なっがいタイトルの本だ。
それ以上に驚いたのが、表紙の写真。
けっこう、インパクトあるよ。
でも、私はキライじゃないんだよね。週日は毎朝、この表紙と同じような恰好した女子学生たちと同じ方向に歩いて通勤している。寒い日でもナマ脚出してゲラゲラ笑いながら歩く彼女たちって、元気でカッコイイ。
1年で偏差値を40上げる、というのは凄い。この本の“さやかちゃん”は、当初偏差値が30以下だった。まあ、かなり珍しい部類に入るよね。私が中学生時代に友達だった女の子は、スポーツと色恋以外、すべて苦手で、確かに恐ろしくバカだったけど、それでも偏差値は38あった。彼女の場合、そのまま偏差値を上げることなく受験に突入したので、合格圏内の学校が数校しか無い、という状況で、受験校選びに悩むことは無いけれど、受験シーズンが近づくにつれ、かける言葉が失われていったなあ。最終的に受験した学校にすべて落ちるという悲惨な結末で、その後、どうなったかよく覚えてない。
なんで彼女が偏差値を上げなかったかというと、手のつけようが無かったからだ。この本にもあるけれど、
わからない英単語は、英和辞書を引きます。すると、その日本語がわからないので国語辞典を引きます。さらにその意味もわからないので、また国語辞典を引きます。これを何度か繰り返すと、最終的に元の言葉に戻ってしまい、「どうしたらいいですか?」となるのです。
わからないことが、わからない。救いようのない状況なのだ。この、わからないことが、わからない気持ちは、人によって程度の差こそあれ、不愉快な、認め難い感覚だ。その感覚が授業のたびに繰り返されると、さすがに自分とクラスの距離感、自分と先生の距離感が感じられて、孤独になってくる。
中学生とか、高校生になって授業について行けなくなる人が少なくない。それまで、あまり復習をしなくても、なんとなく授業についていけたり、テストでそこそこの点が取れたりしている、“器用な人”だったりする。勉強ができない人は、本来やるべき復習を手抜きしているので、正確な知識のインプットが過去の時点で止まっている。きちんと勉強ができるようになろうと思ったら、周囲と同じ勉強をやってもムダだ。自分が理解できるレベルまで愚直に戻って勉強し直す必要がある。でも、そんな低レベルな自分を認めたくないから、普通はやらない。私も、高校に入ってすぐ、国語、数学、英語が平均以下に落ちた。最初は納得が行かなかった。
「その時は、徹夜で遊びながら、塾に通い出し、だんだん坪田ワールドにはまっていきました。何より、その頃、私をあんなにほめてくれる人は、ああちゃん以外にはいなかったから。何かにつけて、“君はすごいねえ!頭の中がからっぽだねえ!”とか言って、ほめて笑ってくれました。それが不思議とイヤじゃなく、肯定されている気がしたんです」
この箇所を読んだら、久しぶりに涙が吹き出してきた。そうなんだよね。わからなくて、放課後、職員室に質問に行くと、授業であんなに厳しかった先生が、優しく教えてくれた。少しレベルを下げた参考書を教えてくれたり、中には、“もらいもんだから”とクレたりした。そんな本をコツコツと勉強しながら、私も偏差値を30上げた。勉強は、最終的に自分でするものだけれど、わからない時の孤独感というか、焦りというか、それを埋めてくれたのは、手を差し伸べてくれる先生だったと思う。
苦手だった英作文を教わった女の先生は、今どうしているだろう?以前、書いたけれど、胸がふくよかで、けっこう襟グリの大きい服を見事に着こなす、英作文なのにグラマーな若い先生だった。もちろん、そういう、英語以外の要素が大好きではあったけれど、高校3年分の英作文のテキストを3冊仕上げて、最後にいただいたメッセージは今も忘れがたい。
“私は、どんなにダメな生徒であろうと、何度でも救う先生になりたい。”
良い先生だったなあ、とあらためて思う。自分は先生という職業にはつかなかったけれど、会社で部下を指導する身ではあり、この言葉の意味するところの絶望的な高さが、不甲斐ない自分をどうにかこうにか支え続けている、ような気がする。
ところで今、自分は以前からちょっと憧れていた分野の勉強をしようと思って、学校に通っている。しかし、憧れでやるのと、専門家としてやるのとでは勉強の厳しさがぜんぜん違う。もうね、それまでやってきた勉強が、全否定されてる感じ。「今までオレがやって来たことは何だったんだ。」でも先生は言う。「無駄なことなんてありませんよ。できることからやれば良いんです。」それで私も、ちょうど“さやか”と同じように、マンガ本レベルから読み直して徐々にレベルアップしているところ。私もこれから偏差値40上昇です。
むぁじか!! 
坪田信貴/学年ビリのギャルが1年で偏差値を40上げて慶応大学に現役合格した話
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