キープ・レフト

命どぅ宝:転載はご自由にどうぞ:頂いたコメンへの返事は、ほとんど出来ませんのでご容赦

全体表示

[ リスト ]

卓球ニッポン復活?


イメージ 1

イメージ 2
『ピンポン外交官』とも呼ばれた荻村伊智朗

卓球−−あと十年で中国に追いつく!?
― タモリ、それまではブラブラしてでも必ず生きてろよ(笑)―
 
「令和令和」とマスゴミが大はしゃぎしたが、しょせん改元もハロウィン同様の“お祭り騒ぎ”でしかないということだ。平成も去った今、昭和といえばもうずいぶん昔のような気がするが、『三丁目の夕日』の1950年代(昭和30年前後)に、日本で人気のスポーツと言えば卓球と水泳で、プロスポーツなら野球とボクシングと相撲とプロレスだった。
 
特にこの頃の卓球は向かうところ敵なし・・何しろ「世界選手権」で団体男子5連覇したほど。まあ、これが日本卓球界の黄金期だったのはマチガイない。しかし1960年代になると中国が台頭、「卓球王国」になる。何せ卓球は中国の「国技」になったからだ。なぜ中国がお家元の日本を抜いて急に強くなることが出来たのか? それは皆さんご存じ(知らないか)の、一人の偉大な人物がいたからだ。その人こそ私が尊敬する荻村伊智朗だ。
 
[荻村伊智朗の偉大さ]
 
荻村は都立西高(あら、お勉強できたんだ)在学中に卓球に目覚め、日大芸術学部在学中に軟式・硬式両方のチャンピオンになる。54年のロンドン世界選手権では、何と初出場初優勝の快業を達成。以後引退するまで12個の金メダルを獲得した日本卓球界のヒーローだが、彼の偉大さはそのキャリアだけではない。
 
毛沢東に次ぐ中国ナンバーツーの権力者=周恩来首相の依頼で、1962年に荻村は中国に指導者として招かれた。まだ国交も無い時代だ。そして熱心に若手を育て上げ、その中から世界チャンピオンの荘則東が出る。しかし1965年に毛沢東が「反開放(左翼原理主義)」運動を起こし、自分の手に再度権力を奪い返そうとして、国内が大混乱の内乱状態。チャンピオンもコーチも自殺という悲惨な事態に陥った。荻村は文革が少し沈静化すると、また指導に出向いた。1971年中国は世界卓球界に復帰。4種目で優勝し、世界の国々と“ピンポン外交”を開始する。
 
ヨーロッパ勢も北欧諸国やドイツは卓球が盛んだが、彼らを強くしたのも荻村である。スエーデンに指導に行った荻村は、シェイクハンドでいながら攻撃型に変身する「パワードライブ」(バックハンドでドライブする)を考案し、ベルクソンやワルトナーという強豪を生み出した。一方日本はフォアハンドの強打ばかりを重視してバックを軽視したから、世界の潮流に完全に取り残されてしまった。そしてとうとう1981年日本はタイトルゼロの無冠に。中国がすべての種目で金を獲得し完全優勝。
 
[タモリの大罪]
 
日本の卓球界が「昔の栄光いま何処」でガックリきている所へ、さらに致命的?な追い打ちを加えたのが1986年(昭和61年)の、タモリ「卓球ネクラ発言」である。テレビで「卓球はネクラでダサい」と言ったのだ。これで卓球は、決定的に若者たちから嫌われ(敬遠)るスポーツとなってしまった。人気者の発言の影響は大きい。
 
まあねえ、確かにユニフォームも卓球台も暗い色だったし、派手なキャラの選手はいないし。細かなテクニックと駆け引きが要求される頭脳戦の要素が多いから、野球やサッカーのようなスペクタクルには欠けるきらいがある。だがしかしだ、リオ五輪での水谷VS馬龍(世界ナンバーワン)の壮絶な打合いは、卓球史に残る「歴史的ラリー」でまさにレジェンドと呼ぶにふさわしいものだった。これを見てもまだ「卓球はネクラ」と思う人は、スポーツとは全く縁の無い人生をお送り下さい。
 
ところで荻村は「国際卓球連盟」の会長もしていたのでルール変更を提案し、ユニフォームも白以外OK、台も鮮やかなブルーに、オレンジ色の球も認めるようにした。さらに日本が無冠に終わったのを見て荻村は「シェイクのバックハンドでも先手が取れるような、今までとは根本的に違う“攻撃の設計思想”が必要」と主張したが、まるで30年後の今の若手の戦法を予言したかのようである。男子卓球は水谷が登場するまで長らく低迷が続いたが、女子は93年に福原愛が4歳でデビューして「愛チャンブーム」が起きた。
 
[福原愛という救世主現る!]
 
福原は世界最強の中国チームに加わり練習を続けたが、彼女にコーチをしてくれたのがチャン・リャンさんだった。昔は荻村が、世界から孤立していた中国を指導したが、今度は卓球弱小国に落ちぶれた日本のために、中国側が協力してくれたのだ。「情けはひとの為ならず」・・ひとに親切にしておけば、必ずそれは巡り巡って自分を助けてくれる、ということだ。
 
おかげで福原は、恵まれているとはお世辞にも言えない小さな体で健闘し、五輪のメダルを2回ゲットした。彼女こそ「日本卓球界の中興の祖(最大の功労者)」である。その福原が中心となり2012年になってやっと、福原・平野・石川が女子団体初の銀メダルを獲得した。遠い遠い道のりだった。そして3年前のリオ五輪では、チキータ(レシーブを守備としてではなく、そのまま攻撃にしてしまう技)の名手伊藤美誠が頑張って、女子団体銅メダルを獲得した。
 
