キープ・レフト

命どぅ宝:転載はご自由にどうぞ:頂いたコメンへの返事は、ほとんど出来ませんのでご容赦

全体表示

[ リスト ]

 イメージ 1
「吉永小百合・村治佳織 チャリティ朗読コンサート
2019―第五福竜丸を想って―」(2019年8月6日、三重県)・写真上/
渡辺美佐子の原爆朗読劇は今夏、34年の歴史に幕を下ろした。

広島の原爆資料館が大幅にリニュー
アルされた。来年は敗戦75年!
8月くらいは戦争について考えてくれ!―
 
815日は何の日?」と聞かれ、「えー? ナンかありましたっけ。あ、お盆だ、お盆ですよね」と答えた、パープリンの甲子園球児がいたが−−今ではこれが若者の常識か?  これでは86日も9日も「何が起きた日」か知らないのでは、と心配になってくる。頼むから、8月くらいは「戦争」のことを考えてくれ給え、若者よ。
 
[原爆をうたった詩]
 
「原爆詩の朗読」といえば女優・吉永小百合だが、特に毎回必ず読む栗原貞子の『生ましめんかな−原子爆弾秘話−』は、あまりに有名だ−−被爆した負傷者が逃げ込んだビルの地下室。血と膿の匂いが充満する中で若い女性が産気づく。この地獄の奈落の真っ暗がりでどうするのだ?その時「私は産婆です。私が産ませましょう」と言って、呻いていた重傷の女性が名乗り出る。そして無事赤ん坊を産ませて、自分は死んだ−−「生ましめんかな/生ましめんかな/己が命捨つとも」という最後の詩句が、読む者の胸に突き刺さる。この地下室は広島市千田町の郵便局のことだ。
 
吉永小百合だけでなく、やはり女優の渡辺美佐子も自分が主催する『原爆朗読劇−夏の雲は忘れない』で、必ず読む詩がある。小学校5年生・来栖雄くんのものだ。
板と板の中に/はさまっている弟/うなっている/弟はぼくに/水、水といった
ぼくは/くずれている家の中に/入るのはいやといった
弟はだまって/そのまま死んでいった/あのとき ぼくは/水をくんでやればよかった
 
胸を掻きむしりたくなる詩だ。雄くんはずーっと「弟を見殺しにした」という、自責の念に苛なまれながら生きていくことになるのだ。何一つ悪いコトしていないのに。弟を殺したのは戦争であり原爆であり、殺した責任は国(国家)にあるのに−−
 
もちろん教科書にも載っている峠三吉『原爆詩集』の序の
ちちをかえせ ははをかえせ/としよりをかえせ/こどもをかえせ
わたしをかえせ わたしにつながる/にんげんをかえせ
にんげんの にんげんのよのあるかぎり/くずれぬへいわを/へいわをかえせ 
という痛切な叫びは、一度読んだら決して忘れることなどできない“血を吐く”言葉だ。
 
広島で被爆した大平数子の『慟哭』は長い詩だが、その最終15連は
●子供たちよ/あなたは知っているでしょう/正義ということを/正義とは/剣をぬくことではないことを//正義とは/“あい”だということを/正義とは/母さんを悲しまないさないことだということを/みんな/母さんの子だから/子どもたちよ/あなたは知っているでしょう
とはいえ、俳優三国連太郎の母のように、自分の息子が兵役忌避で満州に逃げようとしたのを、軍に密告して逮捕させたような“軍国の母”もいるから、母子の「愛」(とその自覚)だけで戦争は止められない。やはり戦争に駆り立てる「国家と国民のナショナリズム」に歯止めを掛ける装置が必要だ。
 
トルコの詩人ナーズム・ヒクメットの『死んだ女の子』も、映画やアニメによく登場する。
開けてちょうだい たたくのはわたし/あっちの戸 こっちの戸 わたしはたたくの/こわがらないで 見えないわたしを/だれにも見えない死んだ女の子を//わたしは死んだの あのヒロシマで/あのヒロシマで 十年前に/あのときも七ついまでも七つ/死んだ子は決して大きくならないの
(第1,第2連)
 
