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昭和61年10月中旬のある日、私は東北の日本海側におりました。 昭和61年11月1日に無人化される予定の駅の切符を購入しようとして、秋田県から青森県にかけていくつかの駅を回っていたのです。 当時は、無人化対象駅であっても、殆どの駅は始発から終列車まで駅員がおり、最終列車で降り立っても、切符を売ってくれたものでした。 その日は、男鹿線の船越駅が最後の訪問となりました。 ところが、この駅では既に硬券入場券は売り切れとのこと。 がっくりしている私に、駅員氏は、今印刷注文しているところだから、返送切手と封筒と現金を置いていってくれれば、入ったところで送ってあげるとのありがたい話。すぐさま駅前にあった商店で切手と封筒を買い、お願いしたのでした。 当時の硬券入場券のブームは相当なもので、無人化や廃止の直前に訪問すると売り切れになっていたことは珍しいことではなく、そのたびに悔しい思いをしたものでした。 その意味で、このときは救済された思いがあったものでした。 さて、そんなやりとりを済ませた私は、秋田ゆきの終列車に乗りこみました。 翌日の予定は五能線。しかしこの日はまだどこで泊まるかを決めていませんでした。正確に言えば、当時は金が惜しく体力があったので、「どこの駅の待合室で仮眠を取るか」を決めていなかったのです。 で、この車内で出した結論は、「大久保駅から始発に乗ろう」でした。当時、大久保駅も駅無人化の対象であるとの情報が流れていたのです。 しかし、接続駅の追分駅から、既に奥羽本線下り方面の列車はなし。 じゃ、歩いていこう、ということで、追分駅の改札口で周遊券をちらりと見せた私は、初めて訪れた場所で、土地勘など全くないにもかかわらず、北に向かい、てくてくと歩き出したのでした。 時間は深夜で、あたりは真っ暗。迷わないようにするには、線路を見失わないようにして歩くしかなく、踏切が見えると立ち寄ったりしながら、しばらく歩き通して小一時間。 ようやく、前方にホームと駅舎らしき構造物を発見。 やっと大久保駅に着いたと安堵したのですが、それにしても、全く付近には明かりが見えない。 ここは人家もないのか、これじゃ無人化されるのも当たり前だなと思いこみ、更に近づいていくと、何か様子がおかしい。 ここはどこだ? おおしみず? 何とここは信号場。予備知識がまったく無かった私は、ここに信号場があったことを現地に来て初めて知ったのでした。 駅名標は手作りですが、りっぱなものでした。 さて、大久保駅はここからまだまだ先ということで、更に歩き通して小一時間。目的の大久保駅に到着することができました。さきほどの大清水信号場とはうってかわって町の中心。駅に続く道には街灯がともり、到底無人化対象駅には見えないたたずまい。 駅舎の扉は閉められておらず、未明にもかかわらず到着した私を優しく迎えてくれたのでした。 さて、そろそろ始発の時間ということで起き出したのですが、あたりはまだ暗いまま。 仕方がない、この光線でいいや、といって不精して撮ったのがこれです。 まあ、いいか・・・・ 窓口が開き、駅員氏に、駅無人化について尋ねてみると、ここは無人化の予定はなく、窓口は残り、入場券も無くならないとのことでした。 ホーム側からの撮影です。 さて、この旅行を終え、船越駅からの手紙を待っていたのですが、無人化予定日の10月31日を過ぎても返事が来ない。まあ、大量の郵送注文が来ているだろうし、最終日の日付を入れたりしてくれるのかなと考えながら待っていたところ、11月に入って到着。 封筒を外から触ってみると、確かに硬券らしい感触が。 結局入荷しなかったので切手で返却しますという最悪のケースは避けられたことにほっとしながら、封筒を開けてみると、出てきたのは確かに硬券入場券。 ああよかった、と眺めてみると、何か様子がおかしい。 あれ? 日付が61年11月1日? 確か、10月31日を最後に無人化されると聞いていたのに? 日付間違えてしまったのか・・・ ん?○ム船越駅発行?どういうこと? 訳が分からなかったのですが、まあ入場券が買えたのでよし、と納得したものでした。 その数年後、次の入場券を手に入れて、ようやくこのときの事実が判明することになりました。 つまり、船越駅は、これまで切符に発売制限の無い委託駅だったのですが、61年11月1日からは簡易委託駅となって、乗車券の発売区間などに制限がかかるようになったのですね。 しかし、この切符の61年10月31日の日付はなんだ? 私が訪問したのはもっと前で、そのときには売り切れていたはずなのに。 まあこれは、私より前に訪問したか、郵送依頼した人が、せっかくだから61年10月31日の日付にしてくれと頼んで、便宜的にそうしてもらったのでしょう。きっと。 更に後から分かったことですが、大久保駅も同時にこの形態になったようで、11月1日からは、入場券を含めて○ムの文字が入った切符を売るようになったこともわかりました。当時、大久保駅の駅員氏が言っていた、窓口も残るし入場券の発売も継続するという話は、間違いではなかったわけです。 それにしても、営業形態を縮小しても、入場券の販売を継続した当時の秋田鉄道管理局の判断は、収集家からしたら涙ものです。わざわざ○ムと印刷し直した券に切り替えるというのも実に細かい。 こちらは両者の券番。 おそらく、船越駅の140円券の入場券は、800番をもって切り替わったのではないでしょうか。
いや、当時のブームからすると、○ムになってから一日で800枚以上売り上げたのかも? |

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わくわく♪ なんかオッカナいものが出たんでしょーか?? ← んなワケねーだろ! 黙っておとなしく聞いてろ、ってーの!!(殴)
うるさくして申し訳ありませんでした、つづきが楽しみなものですから、つい♪
2008/10/30(木) 午後 10:13
まつしまさま:コメントをいただいておりながら、お返事せず失礼しました。
今日、関係する画像を揃えて完成しようとしたのですが、切符の画像の保存に失敗してしまい、また先延ばしになってしまいます。
どうぞ気長にお待ちくださいませ・・・
2008/11/2(日) 午後 6:12 [ ぺん ]
コメントが遅くなって申し訳ありませんでした。入場券は好きなんですが、知らないうちにとてもまつしまの小遣いでは追いつかない世界になってしまっていて、指を咥えて眺めております。あの頃、情熱を傾けていた人のうち、いったいどれだけの人が今なおコレクションを続けておられるのでしょうね。切符については『いいなぁ』と言えるだけですが、記事は共感しながらとても楽しく拝読できました。無理をせずにゆっくりと次の構想を納得ゆくまで練ってくださいね♪楽しみに待っております。
2008/11/12(水) 午後 11:14