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まずは、記念切符の画像をごらんください。昭和56年11月に仙石線の西塩釜〜東塩釜間が高架複線化したことを記念して発売されたものです。 こういう記念切符の多くは、旧駅舎の写真を載せ、新駅舎をイラストで出したりすることが多いですが、この切符では、画面のほとんどが無味乾燥な高架橋のイラストになってます。しかも、画像だけを左から右に並べるとつながってるようなのですが、入場券の券面部分があるので、無理に重ねないとつながりません。また、西塩釜駅付近は高架にはなっていないのに高架橋の絵がデカデカと載っていること、イラストの縮尺がバラバラなために本塩釜駅よりも西塩釜駅や東塩釜駅の方が立派な駅に見えてしまうなど、作成者のセンスがさっぱりわからない逸品でした。 さて、昭和57年の正月、私は親戚と塩竃神社にお参りに行くことになりました。塩竃市内は何度も通ったことがありましたが、訪れるのはこれが初めてで、どんな町かと期待しておりました。 年が変わってすぐの夜の明けぬうち、親戚の車で塩竃市内に入り、駐車場に車を止めて歩いていると、何か化け物屋敷のような建物を発見。なんじゃこりゃ?と近寄ると、ホームが見える。もしかしてここは? てっきり高架化とともに壊されたと思ってたのに、まだ残っていたとは。 こりゃ写真撮っておこう、というわけで、翌日、改めて撮ったのがこれです。 ピントも露出も構図もめちゃくちゃですが、雰囲気は感じていただけるかと・・・・
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おっ! 早速実践されましたね、Wiki文法。
ところで、旅客がいない駅舎だけをこうして眺めてみると、本塩釜駅ってずいぶんちっちゃかったんだなぁ、ということに改めて気づきました。というか、いつも旅客であふれ返っていたので、混雑が実際よりも大きく見せる作用を果たしていたのかもしれませんね。ちょっと意外な感じです。
2008/10/2(木) 午後 10:59
コメントをいただきありがとうございます。
本塩釜駅は、このころ、仙台鉄道管理局の有人駅で、仙台に続いて乗降客数2位だったと聞いたことがあります。
こんな小さい狭い駅舎でよく対応できたなあと今になっても思います。
ああ、なんで駅内部の写真とか撮っておかなかったんだろうと後悔・・・
2008/10/3(金) 午前 0:39 [ ぺん ]
昭和51年頃だったか、宮城県に引越しして来た時、この駅に降りた記憶があります。陸前赤井駅を目指したいたのですが、終電となりここで足止めになっただけですが。当時はまだ新幹線も開業してませんでした。その後、高架となり塩釜線の方に移設されたのですね。駅の端に昔しの海を埋め立てた名残りがありますね。当時、小学2年の私しには来ることの出来ない場所で、たまに電車の中から景色を眺める程度でした。貨物輸送も衰退しかつての繁栄(活気があった頃)が嘘の様な状況となりました。いい写真ありがとうございました。
2018/1/14(日) 午後 7:22 [ aizawa ]