もちろん「ヒロシマ」は、一般市民を原爆という大量破壊兵器で抹殺虐殺した「戦争犯罪」なのだが、残念ながら世界の世論はアメリカに甘く日本には厳しい。なぜか? 日本も戦争中に一般人を数多く殺戮しているからだ。中国で、フィリピンで、インドネシアで、シンガポールで。だから日本に原爆が落とされたと聞いたアジアの人々は、「ざまあ見ろ」とは思ったろうが「気の毒になあ」とは思わなかった。そのためにヒロシマは、アウシュビッツのような「民族大悲劇」のイコンになり損ねたのだ。広島を一方的な「被害者」感情だけで詠むことの危うさを、栗原貞子はこう書く−−
 
<ヒロシマ>というとき/<ああ ヒロシマ>と/やさしく答えてくれるだろうか/<ヒロシマ>といえば<パール・ハーバー>/<ヒロシマ>といえば<南京虐殺>/<ヒロシマ>といえば 女や子供を/壕の中にとじこめ/ガソリンをかけて焼いたマニラの火刑/<ヒロシマ>といえば/血と炎のこだまが 返って来るのだ    (『ヒロシマというとき』第1連)
 
おっと、原爆で死んだのは日本人だけではない。捕虜の米兵も死んだし、大量の兵を大陸に送り込んで労働力が足りなくなり、半島の植民地から徴用で連れてこられた朝鮮の人たちも被爆して死んだ。
在日の女性詩人李美人(イ・ミジャ)は、静かに怒りをぶつける。
 
植民地の故国から徴用で/イ・ヨンスさんは日本に引っぱってこられた/山口県の雀田炭鉱で働き 一日二円/一九四三年 軍用で広島に移されて/防空壕を堀り 石炭を運んだ/ある朝「ピカ」がきた//平和公園のかたすみにひっそり立つ/朝鮮人被爆者のための慰霊碑/そこにイ・ヨンスンはいない/祖国を追われたあげく 原爆の刻印を押された/恨はいまも辺りをさまよっている
  (『蓮の花』第2連第5連)
 
広島の「リトル・ボーイ」(少年)はウラン型原爆だが、長崎の「ファット・マン」(でぶ)はプルトニウム型であった。広島は86日午前815分、長崎は89日午前112分・・
かあちゃん・・・/わたしゃほんと ひどかば見たっとですばい。浦上川にかかっとる橋、梁橋でなあ、ああた、まあだ二歳くらいの男の子の、死んどるとは。ギョッとしたですよ、ゾッとしたですよ。もう豚のごと膨れて、こまか子の、たったひとりでなあ。(中原澄子『かあちゃん』)
 
6000度という信じられないような高温(人はたった45度の風呂にさえ熱すぎて入れないのに)と、木さえなぎ倒す爆風と、人間の体のあらゆる細胞を破壊させる放射線のために、内と外から灼きつくされ爛れ尽くされてしまった被爆者は、真っ黒になって雑巾以下のボロボロの服を纏い、血だらけの皮膚が灼けただれて指先から垂れ下がり、或る者は眼窩から脱落した眼球を掌に乗せて、泣きながらふらふらと歩いていたが、皆口々に「水を下さい、水を下さい」と懇願した。
 
だが「水をやるとすぐ死ぬ」と、どこかの医者だか軍人だかが言ったとかで、苦しむ人に誰も水を与えようとしなかった。何とも無責任な話だ。福島原発がメルト・ダウンした時も放射線の専門家と称する山下ナニガシが「何も心配ないですから、お母さんたちは安心して子供たちを外で遊ばせてやって下さい。マスクもいりません」と、トンデモナイ発言をして多くの子供を被爆させた。子供たちに今甲状腺癌が多発している。だがこの男、母親から「人殺し!」と罵られているが、何も罪を咎められず相変わらず大学の教授を務めている。
 
水ヲ クダサイ/光ヲ クダサイ/声ヲ/言葉ヲ クダサイ/黙ッテ死ンデイッタ人タチガ/鎮カニ 眠ルタメニ//<クダサイ>/朝ノ夜明ケニ向ケテ/腕をノバシ/光ヲ クダサイ/人間ガ 人間トシテ 生キテユクタメニ/声ヲ/言葉ヲ/ソシテ/命ヲ クダサイ ト/シンジツ 叫ボウ/今生キテイル人々ヨ   (日高てる『水ヲ クダサイ』第1連、第4)
 
[原爆を詠った短歌・俳句]
 
士官として南洋トラック諸島で戦争を経験した俳人の金子兜太(故人)は、1958年(昭和33年)から日銀の長崎支店に勤務していたが、その折に作った句という。
●湾曲し火傷し爆心地のマラソン
●何処か扉がはためくケロイドの港
 