一方男子は相変わらず泣かず飛ばず。指導者コーチもアホばかりで(失礼)、口にするのは「集中しろ」「弱気になるな」といった、何だか旧日本軍のような“精神論”ばかり。技術的アドヴァイスが必要なのに、「あと一本取れば挽回出来る」だの「まだ諦めるな」だのと、ムダな“背中押し”ばかりされても選手にとってはウザいだけ。やっと3年前のリオ五輪で、水谷隼が男子個人と団体で発のメダルをとったが・・
 
卓球がいかに高度な技術を要求されるスポーツか、伊藤美誠選手のプレイを数学を使って解いてみるとよく分かる。美誠選手のバックハンドの球は、ネット上8センチ(球4個分)を通過するのだが、これ以上球が浮くと相手に攻撃されるリスクが高まるから、なるべく低く抑えなくてはならない。しかし低すぎればネットにかかってしまう。だから許容されるラケット角度の範囲はごくわずかで、ブレはわずか1.7度しか許されない。1.7度って、長さで表すとたった2.2ミリ。この超人的な技量を、フォアでなくバックハンドでやっているのだ!
 
彼女はシェイクハンドでラケットのラバーは裏(つるつる)表(ぶつぶつ)。無敵の得意技“美誠パンチ”は球を押し出すように叩く独特な打ち方。プレイスタイルは中国ルーツの「前陣速攻型」で、台から離れず相手の打ち返した球を間髪を入れず反撃するものだが、これはチャンピオンの荻村を攻略するために、中国卓球コーチたちが智恵を絞って考えた戦法だ。こうして中国の卓球はここ半世紀以上、世界に君臨している。
 
[世界のスポーツ界は 荻村の理念を継承すべし!]
 
さて、卓球の世界選手権や五輪を見ていて「アレ、なんか静かつうか変かも・・」と感じたお方は、報道(映像)リテラシーが相当お高い! 他の国際競技と違い、優勝しても選手は酔ったサルのようにはしゃぎ回って国旗を振りかざしたりしないし、国歌が流れることもない。実に清々しい。なぜか?1926年「国際卓球連盟」創立時に「憲章」をつくったのだが、その時に「国旗国歌は、これを使用しない」と決めたからだ。
 
荻原は後に第三代連盟会長になるのだが、その彼の1954年ロンドン世界選手権でのエピソードは、彼の人となりを如実に語っている。第二次大戦終わってまだ十年も経っていない当時、敵国だった日本への反日感情はまだまだ強かったから、荻村が点を取る度にヤジやブーイングが起きた。そんな200%アウェイの状況で荻村は優勝したのだが、日本監督はリベンジの気持からか、バッグから日の丸を取り出そうとした。それを見た荻村は慌てて止めさせたのだが、そのやりとりを見ていた観衆は、何と一転して万雷の拍手で荻村を祝福したのだ。
 
芸術学部出身のためか、荻村の「スポーツ論」はなかなかユニークだ・・私は国旗国歌を使うことが理想的とは考えません。絵の展覧会でも、国旗は飾らないでしょう。音楽コンクールでも、日本人が優勝したからと言って、日の丸を振ったり君が代を歌うとは考えられません。スポーツは芸術です。スポーツマンはアーティストです。スポーツは芸術と同じく自己表現なのです。スポーツで最も小さなボールを扱う卓球が、最も大きなボールの地球を感動させるのです・・うーむ格好良すぎる(笑)! 
池江選手が病気と知って「オリンピック期待していたのに残念」と、ついホンネが出てしまったおバカ大臣に、荻村の爪の垢でも煎じて飲ませてやりたいものだ。あ、バカ大臣のついでにタモリにも教えてやりたいことが・・「ネクラ発言」のせいでどん底人気に喘いでいた卓球は、1990年に「どんなスポーツをやっていますか?」というアンケートで、とうとう10%を切るほどの不人気スポーツになってしまったが、今やじりじり人気回復。世界をみても国際卓球連盟加盟国は226で、サッカーよりも多いのだ! 分かったかなタモリどの。
 
[日本の卓球の未来は明るい?]
 
卓球もやっとプロ化されたが、去年2018年のTリーグでは15歳の張本智和が、男子シングルスで最年少優勝したが、とにかく子どもの頃から鍛えないと卓球は無理と言われる。スマッシュは時速190キロの速さだから、自分のラケットに届くまでには0.18秒しかない。ラリーに必要な神経系の発達は78歳でピークを迎えるから、遅くとも45歳で始めないと世界で一流のトップアスリートになれない。
 
荻村は「生理学と運動認知学」を学び、早くから「卓球の初等教育の大切さ」を訴えていた。そして小学生の強化練習を行い、全国大会も開催した。21世紀に入り日本卓球連盟の前原副会長は、子どもだけでなくコーチも一緒に学ぶ「研修会」を発足させた。指導者がクズでは、せっかくの宝の原石もただの石ころで終わってしまうからだ。有望な子どもには外国留学もさせることにし、その中から水谷(高校2年で全国大会に優勝した逸材)が現れたのだ。
 
ギネスブックでは「1分間最多のラリー記録」は180回で、伊藤美誠が記録保持者である。これを抜く選手を育成するには、美誠同様「鉄は熱い(幼い)うちに打て」ということか。荻村伊智朗は1994年に、福原愛が5歳で子どものカテゴリーで優勝した年に死去したが、その年はアジア大会団体戦で、日本がやっと銅メダルを獲得した年だった。あ、荻村伊智朗がこれだけの実績をあげながら、「国民栄誉賞」を授与されなかったのは、もちろん彼が「愛国者」ではなく、ナショナリストでもなかったからと言われている。
 
                                                                                 −−完−−

.


プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事