な存在となったのも日清戦争以降だ。古今東西の真理…「国家は戦争を利用して愛国心を煽り、国民を支配する」が、ここでも典型的に表れている。
 
日清戦争に勝利した日本は台湾を植民地にし、アジアで唯一の帝国となる基礎を手に入れたのだが、負けた清(中国)は財政収入の三倍にあたる巨額の賠償金を課せられた。そのため清国政府はロシア・仏・英・独から多額の借金をしたのだが、その結果これら欧米帝国主義による支配を許すことになってしまった。特にロシアは東清鉄道を大連にまで延長する権利を手にし、「南下政策」の足がかりにした。この南下政策が日露戦争のきっかけのひとつ(もちろん三国干渉のル・サンチマンも日本にはある)となるのであるから、日清戦争における日本の勝利が日露戦争の原因である。
 
ニワカ近代国家の日本にとって日清・日露戦争に勝利したことは、「他国から尊敬を得たい」という日本人の願望を果たしてくれる、望外な超のつく「成功物語」だった。司馬はその愛国心理を巧みな文章でくすぐる。草の根の大衆はそれを読んで癒され「良い心持ち」になるというわけだ。かくて「明治は良い時代で日本人も武士道精神を持っていたのに、昭和になってからすっかり増長慢になり太平洋戦争へ突っ走った」という、誤った歴史観が国民大衆の「常識」になってしまった。司馬の罪は深い
 
とはいえNHKドラマでは、原作にない脚色が野沢尚の手によって加えられている。中国での日本軍の略奪行為をみて正岡子規が抗議するシーンや、森鴎外が子規に戦争批判を語るシーン、秋山真之が部下を戦闘で失い「戦争は恐ろしい」と呟くシーン…などなど。野沢は言う「司馬さんの原作に何か加えるものがあるかとすれば、困苦をきわめた農村から徴兵された“名もなき兵士たち”が戦場で体験する恐怖です」と。その言や良し! それなら期待しよう…司馬が「ミリタリズムを鼓吹する恐れがある」と自認した『坂の上の雲』が、野沢尚によって「明るく生き生きとした?反戦ドラマ」に換骨奪胎されんことを!
 
また日露戦争の伝説となった「日本海海戦」勝利のあと、天才的といわれた知略家秋山真之が心に異常をきたし(全滅したバルチック艦隊の司令官への同情やロシア水兵5000人の戦死、及び日本人兵士150名の戦死などがトラウマになったとも)、「日露が終わったら坊主になるつもりだった」と口走り、49歳の若さで死んだこともぜひ付け加えてもらいたいものだ。司馬の描く単純な英雄美談に酔うのは、振り込め詐欺に気付かないのと同じことだ。
 
                              −  了 ー
 
追記:
私は明治時代なんてゴメンこうむりたい。10年ごとに戦争をして17歳から40歳まで兵隊にとられ、戦争に巨額の予算を奪われるから、福祉にまわされる金はGDPの何とたった0.1パーセントだ。こんな国家がハッピーといえるのか? 警官と軍人ばかりが威張りくさって…真っ平である。どうしても別な時代に生まれ変われというなら、私は江戸時代にする。とにかく平和が一番!

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「自分の国内」とはいっても、満洲は中国(中華民国〜中華人民共和国)ではない
日清戦争を機会に日本の仲間となった満洲族という遊牧民の国であり、当時の漢族は全く興味を持たなかった場所

2010/12/7(火) 午後 10:05 [ IB ] 返信する

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ちなみに台湾だが、あの島には漢族も清帝国も支配が及ばない領域であり、更に欧州諸国も全く手出しの出来ない危険な場所だった
日本は単なる占領や侵略でなく、50年掛けて純粋な「開拓」を成し遂げている

2010/12/7(火) 午後 10:14 [ IB ] 返信する

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いいかい。「とにかく平和が一番!」と戦争の悪いところを摘み食いしたところで、全然おいしくないんだよ?

2010/12/7(火) 午後 10:15 [ IB ] 返信する

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当時、西洋の列強がいかに残虐で、日本とタイを覗いたほとんど全てのアジアを植民地下にしていた状況を知っていれば、「平和が一番」なんて理想主義を唱える事等いかにバカらしいかわかる。君は被害者の視点をもっと拡大させて、いかに日本が西洋列強に対抗して独立を守ろうとしていたか、について考えてみれば良い。

「他国から尊敬を得たい」←これほどバカらしい理由で先人の犠牲と努力を愚弄した人を初めて見たよ。笑

中途半端な知識で歴史を、安全保障を語って中国に飲み込まれて監獄に放り込まれても「平和が一番」と言ってられるのか?バカバカしい。
左翼はこれだからね〜 削除

2010/12/12(日) 午後 10:54 [ バカ左翼は出てけ ] 返信する

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「他国から尊敬を得たい」のであれば、異国人に文句も言わせないくらい「強くなれ」!…弱気で得られる敬意など無い
pen_tsuyoshiには侮辱に満ちた"奴隷の平和"が相応しい

2010/12/13(月) 午前 5:06 [ IB ] 返信する

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IBさん、台湾でよいことをしたというのは、戦争に対する直接的な言い訳にはなりませんよ。ロシアが脅威だったからといっても、それは朝鮮半島や中国で戦争したことに対する言い訳にもなりませんし。

2010/12/30(木) 午後 6:42 [ モリタン ] 返信する

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「言い訳」というのは[ モリタン+α ]のような負け犬根性の責任転嫁だよ!
文句を言わせなければ、当然言い訳する必要も無くなるのだから

2010/12/31(金) 午前 0:17 [ IB ] 返信する

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モリタン+αさん

反省無くして歴史(戦争)を語るほど、恐いことは
ありませんね。

2010/12/31(金) 午前 10:40 pen*tsu**shi 返信する

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