原爆資料館には「建物疎開」(空襲による延焼を防ぐため家を倒す作業。人が住んでいる家を壊さなきゃならないなんて、もう完全に負け戦だろうに、それでも降伏しない無能日本軍)に駆り出された生徒たち(今の中学生高校生)の、血に塗れたシャツやブラウスが展示されているが、86日のその朝も夏休みもなく作業に出て行く我が子に、いつものように粥を食べさせて送り出したのだが。
原爆で死すとも知らず其の朝餉麦粥食ませ出動させし吾娘(岡本良)
●昨日今日明日を信じて疑わぬ生徒にヒロシマ・ナガサキを説く(星野さいくる)−−戦争も原爆もピンと来ないらしい生徒たちに、「きみたち、よく聞きなさい。明日も生きていられるという保証はどこにもないのだぞ」と、教師として言い聞かせるのだが。
 
妻と0歳と4歳と13歳の子供を被爆死で失った松尾あつゆきは、水を欲しがる子のために水を探し、死んだ妻を荼毘に付すための薪を地獄の街に探すのだ。
あわれ七ヶ月の花びらのような骨かな
すべなし地に置けば子に群がる蠅
●炎天 妻に火をつけて水をのむ
●こときれし子をそばに木も家もなく明けゆく
●子の欲しがりし水を噴水として見る
なにもかもなくした手に四枚の爆死証明
 
原爆(ヒロシマ&ナガサキ)は余りに重い題材だが、それでも文芸に関わる者ならば避けて通れないはず。死者に黙祷を献げ、そして言葉によって、無念非業の最期を遂げた者たちの死に意味を与える義務があるだろう。
 
六日午前八時ぞ蝉よ鳴きやむな(詩人、アーサー・ビナード)
原爆を落とした邦と受けた州どちらもわれの学びの血肉(デーモン閣下)−−悪魔?のメイクアップでお馴染みのデーモンだが、彼はアメリカと広島で小学校に通った経験をもつ。
一瞬で死の街となりしヒロシマのあの日を語る被爆三輪車(小島京秋)−−原爆資料館に展示されている有名なあの三輪車だろう。黒焦げの弁当箱の豆ご飯も恐ろしいが、父が愛する我が子に買い与えた小さな小さな三輪車は、見ているうちに悲しみが怒りに変わっていく。
原爆の骨なき墓を洗ひけり(西津正子)−−一瞬に溶けてしまった体は骨の欠片もないのだ。
被爆手帖ついに手にせず羽化すすむ/被爆せし身にて戦前戦後なし(相原左義長)−−19歳の時広島で被爆。戦後506070年経っても、まだ原爆症に悩み苦しみ死んでいく人がいるのだ。
広島や卵食う時口ひらく(俳人、西東三鬼)−−別に卵でなくてもモノを食べる時は口を開けるのだが、原爆が落とされた広島で卵(茹で卵だろう)を剥いて食べるという行為が、特別ナマナマシク感じられるのはなぜだろう? つるっとしたあの白い茹で卵の肌が、被爆前の乙女の肌などを想起させるからか? 戦争と軍に反対して特高に追われ東京から神戸に逃げた三鬼だが、けっこう女好きだったからなあ、広島でも(笑)。
千羽鶴目なし口なし原爆忌(小笠原信)−−広島の慰霊碑に献げられた千羽鶴に放火したバカモノ(少年)がいたが、平和教育に反発でも感じていたのだろうか?死者は見ることも語ることもできない、だからこそ生き残った者がその無念を語り継ぐ責任があるのだが。
夏の死の一行のためわたくしは凍った音符を器に鳴らす(藤木清子)
ノーモアヒロシマ一匹のミズスマシ(俳人、石寒太)
「核兵器は廃絶のみに意味あり」と世界の為政者心して聞け(飯島和子)−−原爆を落としたアメリカからオバマ大統領が広島を訪れた時がチャンスだったのに、無能にして右翼のアベは、国連の「核兵器禁止条約」に署名批准する絶好の機会を逃したのに、緩んだ顔をさらにヘラヘラ緩ませノータリンのお追従笑いを浮かべて、原爆ドームを背景にツーショットに収まったりしていた。度し難い無能ぶりである。
 
                                                                            −−−続く−−−

.


プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事